【寄稿14】将軍足利義昭の御内書 »»Web会員««

◆足利義昭より水野信元に遺れる書状 
                              
                                         筆者:水野青鷺
  

update 2010/04/21

就(二)近般信長恣儀相積(一)、不慮城都取退候、然此節甲州令(二)一味(一)、天下静謐馳走頼入候、(為脱カ)其差(二)越一色中務太輔(一)、猶藤長可(レ)申候也、
    (天正二年[1574] ) 三月廿日         (足利義昭)(判)
               水野下野守(信元)とのへ  


                            [榊原家所蔵文書]坤 [古證文]六 [別本士林證文]

                   出典:中村孝也『新訂 徳川家康文書の研究』上巻 日本学術振興会


[意訳]
 「武田勝頼と協力して信長を討伐せよ」

[訓み下し文]
 こんぱん のぶながの ほしきままのぎ あいつもるにつき、ふりょ じょうとを とりのきそうろう、すなわち このせつ こうしゅうを いちみに さしめ、てんかせいひつに ちそうたのみいり そうろう、そのため いっしきなかつかさのだいぶを さしこす、なお ふじなが もうすべく そうろうなり、

[釈文]
 足利義昭より水野信元につかわされた書状 [御内書]――
 この度、信長のほしいままの振る舞いがひどくなり、思いがけなく都を退いた。そこで最近甲州の武田勝頼を仲間にして、天下静謐(*1)のために奔走するよう頼み込んだ。そのため一色中務大輔(*2)を差し遣わした。尚 委細は(室町幕府御供衆)一色藤長が申します。

[註]
*1=天下静謐(てんかせいひつ)=天皇の命を受けて将軍が逆賊を退治し、全国にわたる平穏な社会状況をいう。しかし南北朝以降、天皇のためではなく「室町将軍のための天下静謐」に矮小化していた。
*2=『新訂 徳川家康文書の研究』掲載の「ほぼ同文の徳川家康宛内書」の注記には、(藤長)[一色藤長]とあるが、藤長の官位は式部少輔であり、『後北条氏家臣団人名辞典』の「中務大輔(なかつかさのだいぶ)」には、「古河公方(こがくぼう=室町時代後期から戦国時代にかけて下総国古河[茨城県古河市]を本拠とした関東足利氏)足利義氏の家臣。」とあり、「なお、年未詳九月二十五日足利義氏官途状(滋賀県立安土考古博物館所蔵下乃坊文書・戦古一一八四)で義氏から「中務大輔」の官途を受けた。」とあることから、本史料紹介では、「中務大輔」を古河公方足利義氏家臣に比定する。
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by mizuno_clan | 2010-04-11 09:14 | ★史料紹介