「安城市歴史博物館ニュース95号」 [pp.6-7](1月7日更新)

●「安城市歴史博物館ニュース95号」 [pp.6-7](1月7日更新)

第5回松平シンポジウム
「三河一国平均に治む -戦国大名徳川家康-」

 平成26年10月26日(日)、安城市歴史博物館で開催された「第5回松平シンポジウム」の様子が、同館ニュースで紹介されました。


 本シンポジウムでは、毎回「水野氏」が取り上げられており、今回は「清須同盟」に対する「水野信元」の役割などについて取り上げられています。皆様には、ぜひお読み下さいますようご案内致します。

詳細は、同館webでご覧下さい。
安城市歴史博物館ニュース95号」6ページから7ページに記載されています。

                                 研究会事務局



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by mizuno_clan | 2015-01-07 10:49 | News

「名古屋市守山区中志段味天白元屋敷遺跡」について


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「名古屋市守山区中志段味天白元屋敷遺跡」について

 
この度、本会会員で、「志段味の自然と歴史に親しむ会」世話人の高木傭太郎(愛知東邦大学非常勤講師)氏から、水野氏史の研究にも深く関連する貴重な情報をお寄せ頂き、拡散を望まれております。
 
 志段味地区を支配した水野一族は東谷山東、瀬戸の水野村(愛知県瀬戸市)の豪族であり、桓武天皇の孫高望王の三男鎮守府将軍平良兼の末裔と云われています。志段味に最初に城を築いたのは水野小(又)太郎良春または水野雅楽助良春(うたのすけよしはる)で、両者は多分同一人物と思われますが、これまでの研究では「志段味城」の場所の所在とされる場所は複数の説があり、詳細は不詳でした。

 今般、「高木氏の提案」が改訂されネット上で閲覧出来ますので、是非ともご高覧いただきたくご案内致します。

 以下に、高木氏からのメールを転載しますので、FNS(「Facebook」、Twitter)、home page,blogなどでシエア頂きたく御願い致します。また併せて、日本中世史の研究者および瀬戸・東濃の焼き物・茶道を研究されておられる方々には、貴重な文化財保護の立場から、啓蒙頂きたく本会からもお願い致します

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水野氏研究会御中

水野氏の館である可能性の高い遺跡です。
以下の情報を流していただければ幸いです。
高木傭太郎

天白元屋敷遺跡の見学会とシンポジウムについて、12月中に開催をするということで、準備がすすめられていましたが、区画整理を取り仕切る公社がストップをかけたようで、いまだに日程すら決まっていません。
 そこで、「志段味の自然と歴史に親しむ会」として行動を起こすことにしました。

 さる13日に栄の名古屋市教育館で、名古屋市主催で「歴史の里」の講演会とシンポ ジウムが開催されましたので、その会場で、添付しました「志段味の魅力は古墳だけじゃない」というチラシと私の提案を、参加した200名の市民と、河村市長・文化庁の講師・愛知県教育員会の講師に渡しました。
私の提案は、市民 ・市長にもこの遺跡の意義がわかるようにと、書いたものですが、現状では、まもなく破壊されてしまいますので、研究者の皆さんに情報を流し、個別に見学を申し入れて見ていただきたいと思います。

 連絡先の野田農場の野田照美さんに連絡を取れば、発掘現場と交渉をしていただけます。

 この問題に関心のありそうな、研究者・研究団体にこの情報を流していただくようお願いいたします。
                                 高木傭太郎
*******************************************************************************
[添付ファイルおよび参考資料]

●「志段味の自然と歴史に親しむ会」のホームページ
http://shitashimu.shidami.nagoya/

●「志段味の自然と歴史に親しむ会」「Facebook」
https://www.facebook.com/sidami.sitasimu


●川湊・居館・志段味城 いま甦る中世の天白・元屋敷遺跡
瀬戸・東濃の焼き物を積み出した川湊の「居館(城)」遺跡(名古屋市守山区中志段味天白元屋敷遺瀬戸・東濃の焼き物を積み出した川湊の「居館(城)」遺跡(名古屋市守山区中志段味天白元屋敷遺跡)を中核にした、「自然とお茶文化の里・志多味苑(仮称)」構想の提案
         「志段味の自然と歴史に親しむ会」世話人  高木傭太郎


