アクセス解析 No.18

●2012年6月から2012年8月まで、3ヶ月間の「水野氏史研究会ブログの第18回アクセス解析」を発表いたします。

 これまで三ヶ月毎に更新しておりますが、9月の更新をうっかり失念しておりましたので、遅ればせながら本日集計いたしました。大変申し訳なくお詫び申し上げます。

 一般の研究会では、月に一度程度の例会、および年数回「会誌」を発行しておりますが、本会では委員会・講演会の外は、定例の大会・例会の開催および会誌等の発行を予定していないことから、これらの集会参加人数、および会誌の発行部数を定期公表する事は出来ません。
従って本ブログへのアクセス状況(ユニーク・ユーザー数)を、四半期毎にご報告する事により、甚だ変則的な方法ではありますが「集会状況と会誌の発行部数に代替」とさせていただきます。
 みな様には日々お仕事などで、ご多用中にも関わりませず、本会にご理解ご尽力いただいておりますことに、ここに改めまして深謝し心から御礼を申し上げます。今後とも引き続き本会活動にご参加ご支援いただきたくお願い申し上げます。

                                               研究会事務局

▼【エキサイトブログ・レポートの集計データ】 更新2012.11.29
2012.06.01~2012.08.31までの〝ユニーク・ユーザー数〟
合計 2,073 ip (前回比 102.77 %)

前計 32,407 ip
累計 34,480 ip

 ※ユニーク・ユーザー【 unique user 】数とは、ブログにアクセスされた接続ホスト数をユニーク(同じ物が他に無いの意)な訪問者の数として日毎に集計している。つまり同一人物が1日に何回アクセスしても、最初の1回のみがカウントされる。この集計基準は、ページ・ビューなどの基準に比べ判定方法が難しいが、実質訪問者数を示している事からサイトの人気度をより正確に反映できる。
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by mizuno_clan | 2012-11-29 14:50 | アクセス解析

【談議1】水野氏と戦国談議(第三十八回)

歴史と過去④-出来事実在論-

談議:江畑英郷

 毎度のことであるが、今回も林健太郎氏の『史学概論』の引用から始めることにする。

 これを要するに歴史という言葉の中には「ゲシヒテ」のもとの意味、即ち「過去の出来事」の意味と、「ヒストリア」の意味、即ち人間によって調べられ知られた歴史、あるいはそれについて書かれたものの二つの意味が含まれている。これが即ちヘーゲルの「客観的側面と主観的側面」であって、客観的所与としての歴史と人間の認識作用を通じて形成された歴史が、同じ歴史という言葉の中に結合され、又この言葉がしばしばこの異なった両義に使いわけられているのである。
(林健太郎著『史学概論』)

 林氏はここで、「客観的所与としての歴史」と「人間の認識作用を通じて形成された歴史」という二分法を示し、歴史とはこの二側面を備えるものだと述べている。そしてこの両義の使いわけは、歴史学における学問としての在り方に深く関わってくる。

 以上において述べたことは、要するに歴史という言葉と歴史学という言葉とが、他の学問におけるように対象とその認識という二つのものとしてはっきり区別され難いということであった。しかしこのことは、決して歴史学という言葉のレーゾン・デートルを否定することにはならない。概念的には、客観的所与としての歴史と人間の主観によって形成される歴史像とを区別することはあくまで必要である。それを無視することは科学としての歴史学の性格を曖昧にすることに外ならない。しかしそれが言葉において明瞭に区別されていないということは、歴史学という学問の持つ一つの特有な問題を物語っているのである。それは歴史学においてはその学問性格が第一に対象の客観的な叙述ということにあるとされているにもかかわらず、他方においてはその対象そのものが最初から純粋に客観化されていることがはなはだ困難であるような性質を持っているということである。
(前掲書)

