【Event】[予告]「刈谷城築城480年記念会」講演会&シンポジウム

[予告]「刈谷城築城480年記念会」講演会&シンポジウム


 下記の通り、水野氏に関する講演会&シンポジウムの開催が予定されておりますので、予めご連絡致します。

  尚 題目、日時などの詳細については、現時点では未定のため、決定次第改めてお知らせ致します。


         

イベント名: 「刈谷城築城480年記念会」講演会&シンポジウム
日    時: 2013年8月10日(土曜)
会    場: 刈谷市産業振興センター
           愛知県刈谷市相生町1丁目1番地6
講   師: 徳川宗家18代当主 德川恒孝氏 (徳の正字は「心」の上に「一」)
        水野宗家20 代当主 水野勝之氏


出典:刈谷城築城480年ホームページ
「 築城480年記念事業では1年間、様々な事業を展開します。」
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by mizuno_clan | 2013-05-28 23:49 | Event-2(シンポジウム)

【談議1】水野氏と戦国談議(第四十一回)

歴史と過去⑦-歴史と言語Ⅱ:読解と批判-

談議:江畑英郷

 文字史料は言語で記述されている。そしてこの「言語で」という箇所の理解によって、歴史学はどう変わるのだろうか。実証史学はこの「言語で」という箇所を、「過去に実在した出来事を復元可能な手段で」というように理解する。そこでの言語は復元手段なのであり、差し詰め復元するための指図書といったところである。これに対して言語論的転回を踏まえた視点に立つと、まず出来事はそれを捉える言語によって規定される。そして言語により捉えられ記述された史料は、それを読み取る言語によって規定される。この場合の「言語」は、ソシュールであれば「ランガージュ」と呼ぶであろうが、これは通常「言語能力」と訳される。ここではこの「ランガージュ」を、「理解能力」のことだとしておこう。言語は理解を表現する手段ではなく、理解能力そのものである。そして理解は、あるものをあるがままに受容することではなく、身に寄せて捉えることであり、身に寄せるというのは生活という遂行に組み込むことである。
 実証史学は、言語を復元手段だと捉えることから、とにかく「事実に基づく」を第一とする。史料を媒体だと言い、そこでの言語の相違は同じ対象に対する発音や綴りの違いとしてしか意識されない。しかしながら歴史学者の中には、そうした実証史学から少しズレた人(適切な表現ではないが)もいる。その一人である笠松宏至氏は、そうした個性が伺える『法と言葉の中世史』という本を書いている。この本には同僚の勝俣鎮夫氏の解説がついているが、まずはこの解説の冒頭を引用しておこう。

 著者の笠松宏至さんは、中世史家として、日本の中世に生きた人々との対話を求め、それを楽しんでいるように思われる。この対話は、中世の人々が現実の生活活動のなかで書き記した史料で、現在は「古文書」として眠り続けているものを、読む者が働きかけて目覚めさせなければ成立しない。この古文書の再生は、働きかける現代人が、近代的価値観から解き放たれて、中世の人々が生きていた世界に近づき、相互理解が成立したとき、はじめて可能となるのであるが、その相互理解のいとぐちのひとつは、いうまでもなく言葉である。中世の人々が使用した言葉の理解をとおして、中世の人々との対話ができたと著者が実感しえたことをまとめたものが、本書に収められた短編群であると思われる。

 ここで勝俣氏は、「古文書の再生は、働きかける現代人が、近代的価値観から解き放たれて、中世の人々が生きていた世界に近づき、相互理解が成立したとき、はじめて可能となる」と述べているが、これをどのように理解したらよいのだろうか。勝俣氏は、この「対話」「相互理解」は、「働きかけ」によって実現できるように書いているが、この「働きかけ」が何を意味しているか、ここでは判然としない。しかし続けて、「その相互理解のいとぐちのひとつは、いうまでもなく言葉である」と書いている。「いうまでもなく」というのは、古文書が言語で書かれたものだからということなのか、「言葉は文化である」ということで、そこに中世独自の文化が現れているという意味なのか。答えはこの、『法と言葉の中世史』を読めばわかるということなのだろう。しかしながら、現代の我々と中世の人々の間に「相互理解」や「対話」が成り立つとは、どういうことなのだろうか。その間は「いうまでもなく」言語が介在しているが、言語が単なる媒体などではなく自制的に世界を構成するものであるならば、それは「相互理解」や「対話」を妨げるものであるかもしれない。今回の主題は、この勝俣氏の見解を批判的に検討することにある。「近代的価値観から解き放たれて、中世の人々が生きていた世界に近づき、相互理解が成立」するとは、どういうことでそれがどのように可能となるのか。それは今回で7回目となるこの「歴史と過去」で考えてきたことの、一つの区切りとなる考察となるはずである。
 勝俣氏の解説は、「本書に収録されている"中央の儀"という作品は、このような著者の創作スタイルがよくうかがえる短編である」と続く。この作品は、笠松氏が「中央の儀」という見慣れない用語に出会って、その意味を明快に解き明かしたものであるが、中世の言葉の読解と批判について、今回はこの短編を元にして考察することにしよう。

 この「中央の儀」は短編なので実際に読んでもらいたいが、笠松氏の結論からすると、この用語の意味は以下のようなものである。
(以降、引用元を示さない場合は、『法と言葉の中世史』より抜き出したものである)

決定権者たる権力トップが除外された場における家臣たちの決定が、トップの意志として外部に表明される、これがこの時代「中央の儀」とよばれたことの中身であることは、今やほぼ疑いないところといえよう。そしてもっとも肝心な点は、それが単なる「無法」や「越権」ではなく、なんらかの「合法性」、新しく生れつつあるルールの存在を暗示することにある。このような新たなる政治形態、もしくは政治思想を、外部者は多分に非難を込めて「中央の儀」と表現した。それは一種の新造語、ある一部に通用する流行語であったに違いない。

 「中央の儀」という用語の意味を、笠松氏は別に以下のようにも整理している。

(1)本来の決定権者たる室町殿が、関与しない、というよりむしろ意識的に桟敷におかれ
(2)実際上は管領、侍所、所司代等々の優勢者が下した決定を
(3)「上意」の名において他に強制しようとする


