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【談議1】水野氏と戦国談議(第十九回2/2)

(1/2より続き)

 これまで、中世・戦国期の村社会における刑事罰に対する過酷さの原因を掟社会にみてきたのであるが、ここでこの時代を特徴づけるもうひとつの集団である「一揆」について考えてみることにしよう。本談議第二回において、久留島典子氏が「一揆とはある目的をもって組織や集団をつくること、そして作られた集団自体をいうのである」と一揆を規定するのを確認したが、ここでは勝俣鎮夫氏の『一揆』(岩波新書)からより踏み込んだ考察を拾い上げてみよう。

 すでにみたように、会議のメンバー全員が主体的に公平な意見をのべることを神に誓約して、そこでなされた議決が一味同心の議決であった。一三〇〇(正安二)年の高野山の評定集会の規則には、「一同の評議とは、メンバー各自が公平を心がけ、縁によって左右されず、一方に味方せず、あくまでも真相を究明し、理非をあきらかにすることである」とのべられている。幕府の評定衆起請文の「一味の義」と同じである。
 このような性格をもつ一味同心の評議の議決方式は多数決を必然的にとらざるをえない。そして、このような一味同心のもとにおける多数の意見の一致は、道理すなわち正義であると考えられたために、その決定が一味同心の決定とされたのである。一味同心の決議は多数の意見の一致によってはじめてつくられるが、その決定は、文字どおり一味同心の結果としてうまれるものであって、そこでは少数意見と多数意見の区別は存在しないと考えられた。このような一味同心のありかたは、のちにみるさまざまな形態の一揆に共通してみられ、一揆を特徴づける性格であったといえる。


 一揆における評議は多数決を旨としたが、そこにおける多数の意見は一味同心の決定とみなされた。それは「同心」であり、多数・少数の意見対立は雲散霧消してしまっている。評議における決定のプロセスは公平公正であるが、決定後は多数意見が唯一の異見を含まない決定となっているのである。この多数意見の唯一意見への転化・飛躍について勝俣氏は、「われわれ近代人の目からみると、きわめて奇異にうつらざるをえない」と述べている。そしてこの転化・飛躍の背景に、「一揆の決定は“神慮”すなわち神の意志にもとづくという観念が大きく作用していた」と言うのである。

 ところで、このような「一味」「一味同心」の状態は、どのようにしてつくられたのかというならば、それは「一味神水」という儀式を必要とした。この一味神水という行為は、それに参加する全員が神社の境内に集合し、一味同心すること、その誓約にそむいた場合いかなる神罰や仏罰をこうむってもかまわない旨を書きしるし、全員が署名したのち、その起請文を焼いて神水にまぜ、それを一同がまわし飲みするというものがこの時代のオーソドックスな方法であった。
(同書)

 多数意見と少数意見、場合によってはその差が小さいこともあったろうが、「一味神水」という儀式を経ることによって、異見を含まない唯一意見に転化・飛躍するというのである。しかしここで述べられていることは、一味の必要から誓いによって無理やり「同心」を引き出したもののようにも思える。神水を回し飲みしたところで、少数の異見が頭から消え去るわけではなく、誓いの強制によって異見を隠し、それによって多数意見への「同心」を演出したとも言えそうだ。そしてこのような「同心」を根拠にして、興福寺の一揆は次のように申し立てるのである。

 寺社にはそれぞれの寺にきわめて多数の僧侶がいる。そして、これら僧侶は、それぞれ顔がちがっているように一人一人その考え方も異なっている。このような多数の考えかたのちがう人びとが全員同心して、満寺三千衆徒一味同心という状態がつくられたっということは、なによりもわれわれの主張が「至極の道理」であることをしめしている。老僧も若い僧も、賢者、愚者とわず、同心してこの事件を愁い憤っているということは、この主張が「理の窮(りのきわみ)」であるからで、おそらく春日神社の神が、われわれ衆徒にその意志を託したものといえよう。
(同書)