はじめに

 去る11月8日の中日朝刊の記事によりますと、現在発掘調査中の名古屋市守山区中志段味天白元屋敷遺跡から、最大東西110メートル南北100メートルの可能性のある有力者の居館の溝(名古屋市域最大)が出てきているとのことです。
 また、発掘の調査員から私が直接うかがった話によれば、出土した三万点余の遺物の内、6割が鎌倉期末期から江戸期初頭のものであり、瀬戸・東濃の焼き物が多く、その多さからして、この館は、庄内(土岐)川の積み出しの川湊の施設であるとのことでした。
 遺跡の全貌を知るには、調査報告書の公表を待たなくてはなりません。しかし、今回の調査は、開発を前提にした記録調査で、計画では来年三月までに調査を終え、この遺跡は調整池建設のために破壊することになるとの説明でした。つまり、市民や研究者がこの遺跡の全貌を知り、その価値の検討を開始する頃には、この遺跡は破壊されていることになるという日程で、事態は進められています。
 私は、取りあえずは、この調査を中断状態に留め、調査報告書の公表後に十分な時間を取って、広く市民・研究者の意見を求め、この遺跡の持っている潜在的価値を見定めた上で、開発か保存かの方針を決めるという手順を踏むべきであると考えるものです。
しかし、こうした手順が全く期待できない状況で進んでおり、しかも緊急を要しております。そこで、この遺跡の破壊を止めるのは、この事業の直接の執行者である中志段味の区画整理組合と公社のみでなく、この事業の管理責任を持つ市当局の直接の判断を求める以外にはないと考えました。
 そして、その際の判断材料にしていただくために、以下の二つの文章を提出することにいたしました。
一つは、この天白元屋敷遺跡が、現在の時点でわかっている「瀬戸・東濃の焼き物を積み出した川湊の居館(城)」という点だけからしても、従来の志段味地区のイメージを変えると同時に、様々な点で歴史の認識の変更をせまる画期的遺跡であり、今後歴史の解明や書き換えを通して、市民の歴史認識に大きな影響を与える貴重な遺跡であることを一歴史研究者として述べたいと思います。
二つは、現在の計画に対して、遺跡の保存を中核にした「自然とお茶文化の里・志多味苑(仮称)」構想を提案したいと思います。

(1)天白元屋敷遺跡の「川湊の居館(城)」は画期的発見
この遺跡が、画期的な発見といえる第一の理由は、志段味の歴史のイメージを大きく変えることです。私は、「名古屋のチベット」という言葉を聞いたことがありますが、志段味地区は、主要な交通道から外れた辺鄙な場所であり、貧しい農村地帯で、古墳や民俗文化が残されているものの、文化的後進地帯であったとのイメージが定着しています。
今回の発見は、そのイメージは江戸期の歴史によってつくられたもので、それ以前は、経済・文化の先進地帯であったことを明らかにすると思います。
庄内川の流通については、これまでの歴史では全く触れられていません。その中流域に名古屋市域最大級の居館(城)があったことが驚きといえるでしょう。
従来の尾張の流通は、伊勢湾沿岸の湊と木曽川・五条川流域と鎌倉街道を軸に考えられてきました。そのため、尾張の歴史もこの西南部で描かれ、尾張東部と志段味地域は、歴史のない経済・文化の後進地帯とのイメージが定着しました。
しかし、今回の遺跡の発見は、庄内川の志段味地域までは、船運が盛んな重要な流通路であったことを明らかにしました(これより上流の定光寺付近は渓谷であり船ではいけません)。江戸中期まではまだ新川は作られていませんので、五条川は庄内川と合流しており、この五条川・庄内川が、尾張平野の物流の大動脈であったと思われます。五条川は、伊勢湾沿岸部と結ぶだけでなく、木曽川とも結ばれており、長良川と木曽川の合流地点であった墨俣とも結ばれていた交通路であったことは中世の旅の記録に出てきます。
志段味の川湊の重要性は、瀬戸・東濃の焼き物地帯を後背地に控えていることにあります。瀬戸・東濃の焼き物は、生産地の窯址については多数発掘されて研究がすすんでいるものの、どこから運びだされ、流通がどのように行われたかについては、従来明らかになっていませんでした。この時期の瀬戸・東濃の焼き物は、一般には「古瀬戸」として知られ、中国・朝鮮の焼き物の代替品として釉薬をほどこした唯一の国産高級品として普及したもので、全国の城館遺跡や都市遺跡から多数出土しており、当時の先進文化の代表的なものです。
 この遺跡の詳細な調査が進展するならば、どの時期にどこの窯で焼かれた物が、この川湊の館を通じてどこに運ばれたかを解明することになります。それは、焼き物の流通史の解明に大きく寄与するだけでなく、志段味地区がその流通の要の位置にあった先進文化地帯であったことを明らかにすると思います。