 「中央の儀」という用語の意味自体は、この上記3項目の内容に示されている。しかしながら、これだけのことであれば「従者による主人意志の単純な詐称、いつの時代でも珍しくない越権行為」に過ぎないことになる。ところが笠松氏は、史料から読み取った越権と詐称に、「新しく生れつつあるルールの存在」を認める。笠松氏が「もっとも肝心な点」だと言うように、この新ルールの創出を「中央の儀」という用語に見て取ることが、単なる不明な用語の意味を解明することを超えたこの短編の意義である。
 「中央の儀」という用語の意味は上記3項目の内容なのであるが、それが新ルールの創出という時代理解にまで進むのはなぜだろうか。上記の(1)と(2)は、従者集団の越権行為を示し、(3)が詐称であることは明白である。そうであるのに、「それが単なる“無法”や“越権”ではなく」とされるのは、そうした違反に対する反撃がなく、その違反が黙認されているからである。
 笠松氏がこの短編の中で検討する史料は、伏見宮貞成親王が書き記した『看聞御記』であり、その内容は応永24年に起こった事件の事後処理をめぐってのものである。貞成親王は侍所所司代の命令に不審を覚え、「室町殿へ内縁をもって尋ね申しいるるのところ、御存知なしと云々。中央の儀、謀言露顕比興なり」となった。この時点で越権と詐称の二重の違反が所司代の命令にあることを貞成親王は知るのであるが、「その数日後所司代の使節が来て、例の一件の起きたときどのような処置がとられてたのか、起請文にしてさし出せ」との命令が返ってきた。それに対して貞成親王は起請文を提出したのであるが、すでに中央の儀であることは承知の上であるのに、またもや命令に従っている。所司代の命令が越権行為であり、それが室町殿の名をかたっているだけだと承知しながらその命令に従う親王の対応をみて、笠松氏はこれを単なる越権と詐称としてかたづけられないと考えたのである。そして明らかな違反行為が黙認され居座るということを理解するためには、この場合の越権と詐称が違反行為とはならないルールを想定するしかなかったのである。そして佐藤進一氏の「室町幕府論」で提示されていた「従者の協議決定が優先する」に依拠して、これを「新たなる政治形態、もしくは政治思想」の出現としたのである。
 笠松氏がここで「新たなる政治形態、もしくは政治思想」と言っていることが、具体的にはどういうことであるか。佐藤氏の「室町幕府論」からの引用に続けて笠松氏が述べている箇所があるので、そこからこのことを検討することにしよう。

一は将軍がかれの継嗣決定を重臣に委ねられており、他は御家人の継嗣を、かれの一族家人の意向によって、将軍が決めようという。事情は大きく違うけれど、継嗣について形式的な決定権をもつものの決定が、そのまま認められず、かれの従者の協議決定が優先するという考えに立っている点では一致する。これを単に、法に対する力の優先と片付けてしまってよいだろうか。つまり武家古来の通法に優先する価値があると考えられているのではないか。[中略] そして平和と秩序の維持を保障するものは、将軍にあっては有力大名、守護にあってはその一族家人の支持であるという認定に立てば、義持のケースも一貫した説明が与えられる。
(以上、佐藤進一著「室町幕府論」より笠松氏引用部分)
 ここに「武家古来の通法」に優越するものとして新しく発生した政治思想の特徴は、単純な従者のカの優越ではなく、彼らの「協議決定」の優越であった点にあったと私は考える。いいかえれば、元来主人と個々に結ばれていた従者のある部分が、一種の横の連帯をとげ、その総体として主人と対応する関係が、社会的認知をうけたことを意味する。したがってそれは、たとえばあの「下克上」などでは同時代人にとっても表現し切れない、新しい通念であったのではないだろうか。

 主人の決定に計らずに従者集団が決定を下すという事態を、笠松氏は「彼らの“協議決定”の優先」であるとする。佐藤氏は継嗣問題に関して将軍が示した決定の当事者主義を、「武家古来の通法」に対する「従者の協議決定」の優先としたのであるが、笠松氏はそれを「新たなる政治形態、もしくは政治思想」にまで進める。このことは佐藤氏が「平和と秩序の維持を保障する」ことが政治の責務であり、社会的な価値であるとする点に同調し、「従者のある部分が、一種の横の連帯をとげ、その総体として主人と対応する関係」となることで、時代が求める社会的価値を実現するという時代認識を、笠松氏が抱いていることを示している。したがって、従者の協議決定の優先が社会における「新しい通念」となっていたことで、貞成親王は従来で言えば越権と詐称である違反を、それとして告発できなかったという論理がここに構成されているのである。
 「中央の儀」という用語の考察は、この語の通用の背後にある新しい社会通念の登場を導き出したことで、単なる用語の意味の解明に終わっていない。勝俣氏が中世との「相互理解のいとぐちのひとつは、いうまでもなく言葉である」と述べていたことは、このことかと思えるのであるが、ここに真の意味での「相互理解」があるとは思えない。それはなぜなのかに答える前に、まずは笠松氏が導き出した、新ルールとしての従者による協議決定の優先について考えてみよう。

 「中央の儀」という用語に関わる背景も含めてこの用語の意味を整理すると、それは以下のようになるだろう。

①組織の決定権者は、その決定権に基づいて命令を下す。
②決定権者の命令は、その直接の下位者によって命令対象者に通達される。
③上記①が成立していない状態で、決定権者の直接下位者が複数集まり、その協議によって決定をおこない、それを決定権者の命令として通達する。
④上記③が命令対象者および決定権者に対して露見した場合でも、③の命令は無効とならない。

 上記③の事態は①が前提である以上、越権行為であり詐称である。しかしながら④の事態が続くことで、③の越権と詐称は消去される。そして③が違反でないのならば、①の前提は成立しない。ここでは、③が④によって継続的に成立する以上、実質的に①は否定されていると考えるべきである。笠松氏は従者協議決定の「優先」だとするが、これは①の決定が従者協議決定と一致した場合①は成立し、不一致の場合は成立しないのであるから、①は従者協議決定に従属していることになる。したがって実質的には、上位者単独決定の否定と命令権の剥奪と同じ意味になる。そしてこの①が否定されていながら、上位者の名をもって命令が発せられている事態を、どう理解すべきかがここでの第一の問題となる。
 この事態の理解として、命令形成の周辺で上位者の実質が失われていても、その外部である命令を受ける側では、依然として上位者の命令権限が有効性を保っている、という捉え方は可能である。ところが④においては、命令を受けた者が詐称であることを承知しているのである。史料の中では、貞成親王は室町殿の上意ではないことを明確に認識した後も、所司代の呼び出しに応じている。したがって命令を下される側にも、①の否定を目の前にしてそれを黙認する通念が存在したことになり、①の否定は命令形成の周辺だけに留まらないのである。したがって①の否定は世間周知のことでありながら、従者の協議決定は主人の名をもって下されているのである。
 笠松氏は、「ほん物の“上意”なのか、“上意”を装う“中央の儀”なのか、それを“室町殿へ内縁をもって尋ね”なければわからない。こんなことが、少なくとも前の時代にはなかったことだけは確かであろう」と書いている。しかしながら、ルール変更があったのならば、「ほん物の“上意”なのか」は問題とはならないはずである。実際に内縁をもって尋ねて中央の儀であることを知った貞成親王は、結局為すことを知らなかった。越権と詐称が居座る事態を説明するために、笠松氏はルール変更を持ち出したのであるが、そこでなぜ「上意と号す」必要があったのか。笠松氏が言うところの、従者の協議決定の優先という理解では、このことを明確に説明できていないのである。
 次に①の決定権者の「決定」という点について考えてみよう。何かを決定するには基準が必要で、その基準に基づいて決定がなされ、その決定を実施するために命令が下される。佐藤氏はその基準を「平和と秩序の維持を保障する」ことだと述べているが、上位者の決定が「そのまま認められず」ということならば、その決定がその基準に反しているということになる。そして上位者の決定が「平和と秩序の維持を保障する」ことに反するのであれば、それは上位者が判断ミスをしたか利己的に決定をしたかの何れかである。そしてもしそれが判断ミスなのであれば、従者の連帯はミスを指摘し上位者にミスのない決定に訂正してもらえばよい。そもそも上位者が「平和と秩序の維持を保障する」ことを基準に決定をするのであれば、独断を避けて関係当事者の意向を重視することになる。佐藤氏が挙げた例に即して言えば、幕府機構のトップの選出であれば重臣たちの意向を重視するだろうし、御家人の継嗣問題であれば一族家人の意向に基づこうとするだろう。そうであるのに上位者の決定が「そのまま認められず」、「平和と秩序の維持を保障する」ことに反しているというのであれば、その決定が私的で利己的なものだからであろう。
 ここで①の決定は、何に基づいてなされるのかという問題が浮上した。「平和と秩序の維持を保障する」という時代の要請に答える形で、従者の協議決定の優先が社会の新ルールとなったというのであれば、その主人の決定はなぜ否定されたのか。笠松の考えに従えば、それは主人の私的で恣意的な意向によって決定がなされ、それが「平和と秩序の維持を保障する」に反するからであろう。佐藤氏の挙げた事例では、将軍足利義持と義教は私的恣意性を避けるために、自らの判断を抑制して当事者集団の協議決定を望んで優先させていた。両人は自ら私的で恣意的な決定とならぬよう、当事者主義をとったのであるが、それが進めば将軍は決定しないが常態化する。そこに中央の儀が成立しているとも考えられるが、従者協議が必ずしも「平和と秩序の維持を保障する」わけではない。そしてもしこれが当事者主義であるのならば、当事者はより広汎な下位層へと広がっているのであり、そのことによって中央の儀の連鎖が出現するはずである。この中央の儀の連鎖とは、上意層の決定を待たずに下位層協議が決定する事態が、下方に向かって止めどなく進行することである。そしてこの中央の儀の連鎖が起こり、底辺に拡大した当事者協議が紛糾した場合を想定するならば、社会の平和と秩序の維持は返って実現しがたいものとなる。
 新たな政治形態として、従者協議決定の優先が出現していたのなら、なぜ「上意と号す」必要があったのか。また「平和と秩序の維持を保障する」ために、上位者単独決定を否定することが時代の趨勢であったのならば、下方に拡大する従者協議優先をどのように政治的な安定につなげたのだろうか。あるいは、上位者が平和と秩序の維持に反するようになっていた、というのは本当なのだろうか。笠松氏の打ち出した「中央の儀」の理解には、このような問題が解決されないまま残っていると思うのであるが、その根幹には上意の否定という事態が横たわっている。そしてこのような問題が生じるのは、この否定された「上意」の理解の仕方に何か不都合があるからなのではないだろうか。