 勝俣氏は一揆のことを、「非日常的目的集団としての、特殊な非構造的集団である」と規定している。目的集団であるならば、目的を同じくする人びとが集まったものであるが、それだけに「それぞれ顔がちがっているように一人一人その考え方も異なっている」ことになる。そのために公平・公正に衆議をおこない、多数決を持って議決とするのである。そしてここまでは、現代の目的集団と何ら変るところがない。ところが、それを全体の決定とするために「一味神水」という儀式を執り行い、それによって「一味同心」という状態が生まれる段になると、現代とは大きくかけ離れることになる。この「一味同心」によって、集団の多数意見が異見を含まない唯一意見に転じてしまうからである。
 興福寺の僧侶は、「それぞれ顔がちがっているように一人一人その考え方も異なっている」と、今と変らない個人観を述べているようでもある。だが一人一人の考え方がなぜ異なっているかについては、今日とは意見を異にしているように思われる。それはこの一味同心が、「春日神社の神が、われわれ衆徒にその意志を託したもの」だと述べている点にある。現代の個人観からすれば、個人とは独立して自由意志をもった存在である。したがって、独立した個人が自由にものを考えれば、実に多様な意見が出るのは当然だということになる。それからすれば、春日神社の神が意思を託したというのは、この自立的に思考する個人をまったく無視した考えと言えよう。一人一人の考え方が異なると言っておきながら、その一人一人を無視して神の意思を持ち出すのは矛盾しているのである。したがって、興福寺の僧侶が一人一人考え方が違っていると言っているときは、一つの理(神の意思)が人という存在を通して発現するとき、一定程度バラついて出てくるものだと述べているのである。つまり興福寺の僧侶の頭の中には、独立して自由に思考する個人という観念は存在していないのであり、そのことこそが、「一味同心」が可能であることの前提となっているのである。
 もともと理というものが存在しており、それが人を通して顕れるときにバラつきが生まれてしまう。しかしそれはバラつきであるのだから、最も多い意見を採れば理を再現することでき、そこから多数意見を唯一意見とすることで「理の窮」と言うことが可能となってくるのである。そもそも個々に考えが違うといっても、それぞれの考えがまったく独立してあるわけではなく、過去に聞いた他人の意見への同調あるいは擦り込みなど、それは互いに錯綜したものである。それは相互に干渉し合っていて、もはやそこに独立した個の意見を括り出すことなど不可能なはずで、その総体が多数意見として現れるだけなのである。そのように考えてみると、独立し自由に思考する個人という観念と、分かち難い相互干渉の中から総体的に生まれ出る理という観念と、どちらが呪術的なのか俄かには判断しがたくなるものである。

 『徒然草』に描かれた明恵上人の結縁にみられた「縁」では、明恵の意図とか精進とかによってではなく、その場に与えられたようにして「阿字本不生」に遭遇していた。精進・修行を自力とするならば、道端の遭遇は他力によるものである。また諺に示される縁とは不思議なつながりであるという理解も、その「不思議な」という点に他力が宿っているとも言えよう。自力のつながりであれば不思議はないはずで、自身の所業や知識が届かない「他」であることが不思議の源泉となっているからである。
 掟社会としての惣村、そして一揆における一味同心、そして縁という観念においても、なぜか自立的で自由意志をもった個人という観念が排除されている。この談議の第十五回「人と地、そして質」において、国質・郷質・所質を扱った際に、勝俣氏が「社会的結合の相互関係における強い一体観」を前提にしてはじめてそれが理解できると述べていたが、その一体観は掟社会、一味同心、そして縁の観念が豊かに実ったものなのかも知れない。それは「個人」が集まった結合とは異質な一体性であり、それはむしろ「個人」が埋没していることで一体性が実現されているかのようでもある。
 現代においては、個人という概念は特権的なもので、あたかも「はじめに個人ありき」といった様相を帯び、不可侵の絶対単位として社会のあらゆる領域にその価値が浸透している。その視点からすれば、個人が埋没している社会というのは、前近代的な欠陥社会であるとみなされる。しかしおよそ漠然とではあるが、「個人」とは市場売買の要請によって造りだされた一種の社会的な虚構のようなものではないかという気もする。それゆえに、市場売買が交換の優越手段に達していない社会では個人が埋没しているのである。この個人の埋没という言い方も、すでに個人を嗅ぎ分けようとする視点が働いた結果の表現であり、実際は個人が埋没しているのではなく、個人を必要とも前提ともしていない社会があるということなのである。そしてこの「個人」が存在しないことで、「はじめに分断ありき」が成立せず、「はじめに一体ありき」が働いていて、そこに国質・郷質・所質や無利子貸借、そして貸借にすり変わってしまう売買などが出現しているということなのではなかろうか。
 今回は、無縁の場に対する有縁の場を考えてみようとしてここまで述べてきた。そして結論といったほどのものは見出せなかったが、市場売買と個人観念には深い関係があること、そして中世社会はこれまで見てきたように市場売買が思った以上に不完全であり、それが今回の有縁場における個人の埋没に関係していることが、漠然と描けるようになったのではないかと思う。多分に思弁的で漠然とした談議となってしまったが、現時点ではこれ以上に話を展開することが覚束ない。それがそろそろ戦国の談議に戻る潮時であろうということで、次回からは再び「戦国大名はなぜ戦い続けたか」に話を戻したいと思っている。

by mizuno_clan | 2009-09-12 17:28 | ☆談義(自由討論)