第二の理由は、この流通に関与した館の主を通して、この時期の東海地域の政治史のみならず、全国政治史にも多くの論点を提示する可能性を持った遺跡であるという点です。それは、この遺跡から新たな歴史認識を求める話題が、今後発信されることを意味し、従来尾張西部を中心に描かれてきた歴史のイメージを大きく変えることになると思います。
 既に、鎌倉期においては、瀬戸の焼き物は、幕府権力を掌握していた北条氏の直接の支配下にあったことが指摘されています。とするなら、この遺跡の遺物の多い南北朝期・室町期・戦国期・織豊期・江戸幕府成立期においては、どのような政治権力がこの焼き物の流通に関わったかが問題となります。
まずは、この居館(城)の主(あるじ)が問題となり、出土遺跡と他の史料とをあわせて、活発な議論が展開されると思われますが、その場合、幕府・守護大名・戦国大名・信長・秀吉・家康とこの館の主との関係が当然注目されるところでしょう。
 例えば、美濃の守護土岐氏は、鎌倉期は東濃の国人領主でしたが、南北朝の動乱で足利将軍に協力し、室町初期には外様大名でありながら、美濃と尾張の重要地域の守護となります。土岐氏の出世とこうした動きをもたらした要因の一つに、庄内・土岐川の流通と焼き物の支配を想定することが必要とされるでしょう。
 その後、越前から入ってきた斯波氏が尾張の守護となりますが、斯波氏や戦国期の岩倉・清須の守護代織田家が、庄内・矢田川流域とその流通をどのように支配しようとしたか、この館の主とどのような関係にあったが、まず問題となります。そして、織田信長も、尾張統一の過程でどうような関係をもったかが、検討されることになるでしょう。
例えば、織田信長が、清須から小牧に尾張支配の拠点を移したことも、庄内川の流通と志段味の川湊から北上する陸路の重要性を抜きにしては説明できないでしょう。
信長の美濃攻略過程での庄内・土岐川流域の武将達と焼き物地帯の掌握も論点の一つです。この点については、織田信長の朱印状が残されており、その理解をめぐって既にいくつかの説が提示されていますが、この遺跡の発見により、新たな視点で再検討が行われると思われます。織田信長については、「楽市楽座」政策が有名であり、その流通政策が注目されていますが、信長政権の性格にかかわるこの問題についても、この遺跡は新たな論点を提示すると思われます。

