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【談議1】水野氏と戦国談議(第三十八回)

(つづき)

 法廷でなにが起こったか知ろうとする場合を想定してみよう。私は報告者に対して、なにひとつ残さずすべてのことを話してほしいと頼む。ところがもしその人が弁護士の陳述や原告や被告の感情の動き、裁判官の態度の他に、法廷に何匹蠅がいて、その正確な軌道はしかじか、複雑な周転円はこうと記した込み入った図まで示したら、あるいは咳やくしゃみの数まですべて話すとしたら、私はすっかり滅入ってしまう。話はこれらの細部ですっかり埋もれてしまう。私は彼がこう話すのを想像することはできる。「ここで蠅が、証人席の手すりに止まった」。その場合私は、なにか奇妙な興味深い事柄があとに続くと予期するのである。たとえば証人は病的な恐怖をみせて、叫び声をあげた。あるいは有能な弁護士がその機を捕らえて、すかさず巧妙な弁論を行った(皆さん、この蠅は・・・)。または蠅を払おうとして、重要証拠の上にインクがこぼれた。どのような場合であれ、その蠅は「どういうことなのか」と私は知りたがるだろう。ところが「どういうこと」でもなくて、それはただ「裁判の途中に起こったことの一部」にすぎないとしたら、それは裁判についての説明のなかにはまったく属さない。だとすれば私が「話を一部始終、なにひとつ残らず話してほしい」と言ったとき、私の言う意味は、「重要なことはなにひとつ残さないでほしい。話のなかにどういうことが含まれていようと、私が聞きたいのはそのことだ」と理解されねばならない(そしてそう理解されている)。そしてこれはたしかに、ランケが主として言わんとしてたことにちがいない。
(アーサー・ダントー著『物語としての歴史』P160)

 裁判所における蠅に関わる出来事は、起こった事ではあるが重要ではない。さらにそれは重要でないばかりでなく、起こった事自体が何か理由がなければ語られることはなく、記憶に残されることもないという点で、「起こった事」であったかどうかもわからないのである。想像してみるに、そうした起こった事とは裁判の間中に数限りなく起こっているはずだ。窓から光が射し込んだ。誰かが咳払いをした。ペンを落とした。埃が舞った。髪の毛が一本抜けた。そうして起こったことは、一瞬でも人の目に映るような事は僅かで、人の目には留まることもないところで大部分が起こっていることだろう。起こった事というだけでは、それは有象無象、人知では捉えられないほど数限りなく、この限りなさはどこで区切りをつけるのか、それも与えられないほどである。

 「過去」とは、これまでに起こったすべての出来事が、起こった順に定置されているような巨大な容器か格納庫のようなものだと想定してみよう。この容器は、一瞬一瞬前のほうに向かって伸びていき、出来事が層を成してその変幻自在な都合の良い胃のなかに飲み込まれていくにつれて、刻一刻と満たされていくのである。「過去」の前方への伸びは、押さえ切れずまた規則的である。そしていったんその容器に入ってしまうと、所定の出来事Eと、「過去」の容器の伸びつつある端とは、「時間」の流れと同じ割合でたがいに遠ざかっていく。他の出来事の層が積み重なるにつれて、Eは、「過去」のなかにどんどん深く埋もれていくのである。しかも「現在」から不断にどんどん後退するということが、Eが被らねぽならぬ唯一の変化である。それ以外は、いかなる修正をもまったく受けつけない、さらにEは、普通「過去」へともに繰り込まれる一連の出来事のうちのそのただのひとつであるにすぎない。この場合、Eおよびこれと同時の出来事は、それ以上の出来事がいわば新たな同時的出来事として参与しないという意味において、排他的なクラスを構成する。したがって「過去」は、それが刻々と過去の度合いを増すということ以外には、いかなる修正によっても変化しないし、出来事Eが過去に入るさいに、新たな他の同時の出来事がつけ加わることによっても変化しないのである。 (中略)ことばの用法に忠実であろうとすれば、出来事はさまざまな度合いで持続すると考えることが必要だし、唯一他に採りうる道は、出来事はきっかりそれだけの長さ、たとえば三分間のものというように、任意に決めるしかない。しかし語の用法にしたがうとすれぽ、出来事Eについて、それと同時のものは数多くあるけれども、正確な同時物はないと言わざるをえないだろう。そしてその結果、時間軸の進行方向でのEの先端に垂直な直線を引くと、その線はEと同時的な出来事の先端を通る垂線とは、おそらく交わらないだろう。ところが出来事が層を成して積み重なり、順序よく現在から遠ざかっていくような私たちのモデルに対して、これは都合の悪い帰結をもたらす。というのは出来事Eは完全に「過去」の領域に入っているが、かたやその同時的出来事たるHは、部分的にのみ過去たりえているだけで、一部はまだ過去を形造る途上にあるという場合を考えてみるとよい。Eと重なる部分が「過去」にあるとき、ではHの残りの部分はどこにあるのかと聞きたくもなろう。泥のつまった缶に半分埋まった虫のように、それが突き出ていると考えると、どうも落ち着きが悪い気がするのである。
(前掲書P178)