(次へ)
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by mizuno_clan | 2013-05-25 13:37 | ☆談義(自由討論)

【談議1】水野氏と戦国談議(第四十一回)

(前文へ)

 笠松氏は「中央の儀」という用語の意味を、「決定権者たる権力トップが除外された場における家臣たちの決定が、トップの意志として外部に表明される」ことだと規定した。この規定には違和感を覚える箇所があるのだが、それは「トップの意志として外部に表明される」という下りである。トップを決定権者と規定しているのであれば、なぜ「トップの決定として」ではないのだろうか。「意志」と「決定」は、簡単に置き換えられるものではないと考えるが、笠松氏が「トップの意志として」としたのには何か意味があるのだろうか。
 この「トップの意志として」という規定は、「上意と号す」からきている。笠松氏はこの「上意」という用語を、トップの権限においては「決定」とし、それが表明される段では「意志」だとする。「上意」という用語は、「中央の儀」のような意味不明な用語ではないのだが、ここであらためて辞書を引いてその意味を確認しておこう。

主君・支配者の意見、または命令。(大辞泉)
上に立つ人や政府の考え命令。(集英社国語辞典)

 このように上意には、「意見」「考え」と「命令」という二つの側面があるとされるが、ここで次に「命令」の意味も確認しておこう。

上位の者が下位の者に対して、あることを行うように言いつけること。また、その内容。(大辞泉)
下位の者に対して指示通りに事を行うように求めること。また、その内容。(集英社国語辞典)

 「命令」には、上位者が発し下位者がこれに従うという構図があるが、この点は辞書による「上意」の構図も同じである。一方で「考え」や「意見」には、当然ながらこのような構図はない。「主君・支配者」や「上に立つ人や政府」が頭になければ、意見や考えは上意の意味を形成しえないが、命令はそれ一語で上意に対応している。したがってこれに従えば、「上意」という用語は上下関係を含意する命令と個人としての意見や考えを、共に意味として抱え込んでいることになる。これに対して現代語においては、「考え」「意見」と「命令」は別のカテゴリーに属しており、その異なるカテゴリーをまたいで、それらを一括りにする用語は存在しない。そしてなぜ存在しないかと言えば、考えや意見は私的なもののカテゴリーに属するが、命令は公的なもののカテゴリーに属するからである。そして命令が公的カテゴリーに属するというのは、命令する側とされる側という上下関係が自然状態で存在することはなく、それは何らかの社会契約に基づいて形成されると考えられているからである。
 辞書における「命令」の意味は、「上位の者が下位の者に対して、あることを行うように言いつけること」である。しかしながら、この「言いつけ」に下位の者が従う何らかの保障がないと、それは命令にはならない。命令は、単に命令口調で言葉を発することではなく、それを受ける側がその命令に従う用意があることを要件として成立している。そしてその保障は、上位と下位という関係に規定されている。例えば企業の上司は部下に命令を出すが、これはこの組織の中でそのように規定されているからである。つまりこの上下関係は、職務の範囲内で命令しそれに従う関係であると規定されており、それがこの上下関係の前提となっている。そしてここで重要なのは、「職務の範囲内で」という制限がそこに存在することである。逆に言えば、職務外ではこの上下関係は無効である、ということになる。したがって「職務の範囲内で」成立する命令は、私的意見や考えではなく、職務遂行に基づいた適切な判断の結果として言いつけられているのである。
 このような意見・考えと命令を一括りにするならば、それは公私混同であり、現代社会においては重大な違反となる。私的欲望や見解を公的権限を行使して実現しようとする「混同」は、現代にあってももちろん存在する。しかしながらそれは、権限行使において公私の区別がないとか、つけられないといったことではない。したがって辞書が示すような「上意」に相当する用語は、現代には存在しない。それでは、現代に存在しない概念である「上意」の意味が辞書に記載されており、それを読んで意味が理解できるということは、いったいどういうことなのだろうか。
 「上意」という言葉は、上位者の私的意向である場合と、命令である場合とがあり、状況によって意味が異なるのだろうか。大辞泉での意味記載は、「主君・支配者の意見、または命令」なのだから、まさにこの意味であると受け取れる。しかしながらこの理解では、上位者の意向であったり命令であったりするものを、どのように見分けるかが現実場面では深刻な問題となる。上位者が、この上意は私的意見でこの上意は命令だといちいち示してくれればよいが、そんなことをするくらいなら「上意」などという面倒な用語を使うことは避けるだろう。そしてそう思うのは、私的意向と権限に基づく命令は混同してはならない、という不文律が染み込んでいる現代人だからなのである。現代語としての「意見」「考え」と「命令」は、それを一括りにすることはできず、それを一括りとした用語もまた存在することはない。したがって、辞書に示された「上意」の意味は、二つの別々の意味であって、その別々の意味をそれぞれに理解することはできても、二つ意味を包含した「上意」を理解することはできない。結局のところ「上意」とは、現代語の「意見」「考え」でもなく、また現代語の「命令」でもないのであり、この用語を「知っている」というのは、歴史からそれを引き剥がして現代語に翻訳していることによってであり、本当のところでは歴史における「上意」は未知なのである。