この遺跡が画期的である第三の理由は、従来、京都・堺など関西の商人を中心に描かれてきた飲茶文化の歴史に修正をせまるものとなる点です。
尾張出身の信長・秀吉は、お茶文化に深くかかわり、堺の商人の今井宗久や千利休を茶頭にした茶会を開いたことで有名ですが、そこからあたかも彼らからお茶を「学んで始めた」というイメージが定着しています。しかし、信長・秀吉だけでなく、彼らから学んだとされる佐久間信盛・織田有楽斎・古田織部など、尾張・美濃の武将達は、以前から相当高い飲茶文化を身につけていたと考えたほうがよいことをこの遺跡は語ってくれるでしょう。
 瀬戸・東濃からの焼き物の流通にたずさわるこの館の主が、自ら飲茶文化を身に着けたことは、当然考えられることです。しかも、この地の上流には、永保寺・定光寺など、中国からの飲茶文化を流入し日本への定着に大きな役割を果たした臨済禅の名刹が多くあります。江戸時代の尾張で出版された茶の指南書には、永保寺・定光寺と内津は、銘茶の産地であると書かれています。これらの禅宗寺院が領地に植えた茶の栽培が始点となって、この地が銘茶の産地となったと考えられます。
 となると、庄内・土岐川の川湊に居館(城)を構え、大陸からの焼き物の禅宗寺院への輸送に関与していたであろうここの主が、館でも茶寄合を地域の人々と開くようになっただけでなく、さらには、高価な中国の焼き物に代わって、国産の高級茶器の初期の受容者であったことは当然考えられることです。川湊の館とこの地域は、日本の飲茶文化の揺籃の場であったと考えられるのです。
 そのことを伺わせる史料が残されています。戦国期の定光寺の記録である『定光寺祠堂帳』は、「志段味」の地名に「志談味」「志多味」の字を充てています。「人と談じながら茶を味わう」「多くの茶を味わう」の意味で、この館や志段味地域が、「寄合の茶」の盛んな場所であったからこそ、この字が充てられたと考えられます。
 その伝統は、この館の廃される江戸の初頭までは続いていたようです。中志段味の庄屋もしていた旧家に残された伝承によれば、天白元屋敷の主は、尾張の殿様にお茶を教えていたとのことです。
 尾張東部と東濃は、茶器の国産化の産地であるだけでなく、その流通に携わることとこの地に普及した禅宗寺院とお茶の栽培によって、いち早く飲茶文化を取り入れ、日本に茶の文化を定着させた重要な場でもあったと考えられるのです。この地域の飲茶文化の伝統が、信長・秀吉とその家臣達に継承され、関西の茶人と結びついて、飲茶文化の近世以降の発展をもたらしたという歴史像を提示するのに、この居館(城)遺跡は大きな意味を持つといえるでしょう。

(2)「自然とお茶文化の里・志多味苑(仮称)」構想の提案
 以上の天白元屋敷遺跡の画期的意義の踏まえただけでも、現在進行中の発掘調査は、より下層の古墳・古代遺跡の発掘調査に入る前に中断し、この中世館遺跡を破壊することなく保存することが必要であることは、明らかであると思います。
 そして、調査報告書を公表した上で、研究者のみでなく多くの市民やジャーナリズムの関心を引くために、この「瀬戸・東濃の焼き物を積み出した川湊の館」遺跡を見学し、過去の歴史が想像できるように史跡公園として整備して残すことを提案したいと思います。
 同時に、この遺跡に隣接して既に保存されることになっている、「才戸流れ」と「くろがねもちの木」の自然と一体のものとして散策できるようにするといいと思います。「自然とお茶文化の里・志多味苑」という名はいかがでしょうか。
 それは、多くの市民の関心を呼び、市民の歴史イメージに影響を与えるだけでなく、志段味地区の魅力を向上させ、区画整理事業の進行にも貢献することになると思います。






●「中日新聞」2014/11/21朝刊 記事
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【URLの誤配】
 みなさまに、電子メールで送信しました、URLの内、2カ所に誤りがありました。
従いまして、上記の通り本稿に「●川湊・居館・志段味城 いま甦る中世の天白・元屋敷遺跡」と「●「中日新聞」2014/11/21朝刊 記事」として転記しました。
 ご迷惑をおかけしました。お詫びして訂正致します。



●天白・元屋敷遺跡のチラシ

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by mizuno_clan | 2014-12-17 16:40 | News

水野智之『名前と権力の中世史―室町将軍の朝廷戦略―』

 本会委員で、中部大学人文学部歴史地理学科准教授の水野智之先生が、2014年10月20日に出版される書籍についてご案内致します。
 この著書は、水野氏に直接関係したものではありませんが、氏族を取り扱う本研究においても、参考とすべき事柄が多々含まれておりますので、会員各位にお知らせ致します。

