【推薦図書7】『続 加藤清正「妻子」の研究』 »»Web会員««

『続 加藤清正「妻子」の研究』

 本会員の水野勝之氏・福田正秀氏による共同研究『加藤清正「妻子」の研究』が、2007年10月に上梓され、本ブログにおいても紹介したが、この書により、根拠もなく語られていた清正の妻子の全貌を、史料考証により明らかにされた。
 刊行を機に、新たな史料の発見と発掘が進み、積み残された幾つかの謎も解け、お二人の研究は進展し、待望の続編として纏められようやく刊行されるに至った。
 この研究から見えてきたのは、清正と妻子とめぐる様々なの愛の形であった。

 本書は題名通り「加藤清正の妻子」についての研究書であるが、「あとがき(水野勝之)」に、「――清正夫人となった水野勝成の妹、清浄院のことを知りたいという単純な動機から、続編を出版するまでの広がりを見ようとは……」と書かれているが如く、水野家を出発点とした著書であるだけに、水野家についての史料考証は秀逸である。
中でも「第四章 正室清浄院(水野氏)と八十姫(瑤林院)」には、八十姫(瑤林院)生母を証明する該当史料が「水野家記」(福山城鏡櫓蔵)、水野家文書の「水野記」(京都・龍光院蔵)などから、根拠部分が紹介されている。この他、写真と共にそ今回初めて発見された史料も掲載されている。
 また福田・水野両氏がそれぞれ記された「あとがき」には、異口同音に「様々不思議な導き、宿命の出会い」の体験を書いておられるが、水野氏史研究においても過去に様々な不思議な導きを体験しており、多くの先人のお導きお力添えがあってこそ、氏史研究が進んでいくことを改めて実感した次第である。

 尚 今般著者の水野勝之氏から、本著の発刊に先立ち水野氏史研究会に恵贈されました。お心遣いに深謝申し上げます。

 会員各位にはぜひご一読をお勧めします。
                                 研究会事務局


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『続 加藤清正「妻子」の研究』
水野 勝之著
福田 正秀著
ジャンル:論文・学術書・参考書
ISBN:978-4-434-16325-8
ページ数:312ページ
判型:上製本 A5判
発売日:2012年1月24日
価格:3,150円(本体価格3,000円)
分類コード:3021
出版 : ブイツーソリューション
発売 : 星雲社

【内容紹介】
新史料から見えてきた愛のかたち
『関宿加藤家文書』
『高田藩榊原家史料』
「第29回熊日出版文化賞」受賞作品 続編


【目次】
はじめに

第一部加藤清正の妻子
第一章清正の息女名前の謎
第二章糟糠の妻山崎氏と虎熊・百助
第三章側室竹之丸殿(淨光院)とあま姫(こや)
第四章正室清淨院(水野氏)と八十姫(瑤林院)
第五章側室川尻殿(本覚院)と忠正(清孝)
第六章側室正應院(玉目氏)と忠廣
第七章清正の息女あま姫(こや)
第八章清正の息女瑤林院八十姫
おわりに―「加藤清正の妻子」まとめ
◎加藤清正妻子年譜

第二部新出史料の研究
第一章関宿加藤家文書
第二章高田藩榊原家史料
第三章成羽山崎家文書
第四章庄林氏由来
第五章加藤清孝史料
第二部のおわりに

参考文献

あとがき



●update 2012.02.26
「熊本日々新聞」の書評に『続加藤清正 妻子の研究』の書評が掲載されました。
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by mizuno_clan | 2012-01-22 17:02 | 推薦図書

【推薦図書6-2】「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」(後編)

 昨年、本会々員の森 伸之さんが、「大高城をめぐる攻防と周辺勢力(前編)」と題する論文で、「水野氏」を数多く採り上げられましたので、本会ブログで、【推薦図書6-1】「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」としてご紹介いたしました。
 本論文は、当初『愛城研報告』に投稿されましたが、かなりの長文のため、第14号と15号に2分割し掲載されることになりました。
 昨年の、第14号(2010年8月)は、「大高城をめぐる攻防と周辺勢力(前編)」として、全8節の内前半の1節から4節が掲載されました。
 本年は、後編として、2011年9月発行の15号に、5節から8節までの続きが掲載されました。
森さんから再び送られた、第15号の表紙、および本論文の第1ページ分の画像を参考資料として掲載します。
 詳細については、 「愛知中世城郭研究会出版案内」をご参照ください。

◆【推薦図書6-1】「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」
                                             研究会事務局



◆森さんのブログ
徳川家康と知多半島(番外:大高城に関する論文)


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by mizuno_clan | 2011-10-10 11:45 | 推薦図書