 ここで歴史用語と現代語の関係について整理してみると、それは次の5つのタイプに区別することができる。

①現代語と同じ綴りで同じ意味の語彙。
②現代語と異なる綴りで同じ意味の語彙。
③現代語と同じ綴りで別の意味の語彙。
④現代語と異なる綴りで異質である意味の語彙。
⑤現代語と同じ綴りで異質である意味の語彙。

 ①は読解の基本前提であって、日本の史料のほとんどがこの①に相当する。②で示しているのは異音同義語であり、③は同音異義語である。現代から時代が隔たると②と③の割合が増加するが、用例を増やしつぶさに検討すれば意味は理解可能である。ところが④と⑤は、これとは事情が異なる。②と③は綴りと意味の組み合わせが異なるだけで、別の綴りでその意味にぴったり当てはまる別の語彙が存在する。これに対して④と⑤は、史料に現れる語彙に対応する意味をもつ語彙が、現代語に存在しないのである。
 これまでの「上意」という用語の考察から、この用語がこの区分では④に該当するであろうことが伺われた。そうであるならば、それは語彙の綴りと意味が食い違っているのではなく、現代人にとっては未知の概念なのである。しかしながら、現代人にとって「上意」はそれほど耳慣れないものでもなく、時代劇などで繰り返しその用語が使われるのを見ている。そして将軍とか藩主の意向が命令となって下されたもの、という程度の理解でそれを受容している。この「意向が命令となる」を受容するためには、意向の持ち主と命令を下される側の上下関係を、ある仕方で理解しておく必要がある。それは「身分」である。この用語の意味を辞書で引くと、以下のように記載されている。

ある集団・組織における、その人の地位・資格。「―を明かす」
封建的社会における上下の序列。「―の違いを考える」
境遇。身の上。やや皮肉をこめていう。「まったく気楽な御―だ」
人の法律上の地位。民法では親族法上の夫・妻というような特定の地位をいう。

(大辞林)

 「身分」という用語は、現代においては「地位・資格」という意味で使われる。一方で歴史用語としては、「上下の序列」である。この地位と序列という用語単体ではその違いはわからないが、この用語が適用される集団・組織が、任意のものか、それとも必然のものかで、この用語の違いが示される。選択・契約の結果それが有効である間だけ成立するのが「地位」であり、選択の余地なく組み込まれ無期限に継続するのが「序列」である。したがって勤務先では地位をもち、親子関係においては序列をもつということになる。もっともこの場合の「地位」とか「序列」の意味規定は、『大辞林』に合わせた限りではあるが。
 主人の「意向が命令となる」のが可能なのは、この「序列」という意味の「身分」においてである。選択・契約によって成立している上下関係であるならば、選択の基準あるいは契約の範囲・制限がその関係成立の前提条件として存在している。そして命令が有効なのは、その前提条件が満たされている限りであり、命令は無制限ではない。上位者はその前提に則り、また前提を実現するために命令を発するのであり、それは恣意的ではありえず、関係成立の目的に対して拘束的でさえある。これに対して例えば親子関係は、関係成立の前提条件などない。したがって親が子に何かを言いつけるに際して、従うべき範囲や制限があるわけではない。そしてそのような拘束がなくとも、親の意向に子は従い、親の意向は子の利益につながるのである。「親の言いつけ」という言い方をする場合、この「言いつけ」は「上意」に近い意味合いをもつ。それは意向とも命令とも決めがたいものであるが、それというのもこの「言いつけ」の前提が「序列」だからである。このように無条件の上下関係においてのみ、上位者の意向が命令となりうる。したがってこの「身分」を前提として、あの時代劇における「上意」が理解されているのである。そしてここで重要なのは、この「無条件の上下関係」というものをどう考えればよいか、という問題なのである。
 「上意」という用語は、歴史用語と言うほど馴染みのないものでもなく、それなりにその意味もわかっているように思えるのであるが、現代社会の実場面においてこの用語を使用することはない。それは使用しないというよりも、使用できないのである。それは命令でありながら、批判することや変えることが引き抜かれており、何であっても従わねばならない絶対命令として意識するからである。「上意」とは絶対命令のことであると辞書に書かれてはいないが、封建社会では通用しても現代社会で使えない理由はこの点にある。しかしながら封建社会にあっては、絶対命令という意味の「上意」が時代劇の場面におけるように通用していた、というのは現代人の理解である。
 「絶対命令」という表現は、「命令」という用語の実質を無視したところに成立する。命令というものは、命じられたものがそれに従う用意がなければ成立しない。したがって「絶対命令」とは、命じられた者が何が何でも従う命令である。それでは命じられた者が、何が何でも従うのはなぜなのだろうか。例えば「死ね」と命じられた者が、それでも従う状況とはどのようなものか。強烈な信仰心によって、死をも辞さないということもあるだろう。それでは、その「信仰を捨てよ」と命じられたなら、それでも命令に従うのだろうか。意思をもち動機を抱える人というものは、絶対服従などできないのであり、服従するには理由が、つまりは前提が必ず存在する。したがってどの時代であろうと、無条件・無前提で成立する命令などないのである。
 「上意」において意向が命令になるには、無条件の上下関係である「身分」が前提となる。しかしながら、この無条件の上下関係から絶対命令を導き出すと、「命令」という概念が内包する意味に矛盾してしまう。このことは「意向が命令となる」という、私的意向と命令を一つに結び合わせたことに起因するのであるが、結局のところそれは、現代語としての「意向」と「命令」の概念では「上意」は捉えられない、ということの再確認となったわけである。したがって、この「上意」という言葉における現代の我々の理解は、こうして失敗していると言わざるをえないのである。

 見慣れぬ「中央の儀」の理解の鍵は、見慣れた「上意」の理解如何にかかっている。しかしながらその「上意」という言葉は、現代用語による置き換えでは、奇妙な社会の奇妙な習俗として馴染まれるに過ぎない。このような社会と言語の関係について、丸山圭三郎氏は『ソシュールの思想』で次のように述べていた。

言語はまさに、それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有な概念化・構造化であって、各言語は一つの世界像であり、それを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり、独自のゲシュタルトなのである。
(前回引用の一部)

