【談議1】水野氏と戦国談議(第四十回)

(つづき)

 記述の中で対象を指定するために用語を使うが、この用語の使用に解釈を含まないと言えるのは、それが名指しであるからである。この名指しであるということは、「元軍」や「上げ米の制」が対象を指し示す単なる指標に過ぎず、その指標が指し示す対象の実在こそが事象記述を支えている、と言うことを意味する。先に言語の写像理論について言及したが、写すという機能は写されるものの存在が前提となる。そこでは写され方は問題となるが移されるものの存在は前提であり、それ自体は問題とはならない。したがって「元軍」や「上げ米の制」という用語は、その名の指し示す対象に真っ直ぐに向かっているのであるが、その対象にまつわる諸々は写され方の問題を孕む、と実証史学の写像理論は考えるのである。
 文永11年に博多湾に攻め込んだ「元軍」は、蒙古・高麗連合軍であったり、高麗人の将軍が同国人から激しく恨まれていたといった解釈はあるにせよ、「元軍」はその解釈の前提である。なぜならば、何にせよそれは「元軍は」を主語として始めなければならないからである。そしてこの「元軍」が名前であるならば、それが名指すところの対象が存在し、その対象が「元軍」の意味なのであり、用語としての「元軍」はその透明な指標に過ぎないのである。事象は対象の生起であり、その対象は用語の名指し機能によって記述に持ち込まれ、その用語の適切な組み合わせが事象記述を可能とする。そしてこうした認識論的前提が、事象あるいは事実を記述できるとしている実証史学を支えているのである。
 このように実証史学の認識論的の根底には、用語が対象を名指すという基本認識が存在する。そしてこの名指し機能は、すべての写像理論の基本原理である。しかしながら、この言語の働きの中枢はこの名指し機能にある、という言語観こそが、あの言語論的転回によって突き崩された当のものなのである。

 我々の生活世界は、コトバを知る以前からきちんと区分され、分類されているのではない。それぞれの言語のもつ単語が、既成の概念や事物の名づけをするのではなく、その正反対に、コトバがあってはじめて概念が生まれるのである。たとえば、「牛」はフランス語では boeuf 英語では ox と呼ばれているから、第二の言語を学習することは、すでに知っている事物や概念の新しい呼び名を学ぶことであり、すべての概念は各言語に共通していると考えがちである。ところが「牛」と boeuf と ox とは、それぞれに異なった意味範囲をもつ概念であり、それぞれの語が生まれる以前は存在しなかった概念なのである。フランス語の boeuf は ox ばかりか beef をも包摂しているし、また例えば日本語の「木」は、机などを作っている材料でもあれば、庭の青々とした樹木でもあるが、英語では前者が wood 、後者が tree であることは中学生でも知っている事実である。それでは材木の意味の「木」と wood が完全に重なりあう概念であるかというと、これもそうはいかない。wood には「森」という意味も含まれているからである。
 それぞれ「犬」と「狼」という語で指し示される動物が、はじめから二種類に概念別されねばならぬという必然性はどこにもないのと同様に、あらゆる知覚や経験、そして森羅万象は、言語の網を通して見る以前は連続体である。[中略]言語はまさに、それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有な概念化・構造化であって、各言語は一つの世界像であり、それを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり、独自のゲシュタルトなのである。

(丸山圭三郎著『ソシュールの思想』)