【推薦図書6-1】「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」

 今般、本会々員の森 伸之さんが、「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」と題する論文で、「水野氏」を数多く採り上げていただいておりますので、本会ブログでご紹介いたします。
 本論文は、『愛城研報告』に投稿されましたが、長文のため、第14号と15号に2分割し掲載されることになりました。第14号(2010年8月)は、最新刊で、「大高城をめぐる攻防と周辺勢力(前編)」として、全8節の内前半の1節から4節が掲載されました。後編は、2011年発行の15号に、5節から8節までの掲載が予定されています。
森さんから送られた、第14号の表紙、目次、および本論文の第1ページ分の画像を参考資料として掲載します。
 詳細については、 「愛知中世城郭研究会出版案内」をご参照ください。

                                                         研究会事務局



◆森さんのブログ
徳川家康と知多半島(番外:大高城に関する論文)

◆2011.10.10 update
【推薦図書6-2】「大高城をめぐる攻防と周辺勢力」(後編)




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by mizuno_clan | 2010-08-23 17:28 | 推薦図書

【推薦図書5】 『桶狭間-神軍・信長の戦略と実像』»»Web会員««

 水野氏史研究会委員の 江畑 英郷氏が、今般、初刊『桶狭間-神軍(かみいくさ)・信長の戦略と実像』を上梓されましたので、会員諸氏に御案内いたします。

 江畑氏は、三十年も前から信長が大好きで「桶狭間合戦」に強い関心を持っておられました。近年は、桶狭間古戦場跡を度々採訪し取材を進めてこられました。こうした取材に基づき、多くの史料の裏付けにより、現在は通説となりつつある信長の正面攻撃説を見事に覆し、また『信長公記』を慎重に読み解き、その謎の数々を解明し、何度も推敲を重ね、今般ようやく刊行する運びとなりました。

 ご存じの通り、来年は「桶狭間の戦い」から450年の、歴史的節目の年となりますので、誠に時機を得た出版であり、その反響を大いに期待したいところでございます。

 私も草稿の段階から試読しており、本著における史料の多用さにも感心しますが、『信長公記』の緻密な解読による思いもかけない展開には、著者の高才の一端がうかがわれ感服する次第です。このような素晴らしい研究成果を、会員諸氏にご高覧いただきたく推薦させていただきました。

 本会の主旨に関しては、特に「第五章 信長の必勝プラン 二、桶狭間の戦いと水野氏」 に、信長の同盟者と言われる「水野氏と桶狭間合戦との関連」について、40ページにも渡り詳しく言及しておられます。「桶狭間の戦い」以前の「村木砦の戦い」から、その背景を探り、水野信元、水野金吾、水野信近に対する驚愕の考察は、水野氏史研究会の重要研究課題の一つである「小河水野氏研究」を、この著書により大いに進展させたものと評価いたします。江畑氏が長年暖めてきた水野氏史研究の成果が、今ここにようやく花開いたといっても決して過言ではないと思います。
従いまして本会は、本書を「本会の推薦図書」に指定いたします。 
 ただいま全国書店およびネット通販で販売が開始されましたので、水野氏史研究会々員およびゲストのみな様には、ぜひともご購読下さいますようお願い申し上げます。

                                             研究会事務局 世話人 水野青鷺




【著者のブログ】本書のための特別サイト「桶狭間」も開設されましたので、ぜひご覧ください。
*読書感想やご意見・コメントなどは、この特別サイトにお書き込みください。

◆2009.12.25 から読了後コメント・質問などが寄せられています。
http://blog.zaq.ne.jp/hazama/

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出版社: カナリア書房
ISBN-10: 4778201248
ISBN-13: 978-4778201241
¥ 1,680

『桶狭間-神軍・信長の戦略と実像』単行本

【目次】
はじめに
序 章 大うつけと桶狭間合戦の謎――それは奇跡の大逆転であったのか――
<戦術編>
第1章 かつての定説と今日の定説――「迂回説」と「正面攻撃説」――
第2章 迂回の真偽を探る――信長の不可解な行動、その真相――
第3章 今川軍敗北の真相――どこを奇襲すれば勝てるのか――
<戦略編>
第4章 信長の勝算と合戦の起因――戦いを仕掛けたのはどちらだったのか――
第5章 信長の必勝プラン――それは偽装・裏切りの合従戦略だった――
第6章 桶狭間の勝者、信長の実像――虚にして武、それが信長である――
あとがき
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【紹介文】
歴史に燦然と輝く奇襲劇 『桶狭間の戦い』
その舞台裏を紐解く、衝撃の作品!
新進気鋭の著者が歴史の常識を覆す。