 「それが話されている社会にのみ共通な」ということは、現代日本語が現代日本社会でのみ共通であり、現代日本社会でない社会では言語が異なるということである。それならば中世日本社会は、現代日本社会と同じなのであろうか。もしそれが同じというのであれば、そこに「歴史」を認めることはできないはずである。そして同じでないということならば、言語が異なるということであって、この言語間の橋渡しを翻訳によって果たすことはできないはずである。なぜならば言語とは、「経験の固有な概念化・構造化」だからである。この経験の練り込みが浸透している言語は、その経験の練り込みを共有しない者には理解できない。その固有性は、本質的に翻訳不能なのである。練り込みの違う経験どうしは、一見同じようであっても実質には隔たりがある。
 言語名称目録観では、言語外の対象が言語に先んじて存在し、言語はその対象のラベルに過ぎないと考える。この言語観においては、異なる言語間の翻訳がこの対象の先行性によって保障されている。言語の違いはラベルの違いであるが、そのラベルが張り付いている対象は同一なのである。そこでは対象の認識は言語に先立って成立しているのだから、用語と用語の対応表がありさえすれば、言語の違いは乗り越えられ相互理解が可能となる。しかしながら、この言語名称目録観の否定を根幹とする言語論的転回においては、言語が対象を規定するのだから、このような対応表を使った翻訳は機能しえない。そして言語の違いを超えて相手を理解するためには、経験の練り込みに迫らなければならない。この「経験の練り込み」については、次回以降ウィトゲンシュタインが提示した「言語ゲーム」に言及しながら、この意味するところを考えてみる。したがって今のところは、同じ人間として経験の練り込みが同じくなる次元と、これが異質となるものに分かれていく次元があり、歴史探求はこの後者の次元にあると理解しておこう。
 先に整理した現代語と歴史用語の関係においては、「中央の儀」は④「現代語と異なる綴りで異質である意味の語彙」のタイプであり、「上意」は④あるいは⑤「現代語と同じ綴りで異質である意味の語彙」のタイプとなる。それでは、この経験の練り込みが現代とは異質である社会の言葉に迫ることは、どのようにして可能となるのだろうか。

 「わかっている」と思っている用語は、理解の足場となり、それが「わかっていない」という想定は省みられることはない。それどころか、理解の足場を疑うあるいはそれが崩れることになれば、それによって理解した多くを危機に晒すことになる。したがって足場となっている用語は、省みられないのではなく、堅い防衛網の中で守られる。そしてそれによって理解した多くが、その現代的真っ当さでもって疑念を打ち払うのである。そのことによって、④と⑤のタイプの用語は現代語に翻訳される。翻訳されるということは、理解できるような現代語に置き換えられるということである。
 笠松氏が示してみせた「中央の儀」は、「決定権者たる権力トップが除外された場における家臣たちの決定が、トップの意志として外部に表明される」に翻訳された。同時に「上意」は、「トップの意志」あるいは「決定権者たる権力トップ」の決定に翻訳された。そしてこの翻訳によって、この言葉の意味が理解され、この時代に決定や命令に関するルール変更があったことを知ることになる。以降では、この言語名称目録観に依存した翻訳を超えて、歴史に到達するように試みる。そのために、翻訳によって「知った」「わかった」「理解した」知識や概念の枠組みを解除し、そうした翻訳用語を使用しないようにする。さらには史料の文脈に限りなく近づくことが必要であるため、この「中央の儀」においては、貞成親王の「中央の儀か」に込められた、切実なる要請について考察することから始めるのが順当だろう。
 貞成親王は、「上意に非ず、中央の儀か」に拘り続けた。それはまるで上意であれば、自らの求める正義が実現されるはずだと確信しているかのようである。親王の意図に即して考えてみれば、ここでやみくもに新たな政治形態への移行に反抗しているわけではない。親王は、自領内で発生した強奪事件が正当に解決されることを願っているわけで、その正当・正義が上意と同等とみなしているのである。つまり「上意であったならば、このような不当な命令は出されないはずである」という確信があって、実際に下された命令を「中央の儀」と疑ったわけである。ところで、笠松氏がこの「中央の儀」という用語に初めて出会った史料の内容は、次のように訳されている。

ところで、もしかしたらこのような不法行為は、中務少輔殿自身は御存知ないことで、中央の儀なのかとも思われるが、どうなのであろうか。本当のところを、貴方から聞いてもらえれば大変有難い。
もしまた、当知行歴然たる在所であっても兵粮米徴集のために下地を押領するのが、当り前のやり方であるというなら、京都で幕府の意向を尋ねてみることにするが。


 ここでの押領のことは、中務少輔自身も知らないのではないかと疑っているが、もしそれが中務少輔自身の命令であるのならば、京都で幕府の意向を尋ねると史料の記載者である経祐は書いている。ここで経祐が問題としているのは、中央の儀かどうかではなく、下地の押領は不当であることをもってその返還を実現することである。経祐にとっては、上意とは正義の命令であって、中務少輔の命令が不当ならばそれは上意ではなく、京都の幕府の意向が上意なのである。先に「上意」という用語の意味を掘り下げて検討したが、その結果、それは現代語の「命令」に翻訳できるものではなく、無制約無条件の命令(この表現のままだと矛盾しているが)として理解しなければならないとした。上意が無制約の命令であるというのは、それが専制体制における命令だからではなく、正義の命令だからという解釈がここから導き出せる。
 「上意」とは正義を実現する命令である、という解釈に立ってその構造をここから考えてみることにしよう。現代の命令においても、非常に強権的な命令が存在する。例えば、死刑制度を敷く国家における死刑執行命令である。これは抵抗できない相手を死に至らしめる行為であり、その命令の適用は厳格である。無抵抗の人間を殺害するという最も非人道的行為でありながら、それは命令として発せられ確実に執行される。なぜこのような命令が成立しうるのかと言えば、それが正義の命令だからである。そしてこの場合の正義とは、国法に反して犯罪行為に手を染めた者を、国法として規定された手続きに則って処罰することである。そして国法における正義の源泉は、国民の合意で制定されたという一点にある。したがって「正義」とは観念的なものではなく、構成員の合意に基づいて力を付与されたものなのである。
 それでは経祐や貞成親王が求めた正義とは、構成員の合意に基づくという現代の正義とは別ものなのだろうか。この両者には、本当の上意であれば正当な命令が下されるはずだという確信があり、それがあって中央の儀という言葉が発せられている。しかしながら、なぜ彼らが望むことが正当であり、またなぜ正当だとして他者からも同意がえられると考えられたのだろうか。それはそのことが立法化されていて、その法律を彼らが知っていたからなのだろうか。経祐は「当知行歴然たる在所であっても兵粮米徴集のために下地を押領するのが、当り前のやり方であるというなら、京都で幕府の意向を尋ねてみる」と述べていた。兵粮米徴集に関しての法律が存在しており、それに基づいて経祐が違法を訴えているのならば、「京都で幕府の意向を尋ねてみる」とはならないはずである。

(次へ)
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by mizuno_clan | 2013-05-25 13:36 | ☆談義(自由討論)

【談議1】水野氏と戦国談議(第四十一回)

(前文へ)

 ここで正当性と法について、橋爪大二郎氏がその著書『言語ゲームと社会理論』の中で述べていることを見ておこう。

 日常の社会生活もまた、ルール(法=規範)にしたがっているはずだ。しかしそのルール(一次ルール)は、ひとびとの遂行の前提になっているだけで、その姿を積極的には現さない。それが積極的な姿をとる-法として存在しはじめる-のは、法的言説を操る言語ゲームのなかでである。法的言説を操る言語ゲームは、日常の社会生活の成立を前提にして、そのルールへの言及関係を張りめぐらす。こうして、二種類の言語ゲームが、言及を通じて結びあうこと-これが、ハートのいう「一次ルールと二次ルールの結合」のいみするところにほかならない。[中略]
 ハートによると、すべてのルール(にもとづくゲーム)は、周辺部があいまいな「開かれた構造」をそなえている。すなわち、ルール(にもとづくゲーム)は、誰がみても明白で異論の余地のない確実な芯部のまわりに、疑わしい半影をしたがえている。この疑わしい半影の部分こそ、審判の出番であり、審判の権威がゲームの円滑な進行のために必要な場合である。