 林氏は「客観的所与としての歴史と人間の主観によって形成される歴史像とを区別することはあくまで必要である」と言うのであるが、それがために客観性において容易ならぬ困難が出現している、ということはないであろうか。林氏の理解に沿って述べるところを整理すると、以下のような区分を示すことができる。

ゲシヒテ   : ヒストリ
過去の出来事 : 人間によって調べられた歴史
客観的所与  : 主観的形成物
歴史     : 歴史像

 歴史が客観的実在でないのならば、それを究明する歴史学は客観的な学問ではなくなる。歴史は客観的所与で、歴史像は主観的形成物であるという主観/客観の二分法は、二分した後にそれを架橋するという無理をしいることになる。しかしながら区分というものは、そこからすべてを始めるという認識の足場なのであり、後になってその足場を外せるという代物ではない。
 林氏はこの主観/客観の構図で、歴史あるいは過去の出来事は「客観的所与」であると言うが、通常「所与」とは、知覚に対して与えられている対象を指す。そして知覚が働いているのは現在であるのだから、「所与」は現在における知覚対象である。すると過去の客観的な何かが、現在において知覚の対象になっているということになるが、それは史料ではない。史料はそれが成立したのが過去であろうと、目の前にあるのは現在の史料である。そして知覚しているのは、平たい紙面であり、そこにある地と模様以上のものではない。林氏の説明によれば、「客観的所与」とは「過去の出来事」であり、この過去の出来事が現在の知覚に対して所与として現れていることになるが、これは矛盾であり、この矛盾を乗り越えようと無理をすることになる。
 過去の出来事を実在とし、その痕跡が史料に残され、その史料を現在において知覚することで過去の出来事を認識するという、史料痕跡論が成り立たないことは前回論じた。しかしそれならば、過去の出来事はどのようにして現在の認識となるのであろうか。この疑問に答えるためには、再びあの歴史物語論の要諦が意味するところを深く探る必要がある。

過去を直接観察できないからこそ、歴史は可能になる。

 録画テープを見ることは、過去を直接観察することになるのだろうか。映し出された画像は直接知覚することができるが、いきなりクローズアップから入られると、それが何であるかわからなかったりする。知覚はしているのだが、それは物の表面のザラツキであったり、少しムラのある赤であること以上は確認できない。そして物との距離が離れると、それが赤い絨毯であることに気がつくのである。この場合、その物との距離が離れるというのは、その物の全体が映し出されるというだけではない。そこにはその赤い長方形の布状の物が、床に横たわっているというスチュエーションが必要となる。そうでなければ、それは誰かの赤いマントかもしれないのである。
 録画テープを見るということは、「録画テープを見る」というスチュエーションの認識が必要である。そのスチュエーションが なければ、その画面に映し出されているのは、リアルタイムの画像だということもある。20世紀の新科学哲学において先駆的な業績を残したハンソンは、観察について次にように述べている。

 空を飛ぶ鳥を見ることは、それが突然、垂直急横転はしないだろう、などということも見ていることである。そして、こうした点は、単なる網膜上のしるしづけではなく、それ以上のことであろう。人間は誤りを犯すものではある。しかし、鳥を見ることは、たとえ瞬時でも、こうした様々な関連事項すべてを読み取った上でそれを見る、ということなのである。
(N・R・ハンソン著 村上陽一郎訳『科学的発見のパターン』)

 観察とは、対象をありのままに捉えるものではなく、知覚の外側にあるものに寄りかかって成立している。そもそも「知覚」という用語も、単なる感覚を越えて、「知」の領域に踏み込んでいることを表しており、見たまま聞いたままでは対象の理解に達しない。先の録画テープのクローズアップはそのことを示しているが、スチュエーションを欠いていれば、見たまま聞いたままより想像がものを言うのである。このスチュエーションを、今後は「文脈」という用語で言い表すことにしよう。するとハンソンが示したことは、観察は何らかの文脈に依存しているということになる。一般に彼のこの見解は、「観察の理論負荷性テーゼ」と呼ばれているが、出来事で言うのであれば、理論というよりは文脈の方がより適切であろう。