織田信長が戦国時代の桧舞台に躍り出たキッカケとなる劇的な奇襲劇「桶狭間の戦い」。
その鮮やかさこそが、信長の鬼才・天才ぶりを世に知らしめることになった。
ところが、そんな「桶狭間の戦い」にカラクリがあったとしたら?
後世の歴史書が伝える「桶狭間」の隠された真相とは?
常識を覆す「桶狭間」論を展開する歴史ファン必見の1冊です。 (カナリヤ書房)


●最新学説による精緻な解釈!「迂回奇襲」の新定説、誕生。●第一級史料といわれる『信長公記』。しかし「桶狭間合戦」の核心部分には大きな欠落があり、それが今日まで大きな謎を生み出してきた。本書ではこのテキストを精緻に読み解き、最新学説とあいまって、驚くべき真実を明らかにした●今川軍が絶対有利の兵力を展開しながらも「奇跡の大逆転」が生起した。大兵力に潜む唯一最大の弱点とは何だったのか!?●桶狭間合戦は「大うつけ」信長の合戦であった。数々のエピソードから信長の実像を探り、大合戦に勝利し後の飛躍につながる信長の「原点」に熱く肉薄する。(ジュンク堂書店)
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by mizuno_clan | 2009-12-17 05:09 | 推薦図書

【推薦図書3】『尾張の古城』―全三四〇城を訪ねて― »»Web会員««

e0144936_43593.jpg  水野氏史研究会々員で愛知県瀬戸市生涯教育講座講師を務めておられる笹山 忠 (ハンドル:物好きな隣人)氏が、平成二十年(2008)8月印刷、10月自費出版された『尾張の古城』――全三四〇城を訪ねて――をご紹介します。
 本著は、2年有半にわたり、中世末の尾張(現 愛知県)にあった古城の址を、くまなく訪ねて紹介してきた同氏開設のブログ「古城探訪記」の記事を元に、中世末の尾張に存在したと思われる340の全城を、1冊の本にまとめて紹介したものです。
この内「水野氏」については、同著「人名索引(50音順)」には、水野右京進、(以下水野を省く)作右衛門、勝重、勝成、貞守、大膳、高康、忠氏、忠綱、忠政、忠守、忠分、帯刀、為善、藤助、信元、宗国、致国、守隆、良春、分長の21名が登場します。また築城や在城した城は、川村南城をはじめ高藪城にいたるまで計17城址にも及んでいます。
 水野氏の尾張における城との関わりの集大成としても大変貴重な史料となっていることから、会員各位にはぜひご精読をお勧めいたします。 (研究会事務局)












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『尾張の古城』――全三四〇城を訪ねて―― 笹山 忠 著
 B5版 360頁(カラー写真入り)
 頒 価 2,500円(送料込み 3,000円)
 お申し込みは、電話&Fax 0561-82-0874   「ささやま」 まで

<目次>
序に代えて
中世末の尾張について
中世の城
この書の見方
尾張の城
 1 名古屋市の城址(93城)
 2 東尾張の城(91城)
   小牧市・春日井市・尾張旭市・瀬戸市・西春日井郡・北名古屋市・清須市・日進市
   豊明市・愛知郡長久手町・同 東郷町
 3 西尾張の城址(91城)
   犬山市・岩倉市・江南市・丹羽郡大口町・同 扶桑町・一宮市・稲沢市・愛西市・津島市
   弥富市・海部郡美和町・同 七宝町・同 大治町・同 蟹江町
 4 南尾張の城址(65城)
   大府市・知多市・東海市・常滑市・半田市・知多郡東浦町・同 阿久比町・同 武豊町
   同 美浜町・同 南知多町
織田氏系図
参考文献一覧
(巻末目次)人名索引
城名索引
あとがき

<内容>●本書「序に代えて」から抜粋
 前作の「瀬戸の古城」(平成15年刊)が思いのほかのお褒めをいただいたこともあり、もう少し範囲を拡げてみようと、足を伸ばしているうちに、いつか尾張の全域にまで調査の範囲が広がってしまった。記録によると、中世の頃、いまの尾張全域で三八〇を超す城館があったという。もちろんこれは何らかの記録が残っていたからわかった数字であり、記録に残らなかった城館もあると思う。また同時期にこれだけの城が存在したのではあるまい。  現代のわれわれが想像する城とちがって、中世の城は石垣も天守閣もなく、土を掘り上げただけの堀、その盛り上げた土を防御壁とし、建物も瓦葺きよりも、板葺きか萱葺きの屋根が殆どだったと思われる。[後略]」



<著者略歴>
『本著』から抜粋編集
1935年 愛知県瀬戸市生まれ
1957年 三重大学農学部卒
(●2012.11.13update)
2012年5月 逝去

著書
 「不如守中」
  朝日新聞「経済気象台」のコラムを3年間にわたり執筆したものを収録し刊行(1996)
  「農業農協問題入門」
   (株)インパクト・リサーチ社の発行紙に寄稿したものをまとめて発行(1999)
 「瀬戸の古城」
   消えてゆく中世末の市内の古城址を訪ねて、その現状と略史をまとめて発刊(2003)