 20世紀を代表する法哲学者であるハートは、法というものを一次ルールと二次ルールの言及的結合であると考えた。一次ルールは「ひとびとの遂行の前提になっているだけで、その姿を積極的には現さない」規範であり、二次ルールは「法的言説を操る言語ゲーム」である。一次ルールは言及されるもので、「社会生活に規範的な構造を与えるルールである。ただしその規範性は、端的に遂行的なものであって、言及されなければ存在が明らかとはならない」(橋爪)ものである。したがって通常、目にして口にする法律は一次ルールへの言及であり、この言及にも「承認・変更・裁定」といったルールが存在しそれが二次ルールということになる。ここに「言語ゲーム」という概念が登場し、橋爪氏のハート理解はこの言語ゲーム理解を前提としている。先にも断ったようにそのことは次回以降に述べるとして、ここでは法律というものを言説として捉え、その遂行的な規範に対する言及としてこれを押さえておこう。たとえ法律がない社会においても生活が現に可能となっているということは、そこに何らかのルールが働いているということである。そこでは明示的なルールが可視的に存在していて、それに意識的に従っているのではなく、人が現実の状況を規範的に形成しているのである。
 このハートの主張するところのルールを説明するために、橋爪氏は野球における「審判のいるゲーム」を例として示す。野球のルールはそれがルールであるために従っているというよりは、ルールに従わないと野球そのものが成立しない。したがってこのゲームのプレイヤーたちは、野球をしているのであって、そのルールブックに行動を合わせているのではない。ピッチャーがボールを投げて、バッターがそれをバットで打つ。それはそのようなルールだからそのようにしているのではなく、野球とはそういうものであり、そこにあるのは規定ルールに則った行為なのではなく、野球というゲームの「プレイ」なのである。したがって、「誰がみても明白で異論の余地のない確実な芯部」というものは、このプレイ自体を構成するものであり、「端的に遂行的なもの」というのはそのことを示している。
 「審判のいるゲーム」と同様に、社会生活の営み自体に織り込まれそれを構成する一次ルールが存在する。社会生活が営まれているということは、すでに何らかのルールが始動しているということである。それはルールを決めてから社会生活が営まれたのではなく、営みという遂行が成立するために自身を律したものである。法の言説はこの始動している自己律に関する言及であり、自己律であったものの対象化であり可視化である。このようなハートの法哲学からすれば、貞成親王や経祐は、この社会生活の営み自体を構成する「誰がみても明白で異論の余地のない確実な芯部」として、自身の主張を確信したと考えられる。そしてその確信から、上意が離れないこともまた確信していたのであるが、それは上意が私人の意見でも考えでなく、また法的権限に基づく命令でもないからである。
 上意というものが法的権限に基づく命令であるならば、権限の剥奪に関する法が存在するのでなければならないが、「これこれの要件に該当したならば上意を禁止する」などという法があったはずもない。上意とは法的権限に支えられているのではないが、先に述べたように私的意向に基づくものでもない。これが私的意向であるのならば、「上意であったならば、このような不当な命令は出されない」と確信できなかったはずだからである。法的権限を根底で支え、私的意向を超えるものは、「誰がみても明白で異論の余地のない確実な芯部」としての一次ルールであり、この芯部のことを「正義」という概念で捉えることができるだろう。先に構成員の合意が正義を規定すると述べたが、そのような合意形成が可能なのは、その根底に「誰がみても明白で異論の余地のない確実な芯部」が存在するからである。しかしながら、この芯部は不可視の一次ルールであって、それへの言及としての形ある法ではない。したがって上意がこの一次ルールであるならば、それへの言及としての二次ルールがないところで働いていることになる。そして二次ルールがなければ「決定権者」といった規定はなく、「室町殿」も職位ではないことになる。

 「室町殿」という用語は、時の将軍個人を意味していたり、室町幕府体制の最高権力者の意味であったりする、と我々は理解する。しかしながらこれまでの考察で、「上意」は個人の意向でも権限に基づく命令でもないのだから、室町殿も個人でも幕府のトップでもないことになる。そうでありながら「上意」には、無条件に発せられ抗うことができないという意味が付与されている。そしてそのような上意は、社会において不可視の遂行的な規範を体現することで、社会正義に導くものであったのではないかと考えてみた。この想定、あるいは解釈でもって、そのような立場の室町殿がどのようにして出現するのかを考えてみたい。
 笠松氏の書いた『中央の儀』は、その終わりを意味ありげなイメージを読者へ投げかけることで閉じている。そのことに関する勝俣氏の解説文を、以下に引用する。

ここで著者は、「中央の儀」という言葉の用例をさがし求めるとともに、「中央」という当時使用された言葉を解析し、現代ではほとんど使用されていない時間的「中央」の語義が、「中央の儀」につながるものとし、この言葉の意味を「本来は決定権者の意向にまつべきところ、その途中の合議で……」と確定している。論文としては、これで立派に完結しているわけであるが、著者は、最後に、この時代最も一般的に使用され、節用集などの同時代の古辞書に共通して記されている中央=香台という中央の語義との関連が捨てきれないとして、次のような文章で結んでいる。

 ある夏の日の午後、デパートの最上階近く、壼やら茶器やらそんな道具類がならぶ一隅を歩いていた。短く太い四脚をふまえて、いかにも安定感のある黒塗りの香台、その上にこれはまたいかにも精巧で華著な香炉が、ちょこなんと載っている。強力な家臣団の支え(中央)がゆらげば、台上の公方(香炉)はひとたまりもない。しかし香炉(上意)のない卓(中央)も、無意味だ。

 私は、この文章こそ、著者が、この言葉を追う過程での「対話」で、正しいイメージであると実感しえたことであったと想像している。そして、この文章こそ、著者が最も書きたい文章で、このイメージを書きたいために、この作品が書かれたように思われるのである。著者自身が「正しい」と感じ確信したことがら、中世の人々があたりまえすぎるほどあたりまえであると考えていること、しかし現代に生きている人々に、近代の論理をもちいて証明してみせることがきわめて困難であること、それが著者をしてこのようなスタイルをとらせたのであり、文章力豊かな著者の腕のみせどころでもあったのである。


 ここで勝俣氏は、香炉と香台の「イメージを書きたいために、この作品が書かれたように思われる」と述べているが、これはどういうことだろうか。ここまで笠松氏は「中央の儀」という用語から、従者の協議決定の優先という時代のルール変更を読み取ってきた。それは「強力な家臣団の支え(中央)がゆらげば、台上の公方(香炉)はひとたまりもない」という表現に示されている。しかしながらそれに続く、「しかし香炉(上意)のない卓(中央)も、無意味だ」はこの読み取ったルール変更に逆行する。香炉の置かれていない香台が無意味であるのは確かだが、公方・上意のない協議決定は無意味ではなく時代の趨勢だったのではないだろうか。そしてこの文章こそ、笠松氏が書きたかったことであるとする勝俣氏の解説も、ここにきて意味不明となる。見方を変えれば、時代の趨勢でルール変更があったにも関わらず、「上意と号す」ことへの回答にも思えるが、上意のない中央も「無意味だ」では、これまでの笠松氏自身の主張も「無意味だ」となりかねない。勝俣氏は、「近代の論理をもちいて証明してみせることがきわめて困難であること、それが著者をしてこのようなスタイルをとらせた」と言うが、それならばやはり笠松氏の現代語による翻訳は無意味だったことになる。どうもこの両人の意図は測りかねるが、この香炉と香台のイメージを「“正しい”と感じ確信したこと」は、あながち的外れなことではないように思う。ここからは香炉と香台のイメージを糸口にして、そこに生まれる実感を私なりに詳述してみよう。