 過去が直接観察できないと言う場合、ハンソンの観察の理論負荷性テーゼに従うならば、次の2点に不可能を見ることができる。

1.過去を直接目の前にすることはできない。
2.過去は文脈を欠いている。

 直接目の前にするということが現在の体験であるのだから、上記の1は誰もが真っ先に思いつく。しかしながら、現在から少し離れただけで過去になるのであるから、このことが本質的な問題なのではない。観察には直接の感覚だけでなく記憶や理論が働いているのだから、それは現在だけの体験であるとは言い切れないのである。この点で本質的なのは、上記2の文脈の欠如である。そしてこの場合の「過去」という語彙の意味は、時計時間における現在より前ではなく、現在と同じ脈絡にないということになる。

出来事を基準に時間様相を考えれば、進行中の出来事の持続が「現在」にほかならない。現在の「幅」は当の出来事の持続時間に等しい。一つの出来事が終わったとき、われわれはそれを過去の出来事として想起するのである。言うまでもなく、読書中に読書という出来事を想起することはできない。読書を終えて風呂に入ったとき、読書は過去の出来事として想起されるのである。それゆえ、現在と過去のコントラストは出来事の継起と交代によってもたらされると言うことができる。
(野家啓一著『物語の歴史』)

 日常における現在は、時計時間の一点ではなく、当人の遂行によって規定されている。読書という遂行は、時計時間のある一点から始まり、それよりも後の時間点で終わったのではなく、読書という行為の意味合いで了解できる間に存在する。人によってそれは、読むべき書籍を思い浮かべた時からであり、また別の人にとっては書籍を開いた時からである。風呂に入っている間は、その文脈にない読書は過去の出来事である。もし電子書籍を風呂に持ち込んでいたならば、読書という出来事は今も継続しているが、それは「読書」の文脈をそのように規定するからである。それは風呂に入りながらの読書なのだが、それは椅子に座りながらの読書とは別の出来事だとも言える。このようにしてみると、文脈の取りようは、実在世界に固定されているのではないことがわかる。
 遂行中の出来事は、現在の出来事である。そしてこの遂行という様式は、個人の行動だけにあるものではない。遂行を集団に見て取れば、そこに集団の現在と過去が現れる。歴史学における過去とは、当然ながら時計時間の過去ではなく社会の遂行に関わる過去である。したがって、社会における遂行の内容によって過去は様々ということになる。このことを「主観的」と呼ぶのはもはや場違いであり、「遂行」においては主観/客観の図式は意味をなさない。このことは少し先のことになるはずだが、やがて触れることになるオートポイエーシス論で詳しく考察するつもりである。

 過去の出来事が文脈を欠いているというのは、それが現在の脈絡にないということである。「歴史」という言葉を使うのであれば、その現在も個人のそれではないことになるが、そのような歴史を考える前に、出来事と文脈についてさらに考察しておく必要があるだろう。
 林氏は出来事を客観的所与であるというが、以下の記述はその客観的所与に関する記述であろうか。