 文を構成する要素が単語である、ということは誰もが知っている。しかしこの場合の「要素」とは、文を構成するのだから、文が依存するところのものであっても文に依存することはない、という意味で「要素」なのではないだろうか。ところが「日本語の「木」は、机などを作っている材料でもあれば、庭の青々とした樹木でもある」ということならば、「木」という単語単体では意味を確定できない。この「木」の意味を確定するには文脈が必要なのであるが、そうなると単語は文の構成要素だとは言えなくなる。文法上は文の構成要素であっても、意味論上では単純に要素だとは言えないのである。このことは日本語の「木」が、特定の英単語にぴったり一致しないことにも関わりがある。「木の温もり」という表現があるが、この場合の「木」は樹木の「木」なのだろうか、それとも材質としての「木」なのだろうか。答えはどちらとも言えないであるが、それはどちらでも意味は通るということでもある。それではこれを、英語に翻訳しようとするとどうなるか。そこでは「tree」か「wood」か、どちらかの単語を選択しなければならない。そして問題はここにある。
 この場合の「温もり」という表現は、温かいという物理的なものであるよりも、精神的な「安らぎ」とか「心地よさ」を示している。そしてそれが精神的なものであるだけに、材質そのものの物性から受けるものではなく、樹木というものに対する日本人の心持ちに由来するものなのである。そうであるから、「木の温もり」における「木」は「tree」でも「wood」でもないのであり、英語には翻訳できないのである。このことは丸山氏が、「言語はまさに、それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有な概念化・構造化であって、各言語は一つの世界像であり、それを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり、独自のゲシュタルトなのである」と言うところの由縁となっている。「木の温もり」という表現は、「温もり」であるから木を身近に引き寄せた場面で適用される。したがって木を材料にして作られた家具とか、木製の道具や装飾品などに対して用いられることになる。その点では「wood」なのであるが、材質が温もっているのではなく、その材料が何からできているのかを指向していることにそれは基づいている。つまり元は生命のある樹木であり、それが別の形になっても生命は失っていない、という感覚がこの場合の日本人にはあるのだろう。「温もり」は暖かいとかなめらかといった物性ではなく、生命のもつ包容力に対する感応だと思われる。そうであるから、形は変わっても「木」という言葉を、この感応を宿している文化においては使い続けるのではないだろうか。
 異なる言語間では、語彙の範疇がぴったりと重なり合わないことが多々あるのであるが、ソシュールはこれを日常言語のルーズさとは考えず、言語が自制的に対象を捉えているからだと理解した。このことによって、「それぞれの言語のもつ単語が、既成の概念や事物の名づけをする」という捉え方が、ある特定のしかも誤った言語観であることが自覚され、これを言語名称目録観と呼んだのである。ソシュールのこの自覚を「言語名称目録観」と呼んだのは丸山氏であるが、これは広く普及してはいるが一つの言語観であり、しかもそれが誤っているということの認識が重要である。そしてこの認識はウィトゲンシュタインにも共有されており、言語論的転回はこの認識からスタートすると言っても過言ではない。さてそのウィトゲンシュタインであるが、彼が『論理哲学論考』の中で示した言語の写像理論は、その後ウィトゲンシュタイン自身によって批判され放棄されることになった。その事情をここで詳しく述べるつもりはないが、野家氏はこのことを次のように表現する。

 ここに見られる「要素論(atomism)」的な構えこそは、『論考』全体を貫く根本前提とも言うべきものであり、やがてはウィトゲンシュタインにとっての「蹟きの石」ともなるものなのである。
(野家前掲書)

 ここで要素論的な構えが「蹟きの石」となったと述べているが、これは名前を事象記述の構成要素とする伊藤氏の考え方においても同じことが言える。この要素論的な構えとは、即自的で自己規定的な要素という原単位を想定し、それを組み合わせることで全体が成立する、という考え方である。自動車を例にすると、車体、タイヤ、エンジン、座席などの部品を組み合わせると、全体として機能する自動車が完成する。この場合、各部品は各々それ自体で固有の機能をもっており、自動車はこれらの機能の複合機能を発揮するものである。このように部品(要素)は、組み合わせ以前にそれとして存在し(自即的)、独自の性質を保持している(自己規定的)のである。このように構成要素であるということは、自即的自己規定的であるということである。そしてこのことは、要素への分解・分析と、その要素からの再構成によって客観世界を説明しようとする、時代制約的な知の枠組みがその根底にあることを暴き出すのであるが、そのことには今後言及することにしよう。ウィトゲンシュタインは、この要素論的な構えという「蹟きの石」を自覚したとき、言語の働きに体系的全体というものを認めるようになる。