 香炉と香台は、どちらもそれ単独では香を焚くには不足がある。香を焚くにも趣があって、それがために香炉は「精巧で華奢」である。そして、それがためにがっしりとした香台を必要とする。また香台は香炉に合わせて設えてあり、香炉なくしては台とならない。香台が「中央」であるのは、香炉のために中を空けていることによるのだろう。例えば、砂を円形になるよう厚く敷き詰め、その真ん中から砂を四方によけると、中に円形の空きができる。そしてここに香炉を置けば、この砂の場が香台となる。ここでは周囲がよけられた中の空間が中央であり、それは「空ける」という行為によって成立する。
 周囲によって空けられ設えられた空間、それが「中央」の意味とも解釈できるが、この意味で「上意」を理解すると、中央という空けられた場のもつ力による行使という意味となる。この解釈のポイントは、トップやその従者といった実体にではなく、それらが共有する空間に力を認めることにある。そしてこの空間は、上位者と下位者どちらが欠けても成立しない。笠松氏の解釈では、中央は成就の途上という意味となる。この意味おいては、成就は上位者による命令の発動にあるのだから、本質的にはあくまで上意下達である。したがってその上意下達が、下位の一揆によって越えられるというストーリーを描き出していることになる。そしてこのストーリーの描き出しにおいては、上意は越えられるものとなり、それによって現代における組織内命令に同化されることになる。
 香炉と香台と同様に、上位者と下位者どちらが欠けても「中央」は成立しえない。これに対して、上位者がその力で下を押さえつける、あるいは関係者の合意がその力の均衡を生み出すとする捉え方は、どちらも上位と下位の共有・相互依存には至らない。したがって香炉-香台の関係によって出現する「中央」は、どちらにしても力の論理とは別の次元にあると言える。そしてその「中央」を「退き空いた」場とすることは、そこに「虚」を見てとることに進む。しかしながら、この「虚」は何もないということではなくて、突き合う力が引き退いたことで、事の芯部が露わになるといった場を意味するものである。そして退く行為が呼び覚ますのは、「敬う」という力の論理とは別の求心力である。
 退き空ける行為が生み出す場として、「神前」を考えるとこの視点について得心が得られるかもしれない。神前では誰もが頭を低くし、腰をかがめて進退する。この姿勢は身を小さくするものであるが、それは「畏まる」「謹む」と言われるもので、自ら身を緊縛することである。この自身の身を緊縛するというのは、「戒め」であり、私心を収め縛るを意味する。「出張る・誇示する・私欲に走る」に対して、「退く・謹む・戒める」という態度が「神前」を形づくる。こうして言葉を並べてみると、一方が力の発揮・行使であるのに対して、「神前」ではその力が自己解除されることが明らかになる。
 この「神前」では、そうした力の自己解除とともに、「神を敬う」という態度が示される。「退く・謹む・戒める」態度が自己自身に向かっていたのは違って、この「敬う」はその対象が存在する関係概念である。「敬う」と同義語扱いされる「尊敬」という言葉があるが、「神を敬う」という使い方をする場合は、「尊敬」がもっている「模範とする」という意味を除外する。この言葉はむしろ、「師を尊敬する」という使い方が中心で、その意味は「優れた相手を模範とする」である。この場合の「尊敬」では、相手が私的見方にせよ「優れている」ことが前提となる。これに対して「神を敬う」は、神が人間的尺度で優れていることを前提とはしない。欧米などの神はそこのところが違うのかもしれないが、少なくとも日本人にとっての「神」は、何かが優れていることを前提としない。このことは、『古事記』に登場する神々の描写にも示されていることであるが、それは汎神論の形態をとることと関係があるのかもしれない。
 相手が優れているのでもないのにそれを「敬う」となると、この態度は何に基づくのだろうか。これは一つの解釈であるが、やはりそれは「退く・謹む・戒める」ことの方が先行しているのではないだろうか。つまり自己緊縛、私心の解除という行為が先行し、その空いた場に「敬う」が宿るのである。人々が退き空いた場が出現したとき、そのような場が現れたこと事態が「尊い」のであり、そこに理由や前提を見て取ることに意味はない。この事態の現前は、人々の生きる営みの中に潜んでいた「社会」が姿を現したもので、おそらく生の芯部なのである。人はやはり単独の存在ではなく、「人々」として生きているという実が現前したものとして、このことを捉えておきたいと思う。
 それでは、この構図を先の「上意」の理解に適用するとどうなるであろうか。室町殿とは「敬う」対象であるが、それは彼の何かが優れている、あるいは他を圧する力があるからではなく、人々が退き空ける行為によって出現した「中央」に置かれたからである。そしてこの中央に置かれた室町殿は、「敬われる」のみでそれを超えて自らを示すことはない。力の大きさによって上に立つ者、あるいはその優れた器量によって先んずる者は、そのことを折りにつけて示さねばならない。そのことは同時に、その力と器量を行使することでもある。そしてそこにあるのは、模範としての尊敬あるいは追従であったとしても、相手に対する「敬い」ではない。退き空けた場に置かれた者は、力も器量も問われない「虚」に住まうのであって、そこでは不動でなければならない。そうでなければ、「中央」という「虚」が崩壊し、退き空ける行為も失われる。
 このような考察は、当時の人々の頭の中にあった観念を、これまた観念的にあれこれひねくり回した結果のように思えるかもしれない。しかしながら、当時の人々の脳裏にこういった観念があって、それによって謹みや敬いが行為として現れていたというのではない。それは思い込みなどではなく、遂行の中に現前するものである。このことの理解は、やはり「言語ゲーム」の考察を必要とするが、それはまたの話である。そして笠松氏の読解では、権限・トップ・命令・協議優先・ルール変更という用語の連鎖があった。そしてこの連鎖を引き継がない香炉-香台のイメージから、退き空ける・虚・謹む・敬う・不動という言葉の連鎖を引き出した。この連鎖には内的共働関係があり、それはそれぞれの体系を形作っている。そして前者が事実を表す連鎖で、後者が観念の連鎖であるといった偏見を振り払うために、あの言語論的転回が持ち込まれるのである。

 「上意」という言葉は、上位者の意見あるいは考えとして、もしくは命令として「わかった」つもりでいても、それは現代社会とは違う奇妙な社会における上下関係を現代的に理解し、そこから上位者と下位者の共働行為としてこの言葉の意味を捉えたものである。そうして把握された言葉の意味は、現代語への翻訳であり、現代においてのみ理解可能な意味を形成している。こうして④「現代語と異なる綴りで異質である意味の語彙」は、異音同義語の類へと同化される。「中央の儀」という用語は、笠松氏によって読解翻訳され、現代へと同化された。それは、この用語の意味として書き出された用語を見れば歴然である。