S1.2012年11月10日午前8時から10時にかけて、四ツ木インターチェンジにおける騒音は80デシベルから95デシベルに増加した。

 出来事は「変化の相をともなう」と林氏は述べるが、S1は「増加」という変化を記述していることから、これは出来事についての記述であると言えるであろう。S1は特定の日時・場所における音量の変化に関する記述である。これはまず場所を特定し、次に始点と終点を特定することで変化を捉えているのだが、8時から10時の間の音量すべてについて増加したと言っているわけではない。ここでは特定時点の音量を記録し、それを同軸上に並べて傾向を読みとっているのである。例えば8時ちょうどの音量は80デシベル、9時の音量は90デシベル、そして10時は95デシベルといった具合である。したがって、同軸上に並べられる複数の音量計測を前提とし、その音量の差異を時間の進行方向に対して「増加した」と解釈したことになる。「増加した」が解釈であるというのは、2つの時間点の間の音量をすべて計測することは不可能であるし、音量計測点が増加すればするほど、過去に対して減少した音量も増えるはずだからである。つまり趨勢としては増加なのであり、この趨勢の読みとりは解釈にほかならない。
 S1は音量の計測、つまり現象の観察に基づいているが、「増加した」という結語は観察結果ではない。もしS1が8時と10時の2点の計測だけで、なおかつ単にその2点の比較に過ぎないのであれば、それは「増加した」ではなく「10時の音量が8時より高い」に留まる。「増加した」という記述は、増加し続けたという意味であり、例えば9時の音量が60デシベルであったならば、「午前8時から10時にかけて」「増加した」とはならないはずである。したがって「増加した」は、どれだけ多くの計測点を設けその結果が過去よりも高い数値であったとしても、それだけで可能となる記述ではない。観察記述は、「増加した」という表現を取りえないのであり、その点でS1は観察記述ではなく解釈である。
 S1が観察記述であるならば「増加した」という記述にはならないというのは、前回述べた「理想的編年史」が「三十年戦争がいま開始されたと記すことは不可能」なのと同じ事情である。ダントーは「物語文」を、次のように規定している。

それらが時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示するということである。このさい指示された出来事のうちで、より初期のものだけを(そしてそれについてのみ)記述するのである。
(アーサー・ダントー著『物語としての歴史』P174)

 「増加した」は、10時の計測値が8時の計測値に対してもつ関係であり、増加したのは8時時点の音量である。ダントーの言うところの「物語文」は、出来事に関する記述であり、「物語文」に関する規定は出来事記述にそのまま当てはまる。そして観察記述に対して、出来事記述は対置されるものであるということを、ここで認識しておく必要がある。観察記述はそれをどれだけ増やそうとも、8時時点の音量が増加したとは記述できない。観察記述は、特定の時空座標における対象の状態を記すこと以上のことはできない。そのことからすれば、S1の記述は観察以上のことを語っているのであり、それを「物語」と呼ぶのはそれほど言い過ぎでもないだろう。
 観察記述が知覚によって成立しているのであれば、それは現在の目前の事態である。日時t1時点の目前の事態、t2時点の目前の事態、そしてtn時点の目前の事態を書き並べても、それは「増加した」とか「減少した」といった述語を形成しない。これは書き並べられた個別の事態と、特定点を飛び越えた一つの事態記述との違いである。あの理想的編年史がどうやってもできなかったことは、この時点時点を飛び越えそれを一つにして記述することなのであるが、反対に出来事記述はこのことなしには成立しない。したがって理想的編年史は、出来事を記述することができないのである。
 特定の時空座標軸上における事態記述を越えて、任意の時空座標帯における一つ事態を記述すること。これが出来事記述なのであるが、ダントーはこれを「物語文」と呼ぶ。任意に開始と終了を定め、その時間帯と空間域を規定した対象を選び出した時、すでに物語は始まっている。主題がなければ対象は現れず、時間帯も空間域も定まらない。8時から10時までの間、特定の場所で音量を計測しようとするのは、「増加した」のか「減少した」のかを見て取るがためである。それは交通量の増加とともに音量は増加するはずで、それがどのくらいの割合の増加になるのかを知ろうとすることに始まる。ここには、「交通量の増加とともに音量は増加する」というストーリーが前もってあって、それに主導されている。その意味では、観察行為も物語の一部ということになり、「増加した」はそこで終わるわけではなく、「この騒音増加に対処しなければならない」というストーリーがさらに続くのである。
 林氏は、出来事を客観的所与として捉えるが、出来事は知覚の集合によって成立することはない。S1のような科学的なレポートのような記述でも、それが「物語」であると言えるのは、「報告する」という行為の中でこの記述が意味をもつからである。そして報告を受ける側は、「増加した」のか「減少したのか」を知りたがっている。実際には彼もストーリーを共有しているのだがら、どの程度増加したのかの答えを期待しているのである。したがって、特定時間軸上の音量値の羅列には興味がなく、それが示されたならば、「ということは、対策が必要なほど増加したということなのだな」と念を押すに違いない。出来事はこうした文脈に位置づけられねば、何という出来事かを示すことができないばかりか、出来事にさえならないのである。そしてこのことを端的に示すのは、次の記述である。
 