 尚、末筆ながら水野智之先生に、今般の上梓に心から御祝い申し上げます。

                              研究会事務局


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書名:『名前と権力の中世史――室町将軍の朝廷戦略――』
著者: 水野智之
出版:吉川弘文館
発行: 2014年10月20日
定価:本体1,700円+税

目次:
名前をめぐる政治と権力―プロローグ
古代・中世前期の命名と権力
(天皇・貴族の命名と権力/武家の命名と権力/清和源氏と足利氏)
将軍権力の確立―足利尊氏~義満期
(将軍の実名敬避と公家衆・僧衆に対する偏諱授与/家門安堵と偏諱・猶子/将軍子弟の 門跡寺院入室)
将軍権力の専制と動揺―足利義持~義尚期
(偏諱授与の展開/将軍家 と公家のはざま―将軍猶子の門跡寺院入室―/将軍権力の動揺と朝廷・公家衆の動向)
将軍権力の分立と抗争―足利義材~義昭期(将軍偏諱に対する意識の変容/将軍権力と天皇権威の展開/将軍と天下人)
室町将軍の権力と権威―エピローグ

内容説明:
 名前に権力者と同じ文字を使うことを避けねばならなかった中世社会。どのような名前をつけられ、なぜ改名したのかを探ると、当時の政治的秩序が読み取れる。室町将軍は、公家衆に名前の一部を授けたり擬制の親子関係を結ぶことで、朝廷との関係をいかに強化しようとしたのか。将軍15代の朝廷戦略から、名前をめぐる権力と政治状況を解き明かす。


吉川弘文館web:
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b182789.html




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by mizuno_clan | 2014-10-19 12:05 | News

「安城市歴史博物館ニュース92号」 [pp.6-7](4月25日更新)

●「安城市歴史博物館ニュース92号」 [pp.6-7] (4月25日)

第4回 松平シンポジウム
「三州に一揆おこりもうす~三河一向一揆の本質を問う~」

 平成26年1月25日の土曜日、安城市歴史博物館で開催された「第4回 松平シンポジウム」の様子が、同館ニュースで紹介されました。
 本シンポジウムでは、毎回「水野氏」が取り上げられており、今回は「タイトル」にも引用されております。皆様には、ぜひお読み下さいますようご案内致します。

 その内容紹介のため、本文を一部引用します。
――タイトルの「三州に一揆おこりもうす」とは、三河一向一揆で家康を助けた水野信元の甥にあたる水野勝成の一代記『勝成記』(寛永18年〈1641〉)にあるフレーズです。実際は「三州に一揆おこり申時分」とあり、父水野忠重の一揆での活躍が語られています。――


詳細は、同館webでご覧下さい。
安城市歴史博物館ニュース92号」6ページから7ページに記載されています。

                                 研究会事務局




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by mizuno_clan | 2014-05-05 12:34 | News

「水野氏史研究会公式Facebookページ」

「水野氏史研究会公式Facebookページ」

 水野氏史研究会は、2012年9月13日「Facebookページ」に参加し、本日で1年1ヶ月余となりました。

 水野氏史研究会の主な公式情報につきましては、本会ブログに投稿しておりますが、そのほかの様々な情報および最新ニュースなどは、「水野氏史研究会公式Facebookページ」で発信し、会員およびビジターのみなさん方と交信してきました。
 その間、みなさんから「Facebookページ」に「いいね!」をしていただき、本日でようやく「インサイト」を利用できる30人に達しました。このことにより、Facebookページの「ユーザーアクティビティに関する匿名の集計データ」を取得できるようになり、これからの「Facebookページ」管理に生かせるものと期待しております。

 これまでに、「いいね!」をしていただいたみなさん、どうもありがとうございました。これからもどうかよろしくお願いいたします。

                                     研究会事務局
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by mizuno_clan | 2013-10-17 09:13 | News