 ある対象の長さを記述する諸々の言明は、一つの体系を、命題の一体系を構成しているのである。そのような命題の体系全体が現実と比較されるのであり、一つの命題が現実と比較されるのではない。もし私が例えば、視野のこれこれの点は青いと言えば、私はただ単にその事のみを知っているのではなく、その点は緑ではない、赤ではない、灰色ではない、等々という事をも知っているのである。私は色の序列全体を一度にあてがったのである。(中略)このことは、要素命題は相互に独立である、すなわちある一つの事態の成立から人は他の事態の不成立を推論することはできない、という事を私は信じていた、という事と関係している。しかしながら、命題の体系についての私の今の所見が正しいとすれば、人は、命題の体系によって記述されるある事態の成立から、それ以外のすべての事態の不成立を推論することが可能であるという事は規則ですらあるのである。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』)

 ここでウィトゲンシュタインは、要素から体系全体へ言語の働きの場を移している。「言語論的転回」の根底には、この要素から体系全体へという言語観の転換があるということを、ここでしっかりと見ておく必要があるだろう。そこで再度、ソシュールの言語論に戻ることにする。

e0144936_13283554.jpg その体系の中では、ここの単位の大きさとか価値は、ネガティブにしか規定されない。少々突飛な例かもしれないが、箱の中に入っている饅頭と、同じ大きさの箱の中に押し込められている同じ数の風船のイメージを考えてみよう(図参照)。その風船はただの風船ではなくて、圧搾空気が入っているものと仮定する。さて、饅頭の場合は、その中から一つ取り出して箱の外においても、当然そこに空隙が残されるだけで箱の中の他の関係は変わらない。箱の外に取り出した饅頭自体も一定の大きさ、一定の実体を保っているであろう。ところが、技術的に可能かどうかはさておき、圧搾空気をつめた風船の場合は、箱の中でしか、また他の風船との圧力関係においてしか、その大きさはない。もしその中の風船を一つ外に出すと、当然ながらパンクして存在しなくなってしまう。また、残した穴もそのままであるはずはなく、緊張関係におかれてひしめきあっていた他の風船が全部ふくれ上がってたちまち空隙を埋めてしまうであろう。これがソシュールの考えていた体系であり、ここの項の大きさとか実体性というものは、もともと存在しない。在るのは隣接諸項との間に保つ関係だけであり、ネガティブというのもこの意味に解されねばならない。これを否定的あるいは消極的と訳しにくい理由もそこにあるのであって、ネガティブというのは、「・・・ではない」という規定しか出来ず、「・・・である」という規定が出来ない存在に対して用いられるのである。これはまた、「言語の中には《差異》しかない」というテーゼと深く関わっている。
(ソシュールの思想)

 言語における「饅頭」は、箱の中における圧搾空気の緊張であり、それが同じ箱の中にある別の緊張との平衡を生み出す最中に、この「饅頭」が出現する。言語名称目録観を脱却した言語観を示す表現として、丸山氏のこの例えは秀逸である。ソシュールは言語を、「価値体系」として捉える。その場合の価値とは、圧搾空気の緊張であり、その緊張の平衡が体系である。そして言語におけるこの緊張は、不断の「経験の固有な概念化・構造化」が引き起こしているものなのである。
 先にウィトゲンシュタインは、ある色を示すということは、「色の序列全体を一度にあてがった」ことで成立すると述べていた。「序列全体を一度にあてがう」というのは、順番に比べるとか全体を見渡すといったことではなくて、色の価値が均衡によって示されるのであり、そこに時間差はない。均衡というものは、すべてが同時に働くことで成立するのであり、ウィトゲンシュタインの言うところの「一度に」というのは、このことを指している。そして、この「一度に」が逐次経過的ではないといことが、必然的に「ネガティブ」を意味することとなる。「視野のこれこれの点は青いと言えば、私はただ単にその事のみを知っているのではなく、その点は緑ではない、赤ではない、灰色ではない、等々という事をも知っている」ことだと、ウィトゲンシュタインは述べていた。このことは、見えていると思っている青は、青でない他色との緊張関係によって現前しているのであり、ここに色彩体系が下地として働いている、ということを意味する。そして丸山氏がこれを「ネガティブ」として強調するとき、実在はポジティブというあり方をするということが、ネガティブに示されているのである。
 「言語の中には《差異》しかない」というテーゼは、ポジティブに何かが示されるのではなく、「ではない」という仕方で対象が示されることである。このことを先の「元軍」で考えてみると、ポジティブにある存在対象が示されているのではないから、「これこれ」とそれは規定できないし、「これ」と指で指し示すこともできない。そこで「元軍」の意味は、次のような複合系列の一つのポジションだと考えるとよいだろう。