S2.彼は大声を出した。

 この記述は、「・・・が起こった」という出来事の体裁を備えているが、それだけで出来事だと言えるだろうか。

 男は言った。
「合い言葉を言え」
 帽子を目深にかぶった男は静かにうなずき
「彼は大声を出した」
と答えた。

 ここにおいてS2は、出来事ではなく合い言葉である。

 そこでアーサーはおかしそうに言った。
「彼は大声を出した」
 そして大きな肩をすくめて
「少々薬が効きすぎたようだったよ」
と言って、後は笑いをこらえるのに必死だった。

 ここでS2は、アーサーが語るところの出来事である。しかしここでアーサーが「彼は大声を出した」と言わなかったら、S2の出来事はどうしたであろうか。

「アーサーの度の過ぎた悪戯に、そりゃ驚きはしたね」
 ポールは真顔であった。
「黙って彼を睨みつけてやったよ」

 ポールに言わせれば、彼は大声など出していない。大人の抗議らしく、黙ってアーサーを睨みつけたのである。二人の話を聞いたトーマスは、ポールは驚きの声を上げたが、その後は無言でアーサーに抗議したと、この出来事を理解するだろう。もしアーサーの話しをトーマスが聞いていなければ、ポールのちょっと間抜けな驚きの声を想像することはなかったはずだ。ところで歴史家は事実を知りたいそうだが、アーサーの話しが確かだとして、S2はこの出来事を知るに当たって、聞いておかねばならないことだろうか。アーサーとポールの話しは、彼らの意図から構成された出来事記述である。アーサーの意図においてS2は語るべきであったが、ポールにおいては削除すべきであった。ここで問題なのは、この彼らの意図を離れてS2は客観的所与のように成立していたかどうかである。

(つづく)
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by mizuno_clan | 2012-11-25 09:22 | ☆談義(自由討論)

【談議1】水野氏と戦国談議(第三十八回)

(つづき)

 法廷でなにが起こったか知ろうとする場合を想定してみよう。私は報告者に対して、なにひとつ残さずすべてのことを話してほしいと頼む。ところがもしその人が弁護士の陳述や原告や被告の感情の動き、裁判官の態度の他に、法廷に何匹蠅がいて、その正確な軌道はしかじか、複雑な周転円はこうと記した込み入った図まで示したら、あるいは咳やくしゃみの数まですべて話すとしたら、私はすっかり滅入ってしまう。話はこれらの細部ですっかり埋もれてしまう。私は彼がこう話すのを想像することはできる。「ここで蠅が、証人席の手すりに止まった」。その場合私は、なにか奇妙な興味深い事柄があとに続くと予期するのである。たとえば証人は病的な恐怖をみせて、叫び声をあげた。あるいは有能な弁護士がその機を捕らえて、すかさず巧妙な弁論を行った(皆さん、この蠅は・・・)。または蠅を払おうとして、重要証拠の上にインクがこぼれた。どのような場合であれ、その蠅は「どういうことなのか」と私は知りたがるだろう。ところが「どういうこと」でもなくて、それはただ「裁判の途中に起こったことの一部」にすぎないとしたら、それは裁判についての説明のなかにはまったく属さない。だとすれば私が「話を一部始終、なにひとつ残らず話してほしい」と言ったとき、私の言う意味は、「重要なことはなにひとつ残さないでほしい。話のなかにどういうことが含まれていようと、私が聞きたいのはそのことだ」と理解されねばならない(そしてそう理解されている)。そしてこれはたしかに、ランケが主として言わんとしてたことにちがいない。
(アーサー・ダントー著『物語としての歴史』P160)