【推薦図書7】『続 加藤清正「妻子」の研究』 の書評

◆「熊本日々新聞」の書評に『続加藤清正 妻子の研究』の書評が掲載されました。

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by mizuno_clan | 2012-02-26 15:59 | News

水野忠徳が時事ネタの記事

20010年11月11日付、下記の記事に、水野忠徳が時事ネタとして、採り上げられていますので、ご紹介します。

MSN.産経ニュース<文化>
【幕末から学ぶ現在(いま)】(87)東大教授・山内昌之 水野忠徳
2010.11.11 08:05

■「屏風外相」の見識と胆力
外国奉行などを歴任し、幕臣として国事に奔走した水野忠徳


※当リンクについては、産経新聞社さんに許可をいただいております。

※MSN産経ニュースの記事・写真公開期間は、原則として掲載日から6ヵ月間です。また、トピックスの収録対象となっている記事・写真に関しては6ヵ月を経過しても掲載します。

筆者略歴: 山内 昌之(やまうち まさゆき、1947年8月30日 - ) は、日本の歴史学者。専攻は近代イスラム・中央アジア史と国際関係史。東京大学大学院総合文化研究科教授。
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by mizuno_clan | 2010-11-12 15:13 | News

『織田信長家臣人名辞典 第2版』

『織田信長家臣人名辞典 第2版』が、10月27日に出版されました。
初版は入手困難で、もう新刊は発行されないだろうと、半ばあきらめておりましたが、待望の改訂版との朗報が入り、早速購入しました。
 出版元の書籍紹介では、次のように記されていました。

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『織田信長家臣人名辞典 第2版』
著者:谷口 克広 著
ジャンル:日本歴史 > 辞典・事典・年表・地図・学校用掛図
出版年月日:2010/10/27
ISBN 9784642014571
判型・ページ数:菊判・544ページ
定価:本体7,500円+税

[内容説明]
初版刊行から15年、最新の研究成果を盛り込み、全面改訂した待望の第二版。信長に仕えた家臣1458人を網羅し、新収録の人名はもちろん、再録や重複などを修正した人物まで、典拠史料を徹底的に吟味し詳細に解説。豊富な史料や信長研究に役立つ膨大な参考文献を付載する。家臣の多彩な顔ぶれと、信長の人脈の全貌を知ることができる画期的辞典。


●水野氏史研究者として、直接関係のある人物は、言うまでもなく「水野」であるが、
初版(1995年1月10日)と「第2版」の内容をざっと照合したところ、次のようであった。

◆掲載人数
「初版」 18名
「第2版」 19名

◆「初版」には、記載されているが、「第2版」では削除されている人物
水野右京進
水野孫太郎

◆「第2版」に新しく集録された人物
水野光勝
水野十郎左衛門尉
水野定信

◆人物名の表記変更
水野籐九郎 → 信近
水野信政 → 元茂

◆項目に追記および修正が加えられている人物
水野忠重
水野忠守
水野帯刀左衞門
水野信元


●まだ精査した訳ではないので、現状この程度のことしかご紹介できないが、この他にも、
『系図纂要』には、源朝臣足利本田系の水野利元(水野太郎左衛門)が、信長公に属すとあるなど、まだまだ水野氏の多くが信長の麾下にあったと記された資料もあることから、今後とも、この信長家臣の中の「水野氏」もより研究していきたいと考えている。
これを機会に、会員諸兄のご研究に大いに期待したいところである。

                           水野氏史研究会事務局世話人 水野青鷺
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by mizuno_clan | 2010-10-31 16:56 | News

◆『新修名古屋市史』資料編「近世2」刊行のお知らせ

 今般、『新修名古屋市史』資料編「近世2」が刊行されました。
本編「第三章 発展する商工業 第五節 水野太郎左衛門家」には、「水野太郎左衛門家」の、未発表文書が十三点公開されています。この目録は目次の中に特記しました。第三章では、近世前期において名古屋で活躍し、現在資料がまとまって残存しているにも拘わらず紹介される機会が少なかった商家と職人の資料を取り上げており、その一環として水野太郎左衛門家も今回集録されました。本章の解説執筆者は、南山大学経済学部経済学科教授 林 順子先生、神戸大学大学院経済学研究科教授 天野雅敏先生です。
 これらの資料により水野氏史研究が、より進むものと期待されます。