<書評>☆本著の特徴として、各項目別に、城名と別名がある場合はその別名、所在地、築城年代などの基本情報の外、読者が城址を探訪する際に目標となる目印・建物や、「行き方」として鉄道名と最寄駅、出口情報、そして車での探訪時のための道案内など細かな配慮が成されており、史料としての価値の外、古城紙探訪愛好家へのガイドブックとしても優れた構成となっています。
☆著者とのお付合は、拙ブログ∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」の取材のため、平成17年(2005)九月初め、瀬戸市水野公民館を訪ね、係の方から「中世城館址研究『瀬戸の古城』―平成15年5月― 著者 笹山 忠 氏」の書籍を貸出させていただき、その後この書を手本として、小生なりに色々と資料をあたり考察を続けてようやく纏める目処が立ち、草稿を笹山先生に郵送したことに始まります。先生はご多忙中にもかかわらず早速ご検閲いただき、不明な箇所にもご親切にお答えいただいたり、また数々の誤りをご指摘いただきました。これを機に、本著にも記載されている「水野城」ほか瀬戸の古城址を先生に同行させていただき採訪したことが、今では懐かしく思い出されます。
 先生は、これを遡る四年も前から、本著掲載の城址調査を開始されており、ご高齢にも関わらず、また暑さ寒さもいとわずに各地を探訪され、七年の年月をかけて今般ようやく刊行の運びとなりましたことに、心から祝意と敬意を表します。――水野青鷺
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by mizuno_clan | 2008-10-23 16:44 | 推薦図書

【推薦図書2】「戦国期知多半島の豪族と禅宗菩提寺」

「戦国期知多半島の豪族と禅宗菩提寺」
e0144936_18254789.jpg 2008年8月9日「第一回 水野氏史研究会 連絡会」懇親会会場で懇談させていただいた、織豊期研究会々員で、名古屋大学特任准教授・斎藤夏来先生から、2005年9月に上梓された『戦国期知多半島の豪族と禅宗菩提寺』に、「小河水野氏」のことを書いておられると教えていただきましたので、遅ればせながら会員各位にご紹介いたします。
 本著は日本福祉大学知多半島総合研究所/編 新刊『知多半島の歴史と現在 No.13』に収録されております。(執筆当時は日本福祉大学非常勤講師)
 題名にある知多半島の豪族とは、水野氏と佐治氏であり、それぞれの菩提寺である禅寺に焦点を当てた「小河水野氏の史料」として、誠に興味深い論考であります。
 会員各位にはぜひご精読をお勧めします。 (研究会事務局)

update 2010.04.01
斎藤夏来先生は、2010年度から、岡山大学教育学部 社会科教育 日本史学の准教授に着任されました。



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『知多半島の歴史と現在』 No.13
編者:日本福祉大学知多半島総合研究所
発行所 : 校倉書房 
発行年月 : 2005.9
  サイズ : 21cm / 241p
  ISBN : 4-7517-9013-7
  価格 : ¥3,150(税込)

[歴史・民俗]
「戦国期知多半島の豪族と禅宗菩提寺」斎藤夏来/著
<目次>
はじめに
1 水野氏の台頭と地域寺院
2 水野氏の先祖「神話」と乾坤院
3 佐治氏の先祖「縁起」と斉年寺
おわりに


<内容>
●本書「おわりに」から抜粋
 「本稿では、知多半島地域史の重要なてがかりとしてすでによく知られている「水野先祖御判物写」『万松寺斉年寺縁起』などの諸史料が、いずれも地域の新興勢力である禅宗寺院の開基檀越の由来を語る「神話」ないし「縁起」として伝来している事実にあらためて注意を喚起した。そのうえで、これらの記述内容について指摘されている「作為性」は、見方をかえれば、現在の地域史研究の水準でも完全に否定することは難しい、ある意味では地域の歴史の焦点を鋭くついた教養の所産であることをみた。このような禅宗寺院周辺の教養が、当地域の新興勢力であった水野氏や佐治氏をひきつけ、彼らの禅宗受容、すなわち禅宗系菩提寺の創建を促したものではないかと考えてみた。[後略]」


<著者略歴>
『禅宗官寺制度の研究』から抜粋編集
1969年 福井県に生まれ愛知県に育つ
1993年 東京大学文学部第二類(史学科)国史学専修課程修了
1999年 名古屋大学大学院文学研究科博士課程史学地理学専攻単位取得退学
2001年 博士(歴史学)
 日本学術振興会特別研究員
 日本福祉大学情報社会科学部非常勤講師
 愛知県立大学文学部非常勤講師
 名古屋大学特任准教授(付属図書館研究開発室)
2010年 岡山大学教育学部 社会科教育 日本史学 准教授