 裁判所における蠅に関わる出来事は、起こった事ではあるが重要ではない。さらにそれは重要でないばかりでなく、起こった事自体が何か理由がなければ語られることはなく、記憶に残されることもないという点で、「起こった事」であったかどうかもわからないのである。想像してみるに、そうした起こった事とは裁判の間中に数限りなく起こっているはずだ。窓から光が射し込んだ。誰かが咳払いをした。ペンを落とした。埃が舞った。髪の毛が一本抜けた。そうして起こったことは、一瞬でも人の目に映るような事は僅かで、人の目には留まることもないところで大部分が起こっていることだろう。起こった事というだけでは、それは有象無象、人知では捉えられないほど数限りなく、この限りなさはどこで区切りをつけるのか、それも与えられないほどである。

 「過去」とは、これまでに起こったすべての出来事が、起こった順に定置されているような巨大な容器か格納庫のようなものだと想定してみよう。この容器は、一瞬一瞬前のほうに向かって伸びていき、出来事が層を成してその変幻自在な都合の良い胃のなかに飲み込まれていくにつれて、刻一刻と満たされていくのである。「過去」の前方への伸びは、押さえ切れずまた規則的である。そしていったんその容器に入ってしまうと、所定の出来事Eと、「過去」の容器の伸びつつある端とは、「時間」の流れと同じ割合でたがいに遠ざかっていく。他の出来事の層が積み重なるにつれて、Eは、「過去」のなかにどんどん深く埋もれていくのである。しかも「現在」から不断にどんどん後退するということが、Eが被らねぽならぬ唯一の変化である。それ以外は、いかなる修正をもまったく受けつけない、さらにEは、普通「過去」へともに繰り込まれる一連の出来事のうちのそのただのひとつであるにすぎない。この場合、Eおよびこれと同時の出来事は、それ以上の出来事がいわば新たな同時的出来事として参与しないという意味において、排他的なクラスを構成する。したがって「過去」は、それが刻々と過去の度合いを増すということ以外には、いかなる修正によっても変化しないし、出来事Eが過去に入るさいに、新たな他の同時の出来事がつけ加わることによっても変化しないのである。 (中略)ことばの用法に忠実であろうとすれば、出来事はさまざまな度合いで持続すると考えることが必要だし、唯一他に採りうる道は、出来事はきっかりそれだけの長さ、たとえば三分間のものというように、任意に決めるしかない。しかし語の用法にしたがうとすれぽ、出来事Eについて、それと同時のものは数多くあるけれども、正確な同時物はないと言わざるをえないだろう。そしてその結果、時間軸の進行方向でのEの先端に垂直な直線を引くと、その線はEと同時的な出来事の先端を通る垂線とは、おそらく交わらないだろう。ところが出来事が層を成して積み重なり、順序よく現在から遠ざかっていくような私たちのモデルに対して、これは都合の悪い帰結をもたらす。というのは出来事Eは完全に「過去」の領域に入っているが、かたやその同時的出来事たるHは、部分的にのみ過去たりえているだけで、一部はまだ過去を形造る途上にあるという場合を考えてみるとよい。Eと重なる部分が「過去」にあるとき、ではHの残りの部分はどこにあるのかと聞きたくもなろう。泥のつまった缶に半分埋まった虫のように、それが突き出ていると考えると、どうも落ち着きが悪い気がするのである。
(前掲書P178)