 ここでダントーが言わんとしているのは、出来事が客観的所与のようなものであるならば、それは「さまざまな度合いで持続する」均一時間軸上の実体ということになるが、ある時間点において、始まってはいるが終わっていない出来事というのは、「落ち着きが悪い気がする」ということである。それが時間軸上の実体であるのならば、終わっていない部分は時間軸上にあるはずがないからである。これはあの「三十年戦争が今始まった」と言えない、という事情と同じである。三十年戦争が始まったとき、三十年戦争の三十年は時間軸上に存在しない。出来事は「さまざまな度合いで持続する」のであるが、その度合いは客観的所与としてあらかじめ決まっているのではない。
 例えば、裁判の間に埃が舞ったという出来事が、検察官が机を叩いたことで起こったとする。この場合、机の上にあった肉眼では形がわからないほど小さな塵が、床あるいは裁判所の机や椅子に付着するまでが出来事なのだろうか。もしそうだとすると、「裁判の間に埃が舞った」というのは間違えかも知れない。塵は浮遊を続けて、裁判が終わり誰もいなくなって数時間後に床に着地したかも知れないからである。あるいは、机を叩いた出来事に関わる限りというのなら、舞い上がった直後までの出来事と言えるかも知れない。しかしその場合でも、「直後」とは10分間なのか1分間なのか、それとも30秒なのか5秒なのか。ここで「唯一他に採りうる道は、出来事はきっかりそれだけの長さ、たとえば三分間のものというように、任意に決めるしかない」ということになる。
 出来事が客観的所与としての持続ならば、時間点Aに始まり時間点Bに終了したことになる。しかしこの時間点Aには「始まり」としての何かがあったはずであり、時間点Bには終わりとしての何かがあったはずである。埃が舞ったのは、検察官が机を叩くという出来事があったからで、その埃の舞が終わったのはいつとは規定できない。それは終わりを決めることで規定されるのであり、埃が拡散して肉眼で捉えられなくなった時点と決めれば、それは10秒後であったりする。そしてこの「埃が拡散して肉眼で捉えられなくなった時点」という決め方に妥当性があるとするならば、それは裁判官が机を叩いたという出来事の文脈に照らし合わせてということになる。裁判官が机を叩いたという出来事は、裁判官が机を叩こうと頭のどこかで思い立ち、瞬間的に右手が持ち上がってから、叩いた振動によって舞い上がった埃が拡散して見えなくなるまでの間、と規定することもできるだろう。物語文は「時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示する」のであったが、こうして出来事もまた、「時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示する」わけである。脳裏に浮かんだ机を叩くという行為と、叩いた振動で舞い上がった埃が見えなくなるまでが、「裁判官が机を叩いた」という出来事を構成するのである。

 出来事が客観的所与ならば、所与としての始まりと終わりがある。しかしこの客観的所与を捉えるのが知覚であるならば、離れた始まりと終わりをどのように結びつけるのだろうか。ここで始まりと終わりの知覚記憶を持ち出してもよいが、それぞれ独立した始まりの知覚記憶Sと終わりの知覚記憶Eが結びつくのはなぜか。あるいは知覚し続けているのだとしても、知覚が継続的に働いていることと、特定の対象をマークし続けることは同じではない。そしてこのマークし続ける対象は当の出来事のはずなのだから、それは始まったそばから終わりを見越していたことになる。こうしてそこに知覚以外の、予見といったものを導入しないと、何かを知覚し続けることを説明することはできないのである。
 出来事には、開始において既に終わりが出現している。手を振り上げる動作が机を叩く出来事の始まりになるのは、その手が机の上面に強く打ちつけられる終わりによってである。そして机の上に接触した手が出来事の終わりになるのは、手を振り上げる動作が始まりとなっているからである。始まりは終わりに依存し、終わりは始まりに依存する。このことは、出来事というものが始まりや中間そして終わりといった、独立した部分によって組み立てられているのではなく、まず全体としての出来事が先行しているということである。この先行性や予見性を、出来事の先回りと呼んでおこうと思う。そしてこのような先回り性こそが、出来事の本質を形成しているのであるが、そのような出来事が知覚された客観的所与であるはずはないのである。