[著書]
・『禅宗官寺制度の研究』 吉川弘文館 2003年
・「織豊期の公帖発給権――五山法度第四条の背景と機能――」
  『織豊期の政治構造』 編者 三鬼清一郎 吉川弘文館 2000年 第一部 権力構造論

[主要論文]
・「禅宗十方住持制の再検討」(『禅文化研究所紀要』26、2002年)
・「戦国期知多半島の五山文学受容―『鏤水集』の検討を中心に―」(『年報中世史研究』 29、 2004年)
・「秀吉の画像賛」(『禅学研究』86、2008年)
・「家康の神格化と画像」(『日本史研究』545、2008年)


<書評>
☆著者の禅宗についての史料考証の確かさについては述べるまでもないが、関連する16の論考、30数点にも及ぶ史料考証をもとに、小河水野氏の菩提寺である宇宙山乾坤院(愛知県東浦町)との関わりについて、宗教と水野氏という興味深いテーマを取り上げている。史料の多用さにも感心するが、緻密でありながらも整然とした読みやすい文体には、著者の高才の一端がうかがわれ感服する。このような素晴らしい研究に心から敬意を表したい。
なお、本著には記載されていないが、永享九年(1437)生まれで、小河水野の祖ともいえる水野貞守は、水野郷(愛知県瀬戸市)において仏道に帰依し、同郷の感應寺に香華堂を建立したと記録にあるそうである。したがって水野貞守が寄進し川僧慧済により開山した宇宙山乾坤院の建立以前に、既に水野氏と宗教との関わりがあったことになる。――水野青鷺
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by mizuno_clan | 2008-09-12 18:34 | 推薦図書

【推薦図書1】『加藤清正「妻子」の研究』 »»Web会員««

『加藤清正「妻子」の研究』
 本会員で、旧備後福山藩・下総結城藩水野家二十代御当主水野勝之氏が、昨年十月に上梓された『加藤清正「妻子」の研究』についてご紹介します。
<2010.03.17>共著者 福田正秀氏、本会入会。

 本書は題名通り「加藤清正の妻子」についての研究書であるが、「あとがき」に記されているように「――思いだして見ると我が家にある系図に加藤清正に嫁いだ女性がいると云う単純な興味からの始まりがここまで広がろうとは思いませんでした……」と書かれている如く、水野家を出発点とした著書だけに、水野家についての史料考証は秀逸である。
中でも「第四章 清浄院(水野氏)とあま姫(瑤林院)」には、「水野本系図」(茨城県歴史資料館蔵)、「水野家記」(福山城鏡櫓蔵)、水野家文書の「水野記」などが写真と共にその内容が記され、今回初めて発見された史料も掲載されている。
 会員各位にはぜひご一読をお勧めします。
                                  研究会事務局




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『加藤清正「妻子」の研究』


水野 勝之著
福田 正秀著
税込価格 : ¥3,150 (本体¥3,000)
出版 : ブイツーソリューション
発売 : 星雲社
サイズ : 22cm / 258p
ISBN : 978-4-434-11086-3
発行年月 : 2007.10
内容説明 :
転換期の近世初頭、家と家との絆となった姫たちの信仰と祈りとは−。清正・忠廣のわずか2代で江戸初期に断絶した有力大名加藤家。根拠もなく語られている清正の妻子の全貌を、史料考証により明らかにする。