●『新修名古屋市史』資料編「近世2」
  既に刊行されている本文編第三巻と併せてご覧ください。
体裁 B5判 837頁 上製本 箱入り 定価 四千五百円
(平成22年5月21日 販売開始)

第一章 金鯱、かがやく
第一節 名古屋城と江戸屋敷
第二節 藩政
第三節 藩主
第二章 名古屋と熱田の賑わい
第一節 名古屋
第二節 熱田
第三章 発展する商工業
第一節 犬山屋神戸家
第二節 麻屋吉田家
第三節 水口屋小川家
第四節 大丸屋下村家
第五節 水野太郎左衛門家
83 慶長三年五月 鋳物師衆より水野家への一札写
84 慶長三年一一月 福島正則より諸役免許の判物
85 元和六年九月 徳川義利(義直)より諸役免許の黒印状
86 寛永二年 守山鋳物師管掌および名古屋宗賢寺鐘についての覚書
87 寛永九年八月 近江国鋳物師への宿の提供停止の願書
88 寛永一一年一〇月 上洛時接待御用の釜五徳受取書文
89 寛永二〇年~天明七年 水野家鋳造の鐘名など記録
90 寛文 鋳物師触書、願書ほか諸事控書
91 元禄一二四月 鍋屋町在住の清須越諸家の覚書
92 享保九年二月 他国者の鋳物販売停止の願書
93 元文四年一二月 由緒書
94 延享二年一〇月 他国製の鋳物販売停止触出しの渡書
95 宝暦一二年 他国製の鋳物販売停止の申渡書
第六節 津田助左衛門家
第四章 花開く文化の諸相
第一節 地誌と俳諧
第二節 紀行文
第三節 遺訓・家訓
第五章 武士の勤務と生活
第一節 由緒・家督
第二節 知行
第三節 職務
第四節 家中・同心
第五節 勝手
第六節 冠婚葬祭
第七節 その他
第六章 寺社と人びとの信仰
第一節 尾張徳川家菩提寺建中寺
第二節 諸寺院
第三節 神社


本書の販売および問い合わせ先
名古屋市市政資料館
〒461-0011 名古屋市東区白壁一丁目3番地
〈TEL〉052-953-0051 〈FAX〉052-953-4398
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by mizuno_clan | 2010-05-22 12:57 | News

◆W杯4強「岡田ジャパン」と桶狭間

1.日刊スポーツ(2010.3.11)スポーツ欄に、本会委員で、『桶狭間-神軍・信長の戦略と実像』の作者 江畑英郷氏のインタビュー記事が掲載されました。

 日刊スポーツは、火曜日から土曜日の紙面で「世界4強 岡田ジャパン 奇跡への条件」を連載中であり、「奇跡への条件」をキーワードに、いくつかのテーマに分けて、日本代表がW杯4強を達成するのに必要なもの、乗り越えるべき壁などを探っていきます。
 第3回で、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」を取り上げ、日本の歴史に残る「番狂わせ」は、岡田ジャパンにどんな教訓を残しているだろうかを探っています。
タイトルは:信長「桶狭間」新定説の研究家が提言――教訓③うつけジャパンになれ!!      です。
みなさんも是非お読みください。


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※紙面の転載については、事前に江畑さんから日刊スポーツの記者に承諾をいただいております。尚 この紙面は中部版のものであり、関東など他地区との紙面とは異なりますのでご了承ください。



1.また、ニッカンコム(日刊スポーツweb)では、各回の「取材後記」を掲載しています。紙面とあわせてお読みください。

「サッカー記者が歴史の専門家に聞いたら…」
<江畑英郷さん・取材後記>



                      事務局世話人 水野青鷺
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by mizuno_clan | 2010-03-11 10:40 | News