決定権者たる権力トップが除外された場における家臣たちの決定が、トップの意志として外部に表明される、これがこの時代「中央の儀」とよばれたことの中身であることは、今やほぼ疑いないところといえよう。

 ここに書き出された用語の中身は、読めば誰でもわかる。そこには、「権力者」「トップ」「決定」「意思表明」と現代語が並んでおり、この言葉に意味を吹き込む組織内上下関係は、現代人が日々その中に身を置いているものである。その組織内上下関係からすれば、ここで示されたことは紛れもない越権と詐称である。ところが史料には、この中央の儀が社会に平然と居座っていることが示されている。それは現代ではありえないことで、「中央の儀」という用語の解明の核心は、不当・違反が社会に居座る事態を説明することとなる。そしてその説明は、「平和と秩序の維持を保障する」ことを背景とした、決定プロセスのルール変更として提示された。そしてこの説明もまた、徹頭徹尾現代的なものである。
 実証的という態度は、現代における理解の枠組みに引き込んで、その枠組みの中で体系整合的であることを目論むものである。したがって「事実」であるとは、この体系に整合的にはめ込めるということであり、そのとき人はそれを「理解できた」というのである。歴史学は、進行形ではない過去を扱うが、その過去は現代語によって構築される。この「構築される」は、「現代語で説明される」と同義である。しかしながら、歴史に向き合う者は本質的にその社会、その言語から隔てられた者であり、その意味では過去を構築することしかできない。史料は翻訳され読解されるのであり、そうでなければ「理解した」とはならないのである。しかしながら、構築された過去と「歴史」は別物である。それが「歴史」であるためには、「理解できない」のでなければならない。現代語による疑似現代社会としての整合体系に引き込まねば、「これは事実である」といった理解と確定ができないのだから、その意味で「歴史」は理解も確定もできないのである。それならばそこにあるのは、歴史には到達できないという懐疑主義なのであろうか。
 現代の我々は、理解の足場を現代においている。この場合の「現代」は、丸山氏が言うところの「それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有な概念化・構造化」が生み出している言語である。しかしながら言語は、その社会において閉じきっているわけではない。人間として同質の経験を形成する次元もあるし、親から子へ受け継がれる同質性もある。それはハートの言う一次ルールのように、整然とした言及体系をもったものでも可視的なものでもないだろうが、社会における営みの深部で息づいている。そして「現代」と「歴史」を区分するのは、現代が再生産し続けている「経験の固有な概念化・構造化」そのものであり、「歴史」はその差異として浮かび上がる。ここでは現代語で説明され、現代固有の概念化・構造化に同化されてしまった過去と、その差異として立ち現れる「歴史」とを意図的に区別している。それはこの用語の一般的な使い方ではないが、そのように「歴史」を規定することは、言語論的転回を踏まえれば、あるべき姿だと言えるだろう。
 その意味の「歴史」において重要なことは、史料を現代語に翻訳して読解しないことである。「歴史」が過去の出来事に関するカタログを作ることではないのなら、現代との差異をこそ求めるべきであり、そのことは本質的な次元で現代を照らすのである。史料を現代に同質化して理解することを「読解」とするのであれば、「史料批判」とはそれに対峙する者の理解の足場を批判するものである。この「批判」という言葉には、辞書を引くと二つの意味が載せられている。

① 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
②人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
③哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。


 この『大辞林』に書かれた意味は3つであるが、意味的に①②と③は大きく隔たっている。③の意味は、あの哲学者カントの大著『純粋理性批判』の「批判」の意味である。認識の基盤を省みること。この意味において歴史研究を捉えるならば、その足場である言語を省みることであり、それが「経験の固有な概念化・構造化」であるならば、それはすなわち自己批判となる。そしてこの自己とは現代社会に生きる自己であり、その自己を批判するとは現代社会を本質から批判することなのである。かくて歴史学は、現代社会の本源的な批判学として、その学としての意義を示すことになる。

「歴史と過去」完
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by mizuno_clan | 2013-05-25 12:16 | ☆談義(自由討論)

【Event】刈谷城築城480年記念 市民大学講座

刈谷城築城480年記念「市民大学講座」が開催されます。
 講座は、二日間で2回行われますが、水野氏史研究会としては、
第2回 2013年8月3日(土曜)に、開催される次の題目に注目したいと思います。
ご興味のある方は、下記の要領で受講券をお求め下さい。
 尚 当リンクについては、担当部署の許可を得ております。


【終了しました】
講師:小和田哲男(歴史学者)
「信長・秀吉・家康と水野氏――戦国史の中の刈谷城――」


刈谷市ホームページ
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◆開催日・内容
第1回 2013年6月15日(土曜) 14:00開演(13:30開場) 
講師:高橋英樹(俳優)「高橋英樹流、歴史の愉しみかた」

第2回 2013年8月3日(土曜) 14:00開演(13:30開場) 
講師:小和田哲男(歴史学者)「信長・秀吉・家康と水野氏-戦国史の中の刈谷城-」

定員:各回1,500名

・未就学児の方は入場できませんが、臨時保育室(カンガルールーム:下記参照)がございますので御利用ください。
・手話通訳・パソコン要約筆記を実施いたします。(申込不要)

◆会場
刈谷市総合文化センター 大ホール
 愛知県刈谷市若松町2-104
 TEL:0566-21-7430

◆受講料
両日合わせて1,000円(全席自由)
5月17日(金曜)10:00から発売
※受講券の払戻は出来ません。

◆受講券取り扱い
刈谷市総合文化センター窓口 10:00から21:00 ※電話受付はありません
刈谷市総合文化センターホームページ ※ネット会員の登録が必要です。(登録無料)
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:988-253)
 ・お近くのチケットぴあ取り扱い店でも直接お買い求めできます。
 ・チケットぴあは、一部の携帯電話、IP電話、及び全てのPHSからは利用できません。

◆受講券について
 第1回開催日に会場受付にて「1回目受講券」を回収し「2回目受講券」をお渡しします。第2回開催日は「2回目受講券」をお持ちください。
※1回目を欠席した方は、第2回開催日に「1回目受講券」をお持ちください。

◆臨時保育室(カンガルールーム)のお申込みについて
受付期間:5月17日(金曜)10時から6月2日(日曜)22時まで
対象:市内在住、在勤、在学の方
定員:各回20名(申込多数の場合は抽選とし、抽選後に全員に御連絡します。
申込方法:メール(event@kariya.hall-info.jp)、FAX(0566-21-7440)、総合文化センター窓口
記載事項:託児希望の日程、受講者の住所・氏名(フリガナ)・生年月日、託児をされるお子さんの住所・氏名(フリガナ)・生年月日、(市内在勤・在学の方は)勤務先、又は学校名をご記入の上お申込ください。
※当日は緊急連絡に対応するため、会場内の指定場所での受講となります。

◆お問い合わせ
刈谷市文化振興課
愛知県刈谷市東陽町1丁目1番地
電話:0566-62-1037 FAX:0566-25-1006
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by mizuno_clan | 2013-05-11 19:59 | Event-1(講演会・講座)