<目次>
はじめに
第一章 諸説検証
   一、清正の子供たち
      1、一男二女説・一男三女説・二男二女説
      2、三男二女説
   二、母子系図
第二章 山崎氏と虎熊 
   一、肥後入国前からの妻子(秀吉朱印状)
   二、糟糠の妻は山崎片家息女(山崎家譜)
   三、虎熊の実在(清正書状)
      1、清正親子で朝鮮出陣計画
      2、虎熊第二陣二千の大将
      3、急ぎ虎熊差越すべし
      4、急使安田善介帰国
      5、虎熊母煩う
      6、朝鮮在陣長期化を覚悟
      7、虎熊出陣最終命令
      8、虎藤を朝鮮王子と質交換(奮忠舒難録)
   四、清正に百助という養子がいた(山崎家譜)
第三章 徳川時代の清正の妻たち
   一、帰国三年、四人の妻に四人の子
   二、「加藤家御侍帳」に見る加藤家の女性たち
第四章 清淨院(水野氏)とあま姫
   一、結婚の背景
   二、加藤家へ入った清淨院の付人たち(水野家文書)
   三、関ヶ原直前に大坂脱出
   四、黒田如水の支援と過酷な山中越え(黒田家譜)
   五、清正の祈願と歓喜(清正書状)
   六、あま姫生母の証明
    証明一 幕府編纂系図
      1、『寛永諸家系図傅』
      2、『寛政重修諸家譜』
    証明二 徳川實記
    証明三 水野家文書
      1、「水野本系図」
      2、「水野家記」
      3、「水野記」
    証明四 本圀寺の墓
    証明五 身延二十七世日境上人の弔状
    証明六 紀州徳川家史料
      1、『南紀徳川史』
      2、あま姫は肥後生れの肥後育ち
      3、金婚と逝去
    証明七、菩提寺報恩寺に両親の位牌
   七、熊本にも清淨院の墓(法宣寺)
第五章 淨光院(菊池氏)と古屋姫
   一、古屋姫の誕生
   二、生母は本覺院か竹之丸殿か
   三、徳川四天皇の榊原家へ嫁ぐ
   四、阿倍正澄に再嫁、二子を産む
   五、古屋姫の子正能老中となる
   六、古屋姫(本淨院)の墓地調査
   七、古屋姫の母は淨光院
   八、古屋姫娘の墓(日向延岡藩二代有馬康純室)
第六章 本覺院(菊池氏)と忠正
   一、最初の江戸妻
   二、忠正死して清正悲嘆にくれる
   三、文献史料に深まる謎
   四、本覺寺は清正在世時の建立
   五、菊池武宗の息女説
   六、墓碑と石祠に見える物語
   七、二基の墓、淨得院は誰?
   八、柄鏡に映る妻たちの交流
第七章 正應院(玉目氏)と忠廣―改易への階段
   一、忠廣生母の証明
   二、玉目氏とは
   三、忠廣肥後五十四万石を相続
   四、馬方牛方騒動
   五、三斎書状に見る改易の真相
   六、忠廣と光正、父子の対立
   七、紀州頼宣の働き
   八、庄内配流と塵躰和歌集
   九、庄内丸岡・家臣と女中
   十、忠廣の祖母を迎えに
  十一、丸岡での生活
  十二、正應院と忠廣逝去
  十三、加藤家廃絶と遺品のゆくえ
第八章 二代忠廣の妻子
   一、崇芳院(蒲生氏)と松平光正
      1、崇法院の熊本生活
      2、光正の清正崇拝
   二、法乗院(玉目氏)と正良・献珠院
   三、献珠院―父を慕いて
      1、御赦免と阿部四郎五郎家へ輿入れ
      2、池上本門寺墓で親子の対面
   四、丸岡時代の妻子
おわりに
  真正 加藤清正「妻子」系図


<内容>
●「今だからわかる!」史料で探る真実の妻子関係
 清正には妻五人に実子五人と養子が一人いた。これまでの定説では妻三人に子は四人とされ、母子系譜も間違いだらけ。根拠もなく語られてきた加藤清正「妻子」の全貌が、清正の正室清淨院(家康養女)の実家水野家の当主と熊本の研究家による徹底的な史料考証で四百年ぶりに明らかに。豊臣時代これまで全く知られていなかった妻子の存在、徳川との固い絆となった姫たち。加藤家斷絶の裏に二代忠廣の妻子たちなど、これは清正の実像を知る上で必要不可欠な、近世初頭の有力大名肥後加藤家の成立と滅亡にも関わる基本的に重要な研究成果である。
●英雄を陰で支えた女たち
 戦国から泰平への大きな転換期の時代、清正の血を誰がどのように伝えていったのか。家と家との絆となった姫たちの信仰と祈りは。正室と側室の関係など、これまで名も知れず歴史の陰に消えていった大名家の奥に生きた女たちの様々な真実が明らかになる。女性史研究上も必見の一書。


<書評>
●熊本日日新聞社 『第29回熊日出版文化賞』受賞, 2008/3/22
☆選考委員評☆ (2008年2月16日熊本日日新聞「熊日出版文化賞」決定報道より)・諸説ある清正の妻子関係を文献や墓碑調査などから検証した。
・イメージが先行しがちな清正とその妻子の実像を客観的に実証した。
・墓や寺に足を運び、歴史科学の視点からアプローチしている。
☆謎多かった家系 真実に迫る労作(2008年2月24日熊本日日新聞「受賞作の魅力」) 封建時代の系譜について女性の記録は少ないし、系譜の誤謬も多い。それぞれの時代を家と子供のために必死に生きた女性たち、その真実をこのように明らかにする研究に敬意を表したい。 富田紘一(熊本市文化財専門相談員)
☆<評>熊本日日新聞『散文月評』(平成19年11月25日)
「資料考証、実地踏査を踏まえてもたらされた史実にも驚かされるが、文章のうまさも加わり謎解きの面白さを追体験できる。資料に残りにくい女性を系図に復元するという意表をついたテーマと整然とした論証は、むしゃんよか、の一言に尽きる」
 *むしゃんよか=熊本の方言で「武者振りが良い」すなわち「男らしい」「かっこいい」という意味。
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by mizuno_clan | 2008-05-17 19:11 | 推薦図書