 ここでダントーが言わんとしているのは、出来事が客観的所与のようなものであるならば、それは「さまざまな度合いで持続する」均一時間軸上の実体ということになるが、ある時間点において、始まってはいるが終わっていない出来事というのは、「落ち着きが悪い気がする」ということである。それが時間軸上の実体であるのならば、終わっていない部分は時間軸上にあるはずがないからである。これはあの「三十年戦争が今始まった」と言えない、という事情と同じである。三十年戦争が始まったとき、三十年戦争の三十年は時間軸上に存在しない。出来事は「さまざまな度合いで持続する」のであるが、その度合いは客観的所与としてあらかじめ決まっているのではない。
 例えば、裁判の間に埃が舞ったという出来事が、検察官が机を叩いたことで起こったとする。この場合、机の上にあった肉眼では形がわからないほど小さな塵が、床あるいは裁判所の机や椅子に付着するまでが出来事なのだろうか。もしそうだとすると、「裁判の間に埃が舞った」というのは間違えかも知れない。塵は浮遊を続けて、裁判が終わり誰もいなくなって数時間後に床に着地したかも知れないからである。あるいは、机を叩いた出来事に関わる限りというのなら、舞い上がった直後までの出来事と言えるかも知れない。しかしその場合でも、「直後」とは10分間なのか1分間なのか、それとも30秒なのか5秒なのか。ここで「唯一他に採りうる道は、出来事はきっかりそれだけの長さ、たとえば三分間のものというように、任意に決めるしかない」ということになる。
 出来事が客観的所与としての持続ならば、時間点Aに始まり時間点Bに終了したことになる。しかしこの時間点Aには「始まり」としての何かがあったはずであり、時間点Bには終わりとしての何かがあったはずである。埃が舞ったのは、検察官が机を叩くという出来事があったからで、その埃の舞が終わったのはいつとは規定できない。それは終わりを決めることで規定されるのであり、埃が拡散して肉眼で捉えられなくなった時点と決めれば、それは10秒後であったりする。そしてこの「埃が拡散して肉眼で捉えられなくなった時点」という決め方に妥当性があるとするならば、それは裁判官が机を叩いたという出来事の文脈に照らし合わせてということになる。裁判官が机を叩いたという出来事は、裁判官が机を叩こうと頭のどこかで思い立ち、瞬間的に右手が持ち上がってから、叩いた振動によって舞い上がった埃が拡散して見えなくなるまでの間、と規定することもできるだろう。物語文は「時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示する」のであったが、こうして出来事もまた、「時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示する」わけである。脳裏に浮かんだ机を叩くという行為と、叩いた振動で舞い上がった埃が見えなくなるまでが、「裁判官が机を叩いた」という出来事を構成するのである。

 出来事が客観的所与ならば、所与としての始まりと終わりがある。しかしこの客観的所与を捉えるのが知覚であるならば、離れた始まりと終わりをどのように結びつけるのだろうか。ここで始まりと終わりの知覚記憶を持ち出してもよいが、それぞれ独立した始まりの知覚記憶Sと終わりの知覚記憶Eが結びつくのはなぜか。あるいは知覚し続けているのだとしても、知覚が継続的に働いていることと、特定の対象をマークし続けることは同じではない。そしてこのマークし続ける対象は当の出来事のはずなのだから、それは始まったそばから終わりを見越していたことになる。こうしてそこに知覚以外の、予見といったものを導入しないと、何かを知覚し続けることを説明することはできないのである。
 出来事には、開始において既に終わりが出現している。手を振り上げる動作が机を叩く出来事の始まりになるのは、その手が机の上面に強く打ちつけられる終わりによってである。そして机の上に接触した手が出来事の終わりになるのは、手を振り上げる動作が始まりとなっているからである。始まりは終わりに依存し、終わりは始まりに依存する。このことは、出来事というものが始まりや中間そして終わりといった、独立した部分によって組み立てられているのではなく、まず全体としての出来事が先行しているということである。この先行性や予見性を、出来事の先回りと呼んでおこうと思う。そしてこのような先回り性こそが、出来事の本質を形成しているのであるが、そのような出来事が知覚された客観的所与であるはずはないのである。