系列1:中国/日本/朝鮮/…
系列2:王朝/共和制国家/民主国家/…
系列3:集権体制/分権体制/離散的権力体制/…
系列4:集団/離散/個/…
系列5:人間/馬/犬/…
系列6:戦闘/厭戦/非戦/…

 以上の系列1から系列6までの、左端を串刺しにした複合ポジションが「元軍」の意味である。もっともこれは簡略的な系列の列挙であるし、あまり正確であるとも言えない。さらに難しいのは、例えば「元」を中国の王朝だとした場合、その中国は単に日本や朝鮮などを並べて、その系列を表せるものではない。その系列は「国」の系列のように見えるが、「中国」という国は存在しない。また地域のようでもあるが、やはり「中国」という地名は存在しない。ユーラシア大陸の東の二つの大河を中心とし、歴史的にその一帯に幾度も統治体が出現し交代した、といったことを念頭において理解されているのが中国であり、民族を軸として理解できる日本や朝鮮とは同系列とは言えない。このように「中国」という用語がまた、高度に複合的な系列のポジションをその意味とすることを思えば、「元軍」の意味は単なる系列の串刺しに留まるはずもない。それは意味の宇宙という、果てしのないネットワークという表現が相応しいのかもしれないが、そうなると「元軍」の意味は、広大なマトリックスにおける、一つのセルを示すものだと言えるだろう。
 圧搾空気の膨張力が相互に働き合って均衡が生ずると、そこに場というものが出現する。ソシュールはこれを「価値」と呼んだのであるが、ここではそれに「ポジション」という用語を当てた。そしてこれを意味の宇宙だと言うのは、ある膨張力の均衡はまた別の均衡との間にも緊張関係をもっており、それらの間にもまた均衡が出現しているからである。均衡のそのまた均衡というように、それは入れ子状にもなっているのであるが、実際の意味の力場は圧搾空気のような物理的なものではないので、これらが重なり合って相互に浸透もする厄介なものなのである。
 このように多層的多元的な力場の緊張は「作用」なのであり、この作用(もちろん物理的な作用ではない)には実体がない。そして実体がないのだから、それを主題的に見ようとすれば、それは「でない」というネガティブな表現になるのである。意味というものを、実体的な対象のように捉えれば、それはネガティブなのであるが、実際には「その点は緑ではない、赤ではない、灰色ではない」などとは言わない。このように逐次的に並び立てても、それは「青」にはならないからである。ウィトゲンシュタインの言うように、それは「全体を一度にあてがった」のであり、一が全なのである。
 こうしてみると意味とは実に不思議なものであるが、それもまた何かを前提としなければ「不思議」と感じることもないだろう。この意味の宇宙の自覚から、「構造」という用語が生まれた(というのは通常の意味とは異なるからである)のであり、そこから構造主義という思潮が出現もした。この場合の「構造」は「価値体系」のことであるが、このことを「構造」と言うのには問題がある。なぜならば、「構造」という用語は、「何かの構造」というように「組成」に通じてしまい、そこからあの「要素論的構え」に舞い戻ってしまいかねないからである。そしてこの「要素論的構え」の残滓が少しでも残っていると、非実体的な力場のダイナミクスが失われることになる。