【推薦図書4 】 『下天を謀る』

水野氏の新聞連載小説 

今般本会員のお二人からご連絡を頂き、平成二十年(2008)一月四日から「中日新聞夕刊」「西日本新聞夕刊」「北海道新聞夕刊」に、安部龍太郎著『下天を謀る』と題する「水野氏」も登場する新聞連載小説が掲載中である事がわかりました。先日「織豊期研究会」例会で安部龍太郎先生と極短時間お話しする事が出来、本会の存在もお知らせする事ができましたが、残念ながら先生は大変ご多忙でいらっしゃるので、この小説についての仔細には話が到りませんでした。


安部龍太郎著 『下天を謀る』 (げてんをはかる)
 この小説の主人公は藤堂与右衛門高虎ではありますが、小牧長久手の戦い当時の水野忠重および嫡子勝成と水野信元の末娘照葉が登場します。この「照葉」(仮名?)については現在のところ史料は散見されませんが、どなたかご存じの方がおられましたらお知らせ下さるようお願いいたします。
<2010.3.18> ヒロインの水野照葉(水野信元の遺児)は、著者が造形した架空の人物であることが判明しました。


(あらすじ)2009.05.12更新
 浅井長政の家臣の家に生まれた藤堂高虎は、五人目の主である羽柴秀吉の弟・秀長の侍大将として仕えている。身長六尺を超える巨漢、高虎の武勇は広く知れわたっていた。
天正十二(1584)年、天下を狙う秀吉は小牧城に入った家康を包囲。二十九才の高虎は秀吉のもとに駆けつけ、家康の本拠地・三河を襲う策を聞いた。同年四月、長久手で秀次軍は徳川家康軍に惨敗。救援に駆けつけた羽柴秀吉軍は水野勝成隊の待ち伏せに遭うが、藤堂高虎らの活躍で退けた。六月、秀吉は竹鼻城を攻略。その間に家康は佐々成政、長宗我部元親、惣国一揆の面々、さらに朝廷にも調略を行い、秀吉包囲網を築いた。八月、ついに秀吉は犬山城に入り、小牧山城の家康と対峙する。この羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍による小牧、長久手の戦いは十一月に秀吉が信雄に単独講和を申し入れ終戦した。
 翌天正十三(1585)年三月、秀吉は紀州征伐を開始。根来を攻め落とし、信雄軍とともに雑賀の太田城を水攻めにする。その陣中で起きた水野勝成と池田輝政の私闘を、秀吉の侍大将・藤堂高虎は止めようとする。四月、太田城は降伏し、羽柴秀吉の紀州征伐は成った。陣払いの最中富永一門に襲われた水野勝成の盾になって照葉が撃たれた。藤堂高虎は照葉の身を預かり、介抱するうちに惹かれていく。六月、秀吉は四国攻めを開始。高虎は侍大将の身で抜け駆けをして胸に弾を受け、主の秀吉に叱責される。八月、高虎は秀吉のもとで四国の長宗我部元親との和睦を成功させた。
 天正十四(1586)年、関白になった秀吉は家康に母の大政所人質に出して、十月に上洛させ、高虎が改修した聚楽第の西の丸を与えて臣従させる。十一月、従兄弟の家康に勧められた縁談を断って刈谷に帰る照葉に、高虎は再会を誓った。同年、秀吉は惣無事令に反した島津義久に対し進軍を開始した。
 天正十五(1587)年、敗走する島津勢に対し、高虎は秀長の指示で追撃をしなかった。五月、これに恩義を感じた義久は降伏した。六月、九州征伐を終えた秀吉は突如バテレン追放を発令。しかし外国との貿易を継続するために秀長をイエズス会との交渉役にあてる。その使者として高虎は長崎に向かい、イエズス会から交渉を円滑にすすめる確約を得た。博多に渡る前日、加藤清正から照葉との縁談を打ち明けられ、高虎は照葉との恋仲になった事を伏せて祝った。
 天正十九(1591)
年、秀長は千利休とともに秀吉の朝鮮出兵を止めようとするが、叶わないままに病没。千里利休は切腹させられた。
 文禄四(1595)年、秀吉は関白を継がせた秀次を廃し、秀頼を後継者にしようとする。高虎はおびえる秀次に秀吉との対話を勧め、和解させた。政権内の権力争いの中で、主の秀保を暗殺された高虎は、初七日の後に出家。秀次は聚楽第の金を遣い込んだと罪に問われる。秀次の無実を訴える高虎のもとを、家康の書状をたずさえた照葉が訪れた。