 主観と客観という認識論上の二分法は、認識者と認識者以外の実在という存在論的二分法に重ね合わせることで、客観が実在することに等しくなり、その実在が客観的所与として知覚されるという構図になる。そしてこの物の認識において適用されるこの構図を、林氏や遅塚氏は出来事にも躊躇することなく当てはめる。その結果、過去の出来事は過去において実在し、この実在し揺らぎのない出来事を、どのようにして客観的(ということは実在のままに)に主観が認識するかが、歴史学の基盤課題であるとするに至るのである。
 林氏や遅塚氏が『史学概論』で論じている史学基礎論が、実務的な史学研究にどう関わっているかは、割と簡単に指摘できる。特に遅塚氏に顕著であるが、要するに今現在行われている実証史学の方法論を、擁護し正当化することである。そしてその立ち位置で史学基礎論を論じると、それは出来事実在論になるのである。彼らの『史学概論』にこそ、実証史学と出来事実在論の密接な関係が示されている。
 この出来事実在論においては、過去に実在した出来事の痕跡を手がかりにして、現在においてそれを再構成することになる。これは痕跡という断片をできるだけ数多く集めて、それらをつなぎ合わせ、どうしても埋まらない箇所には解釈を施すことで過去を再現する作業である。しかしながら再現は現在において行われるのであり、本当は現在において指向された現れを、集めた断片によって描き直しているのである。この指向という先回りがなくしては、断片のつなぎ合わせ方にとどまらず、その断片がいかなる断片であるかも理解できないのであり、もっと言えば断片であるとも気がつかないのである。
 この史料痕跡論は出来事実在論から派生するのであるが、このような立場で過去の出来事に向かえば、指向は実在そのものの導きとされ、先回りの存在がかき消されてしまう。そしてこの先回りを忘却したままに、あたかも実在に接したかのように実証を唱えて出来事を固定し、典拠がないということで別の先回りを拒絶する。それは今手元にある潜在的な理解の体系へすべてを送り込むだけであり、巨大な現在への追従にすぎない。過去へ向かうというのは、時計時間を逆行させて、現在の理解の体系の支配を過去へ拡大させることではなく、現在ではないものに出会うということである。その出会いは、現在における理解の体系に飲み込まれている我々には、理解できない何ものかとの直面である。しかしながら、この「理解できない」ということを、実証史学は理解しない。なぜならば、過去の実在の痕跡を持ち寄り慎重にそれらを比較照合すれば、ある程度の解釈は残るにせよ、それを現在に再現できる=理解できるという信条こそが、実証史学の本領だからである。この本領は出来事実在論から必然的に帰結するのであり、過去であろうが現在であろうが実在は不変であり、ただそれへの近づき方が異なるだけだからである。
 おそらく実証史学が、まるまる出来事実在論に等しいわけではないだろう。それでも現在の実証史学は、出来事実在論に深く染まっている。それだから、史料文献に登場する用語には気を使うが、その歴史叙述に使う現代語の概念には無頓着である。「支配」「権力」「組織」「身分」そして「没収」など、その意味するところの内容がどれほどその歴史叙述を拘束することになるか、どれほど現在に隷属させられることになるかには、気を配っている様子はない。
 この「水野氏と戦国談義」では、そうしたことから不十分ながら権力とは何か(第九回「竿と錘の戦国力学」)、組織とは何か(第二十五回「戦国組織論(3)-交換と代替わり-」を論じてきたが、なぜそれを論じなければならないかを示すために、この「過去と歴史」は設けられたのである。出来事とは、それについて考察することを阻むほどに、深く謎めいたものである。過去もまた同様であり、その先に歴史という概念がある。この「過去と歴史」では、出来事実在論を徹底的に糾弾し、歴史に出会うための準備をする。そしてその準備は、まだ道半ばである。

次回につづく・・・
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by mizuno_clan | 2012-11-25 09:13 | ☆談義(自由討論)