 事象世界の基本単位である対象を、名指すという機能によって認識に持ち込み、それら持ち込まれた対象を組み合わせて事象を写像する。これが事象記述の働きであり、この働きに則ることが「事実に基づく」ということである。そしてこのような認識論を前提とする歴史学を、ここでは実証史学と呼んでおこうと思う。なぜならば、史料に基づくとか、論理整合性を備えるなどということは学問であれば当然のことであり、それをもってことさらに実証史学などと言う必要はないからである。その一方で「事実に基づく」というのは、事象世界に直結する名指し機能に依存することである。名指しは機能であってそれ自体は実体をもたないため、遠方にあろうと過去であろうと、時空を超えて直接に届くのであり、この直接性が事実性を保証しているのである。
 そうは言っても、歴史の研究活動のすべてが、こうした意味での実証史学に基づいているのではない。しかしながら、「文永11年、元軍が博多湾に攻め込んできた」を、事象記述だと言って憚らない歴史家が大多数である、という実態は厳然として存在する。そしてそうした人々は、読解や推測の核として、また学としての客観性の源泉にこの事実記述を位置づけるのであるが、そのとき彼らは例外なく要素論的構えを取っているのである。確固とした核となる事実命題があり、この事実命題を要素命題として解釈を含んだ歴史命題が構築されているのだと考える。そしてこの事実命題の事実性は、「元軍」や「博多湾」などの用語が支えているという、これまた要素論的構えを取っているのである。伊藤氏の歴史的知識の段階論も、遅塚氏の歴史の作業工程表も、この点で変わるところはない。
 これ以上遡及不可能という要素に至り、その要素の組み合わせとして事象を説明する。これは今日我々が収得している基本的な知の枠組みなのであるが、このモデルにはめ込むために持ち出されるのが、事実と解釈の二分法である。しかしながら事実とは、前回述べたことであるが、便宜的な機能なのである。「文永11年、元軍が博多湾に攻め込んできた」が事実であるのは、他の多様な言及(解釈)において共有されているところの集約としてである。ほとんどの言及がこの「文永11年、元軍が博多湾に攻め込んできた」を含むために、それは異論のない命題として「事実」なのである。またこの記述は、事実命題として読むものなのであり、ここで「元軍」とは何であるか、などという問いを発しないことがここでの約束事である。この約束を無視して「元軍とは何か」といった問いを一度発すれば、それは際限のない応答となってしまう。例えば、「元軍とは元に帰属する軍隊のことである」と答えれば、「元とは何か」「軍隊とは何か」「帰属するとはどういうことか」という問いが返される。「元とは13世紀後半から14世紀半ば過ぎまで、中国を支配した王朝である」という答えは、次に「中国とは何か」「支配とは何か」「王朝とは何か」という問いを呼び起こす。こうして尽きることなく応答は繰り返され、しかもその範囲は拡大する一方である。そして何よりも、そうした問いに対する答えが事実に留まり、解釈を含んでいないと言い切ることが困難になる一方であることが、この応答の最大の問題なのである。
 事実とは、多様な解釈の共通集約記述であるのだが、共通集約であるために確実なのだ、というわけでもない。それは研究や議論を先に進めるための起点として機能的に設定されたものであり、その機能性を根拠として有効な記述とされるものなのである。このように事実を機能として捉えるならば、事実と解釈は相互依存的なものとして理解されるようになり、語彙の意味を実体的に捉える必要はなくなる。歴史的知識というものは、事実と解釈の本質的区別はなく相互に依存し合う記述体系として存在し、その体系全体で自らを支えているのである。それは記述体系の外側に規範をもつのではなく、言語として必然的に関係し合っている記述集合が、自らの求心力で歴史学を支えているのである。
 そうした意味で歴史学は、自己実現をしているのであるが、自己実現のあり方も様々である。そしてここに示した実証史学の作法は、歴史学の本来の自己実現を妨げている。それは本来の史料批判の力を奪っている。それと言うのも、言語の本来の姿を完全に見誤っている実証史学が、言語による史料批判を本来的に遂行できるはずがないからである。事実記述と解釈的記述の二分法の根底には、それ単独で事象に一致することで確固たる命題となるものを創出する狙いがある。それは言語の外側の事象に何もかもを委ねてしまっているのであり、言語はただ対象を名指すだけの指標に過ぎないものとされる。言語論的転回は、この言語観の上に立った認識論を否定し、言語の自制的働きに新たな展望を開こうとする。この展望においては、事実と解釈は地続きなのであって、事実命題にその機能的有効性を超えるような優越的特権は認められない。そして特定の史料の一文を解釈を含まない記述であるとか、歴史家が提示する一命題が歴史記述の前提になる、といった実証表明を解体するのである。

次回へつづく
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by mizuno_clan | 2013-03-31 13:31 | ☆談義(自由討論)