同年、藤堂高虎は、徳川家康の考えに共感し、高野山を下りて板島城(伊予国宇和島城)主になる。三年後の慶長三年(1598)に秀吉が没し、後の覇権争いの中で、翌慶長四年(1599)一月に石田三成が家康襲撃を企てるが、高虎は事前に察知して家康を逃がした。三月に家康は前田利家を見舞うと三成が現れて挑発。高虎はいきりたつ武断派を抑え、家康の退路を確保して三成ら文治派の手出しを封じた。
 慶長四年(1599)閏三月、前田利家が没し、最大の後ろ楯を失った石田三成は、加藤清正ら武断派により襲撃され逃亡を図った。これを知った藤堂高虎は、文治派である宇喜多秀家の出兵を止めて両派の衝突を避けた。この騒動は徳川家康の仲介により、三成が奉行を辞して事は収まった。翌四月、清正の計らいで高虎は思いを寄せる照葉と大文字山中で一夜をともにする。
 慶長五年(1600)、高虎は、徳川家康の要請に応じて、上杉景勝を攻める会津征伐軍に加わるべく遠征を開始した。すると大阪では石田三成が挙兵し、諸大名の屋敷を包囲して妻子を人質にとった。これに対し加藤清正は、正室の清子を脱出させるために、家臣の梶尾助兵衛を派遣した。助兵衛は医者に通うと見せかけ、清子を侍女の照葉らとともに屋敷から救い出した。
同年八月、高虎ら東軍は、家康の命により岐阜城を攻略。石田三成は退き、西軍は関ヶ原に兵力を集中せざるを得なくなった。翌九月、密かに江戸を発った家康が本陣に入り、小早川秀秋と吉川広家から西軍を裏切る誓書を得た。両軍が布陣した関ヶ原で、高虎配下の多賀新七郎良勝が一番首を挙げる。
これら高虎の工作により、誓約通り秀秋が寝返り、徳川家康軍が勝利した。槍傷をうけた藤堂良政は勝勢を見届けるように没した。
 慶長十三年(1608)、高虎は伊予今治二十万石から伊賀伊勢二十二万石に転封。築城家として豊臣家包囲網の形勢に尽力し、三年後の同十六年(1611)には、領国の津城、伊賀上野城の改修に取り掛かる。
 慶長十六年(1611)三月、高虎は加藤清正に仲介を頼んで、徳川家康と豊臣秀頼の二条城会見を実現させた。会見は無事に終わり、六月に帰国の途についた清正は中風で倒れ、存命のうちに跡目相続を成すため、侍女の照葉を通じて高虎に幕府への取次を頼んだ。同年清正は没したが、高虎の後見により熊本藩は跡目相続を成した。
 慶長十九年(1614)、家康はわざと諱を分断する「国家安泰」の文字を入れた鐘銘を文英清韓起草させ、豊臣家の不備として転封を要求する。これを豊臣秀頼が拒んだことから、徳川方は即座に出兵し、先陣の高虎は大坂城に迫った。

5月2日付夕刊392回第九章 大坂の陣(四十一)で最終回となる。
元和二年(1616)4月17日、家康は多くの者に看取られて安らかに息を引き取った。行年七十五歳。当時としてはみれにみる長寿であった。
高虎はそれから十四年の寿命を保ち、和子の入内や肥後加藤家の内紛の収拾、日光東照宮の造営、幕藩体制の確立など、幕府の中枢となって力を尽くした。
遠行は寛永七年(1630)10月5日。家康と交わした約束通り七十五歳での大往生であった。

                                                 (完)

                                       事務局世話人 水野青鷺




●刊行されました――
『下天を謀る』(上)・(下) 安部龍太郎/著 新潮社
 1,680円(定価) 発売日 : 2009/11/27

 ソニーとCIAを併せたような智謀――。戦国最強のNo.2、藤堂高虎見参!
乱れ荒んだ天下を情報戦略によって再編成したインテリジェンス。関ヶ原の戦いを短期間でアレンジした外交術。築城革命と都市計画を推進した技術力。
晩年の秀吉を敬遠して家康に与した情勢判断力――しかし高虎はトップを避けて参謀役に廻り続けた。サバイバルの果てに江戸幕府の基礎を設計した、巨漢大名の壮大な生涯。

判型 : 四六判変型
頁数 : 326ページ
ISBN : 978-4-10-378807-2
C-CODE : 0093
ジャンル : 小説
歴史・時代小説
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by mizuno_clan | 2008-04-27 09:08 | 推薦図書