 主観と客観という認識論上の二分法は、認識者と認識者以外の実在という存在論的二分法に重ね合わせることで、客観が実在することに等しくなり、その実在が客観的所与として知覚されるという構図になる。そしてこの物の認識において適用されるこの構図を、林氏や遅塚氏は出来事にも躊躇することなく当てはめる。その結果、過去の出来事は過去において実在し、この実在し揺らぎのない出来事を、どのようにして客観的(ということは実在のままに)に主観が認識するかが、歴史学の基盤課題であるとするに至るのである。
 林氏や遅塚氏が『史学概論』で論じている史学基礎論が、実務的な史学研究にどう関わっているかは、割と簡単に指摘できる。特に遅塚氏に顕著であるが、要するに今現在行われている実証史学の方法論を、擁護し正当化することである。そしてその立ち位置で史学基礎論を論じると、それは出来事実在論になるのである。彼らの『史学概論』にこそ、実証史学と出来事実在論の密接な関係が示されている。
 この出来事実在論においては、過去に実在した出来事の痕跡を手がかりにして、現在においてそれを再構成することになる。これは痕跡という断片をできるだけ数多く集めて、それらをつなぎ合わせ、どうしても埋まらない箇所には解釈を施すことで過去を再現する作業である。しかしながら再現は現在において行われるのであり、本当は現在において指向された現れを、集めた断片によって描き直しているのである。この指向という先回りがなくしては、断片のつなぎ合わせ方にとどまらず、その断片がいかなる断片であるかも理解できないのであり、もっと言えば断片であるとも気がつかないのである。
 この史料痕跡論は出来事実在論から派生するのであるが、このような立場で過去の出来事に向かえば、指向は実在そのものの導きとされ、先回りの存在がかき消されてしまう。そしてこの先回りを忘却したままに、あたかも実在に接したかのように実証を唱えて出来事を固定し、典拠がないということで別の先回りを拒絶する。それは今手元にある潜在的な理解の体系へすべてを送り込むだけであり、巨大な現在への追従にすぎない。過去へ向かうというのは、時計時間を逆行させて、現在の理解の体系の支配を過去へ拡大させることではなく、現在ではないものに出会うということである。その出会いは、現在における理解の体系に飲み込まれている我々には、理解できない何ものかとの直面である。しかしながら、この「理解できない」ということを、実証史学は理解しない。なぜならば、過去の実在の痕跡を持ち寄り慎重にそれらを比較照合すれば、ある程度の解釈は残るにせよ、それを現在に再現できる=理解できるという信条こそが、実証史学の本領だからである。この本領は出来事実在論から必然的に帰結するのであり、過去であろうが現在であろうが実在は不変であり、ただそれへの近づき方が異なるだけだからである。
 おそらく実証史学が、まるまる出来事実在論に等しいわけではないだろう。それでも現在の実証史学は、出来事実在論に深く染まっている。それだから、史料文献に登場する用語には気を使うが、その歴史叙述に使う現代語の概念には無頓着である。「支配」「権力」「組織」「身分」そして「没収」など、その意味するところの内容がどれほどその歴史叙述を拘束することになるか、どれほど現在に隷属させられることになるかには、気を配っている様子はない。
 この「水野氏と戦国談義」では、そうしたことから不十分ながら権力とは何か(第九回「竿と錘の戦国力学」)、組織とは何か(第二十五回「戦国組織論(3)-交換と代替わり-」を論じてきたが、なぜそれを論じなければならないかを示すために、この「過去と歴史」は設けられたのである。出来事とは、それについて考察することを阻むほどに、深く謎めいたものである。過去もまた同様であり、その先に歴史という概念がある。この「過去と歴史」では、出来事実在論を徹底的に糾弾し、歴史に出会うための準備をする。そしてその準備は、まだ道半ばである。

次回につづく・・・

by mizuno_clan | 2012-11-25 09:13 | ☆談義(自由討論)