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【談議1】水野氏と戦国談議(第十回2/2)

1/2より続く

 当知行とは、現実に領地を排他的に占拠している、支配していることを意味する。そしてこの点が重要なのだが、中世においては当知行していることの根拠や由緒の正当性は、実はさほど重んじられなかった。さほど、と書いたのは「御成敗式目」などには、いまだ「二十年」という年紀が明記されているからである。ところが時代が下がるにつれて、年紀すらも問題にされなくなり、単に「いま」当知行であるかどうかが決め手になるようになっていく。他人から不法に奪取しようが、詐術を駆使して契約を踏みにじろうが、いま「たしかに」その地を抑えているのかどうか。その事実と能力こそが高く評価され、所有権の帰趨が現状を後追いするかたちで認証されるのである。現在でも一定期間ある特定の土地を占有していると「取得時効」が成立するが、それはあくまでも稀有な事例である。ところが中世にあっては、驚くべきことに、それこそが状態であったのだ。
(本郷和人著『武士から王へ』)

 鎌倉時代には、二十年間以上に渡って土地の実効支配の実績があれば、その土地はその支配者に帰属するという幕府法が存在していた。そしてその後、二十年という形式的な基準がはずれて、実際に今現在誰がその土地を支配しているのかで、その地の帰属が決まるようになっていく。まさに実力主義の戦国時代にふさわしい基準のように思えるが、非在地領主に対する在地領主の優位ということであればあらためて言うまでのこともない。当知行には、もっとラディカルな時代を動かす原理としての力が宿っている。
 本郷氏が当知行の説明として、「現実に領地を排他的に占拠している、支配していることを意味する」と述べているが、これまでみたように「領地」は多相であり、買得地などは「排他的に占拠している」と言えるものではない。それでは買得地は当知行ではないから、領主に帰属しないものかといえば、当然そんなことはないのである。また「いま“たしかに”その地を抑えているのかどうか。その事実と能力こそが高く評価され」と言うが、「抑えて」とは具体的に何を指しているのだろうか。土地を囲い込んで、そこに居住し生産に従事する人々を隷属させることを指しているのであろうか。だが、これまでみてきた村の権力は、「この時代、在地領主は、領主権の中心をなす広義の勧農権を、新しく成立してきた惣村に吸収されつつあり、その在地性の根拠を失いつつあった」(勝俣鎮夫著『戦国時代論』)と言われるほどに成長しており、単純に抑えられるような存在ではない。したがって、戦国期の当知行というものを、これまでリゾーム型権力モデルで捉えてきた所領とか村権力に整合するように、その定義を捉え直す必要があるだろう。この点については、次回のテーマとして掘り下げていこうと思う。

 今回のテーマは、領域内の権力という秤の平衡作業に専念している戦国大名が、どうしたわけで隣国の紛争に軍事介入までするのか、そのメカニズムを解き明かすことであった。そしてメカニズムは、分散性と零細性を特質とする所領主が、散在する所領の安全保障を戦国大名に託すことにあり、その所領の散在は託された戦国大名の公権領域を超えていることにあると考えた。天文十三年の松平信孝排斥に始まった西三河動乱が、隣国の織田信秀と今川義元の軍事介入を招いたのもこのメカニズムにあると推測したが、読者の皆さんはこれをどうみるであろうか。
 そしてこのメカニズムを、当知行という言い方に倣って「当事案」と呼ぶことにする。西三河に軍事介入した尾張東部の武家領主は、信秀の下知に従ったというよりも、松平氏の内部抗争により危機にさらされた買得所領を防衛するという「事案」に向き合っていた。そして彼らはこの「事案」の当事者として、自らの利害と意志において参戦していたのである。リゾーム型権力モデルにおいては、合戦や軍事介入に武家領主が従軍するのを、ツリー型の大名権力による主従原理に従った強制的動員とは捉えずに、その当の事案に対する当事者が主体となっていると捉える。そしてそのことを表す言葉として「当事案」を使うのである。

by mizuno_clan | 2009-03-08 14:54 | ☆談義(自由討論)