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【推薦図書7】『続 加藤清正「妻子」の研究』 の書評

◆「熊本日々新聞」の書評に『続加藤清正 妻子の研究』の書評が掲載されました。

【推薦図書7】『続 加藤清正「妻子」の研究』 の書評_e0144936_15585264.jpg

# by mizuno_clan | 2012-02-26 15:59 | News

本会独自のスキン(レイアウト)について

 先般、スキン(レイアウト)の新作が提供され変更しましたが、このスキンを委員の合作によりカスタマイズし、トップデザインを水野氏史研究会独自のデザインに改めました。

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 本会設立4周年(3月3日)を直前にして、ようやく念願でありました「独自デザインのブログ」となりました。このデザインの趣意は、背景の黒板が「個別ページ」をイメージし、そのページ上に、左から順に、図1は「談義」、折れ線グラフは「アクセス解析」、分限帳は「水野氏名簿」、梵鐘は「水野太郎左衛門家」および「講演会」、オモダカの群生写真およびオモダカ家紋は「源氏・平氏系水野氏系統」、永楽銭家紋は「新宮水野家系統」をイメージしています。
                                                                   研究会事務局

# by mizuno_clan | 2012-02-21 05:55 | Information

【Contents――談義(自由討論)】

【談義1】水野氏と戦国談義   Update 2013-01-01


第一回 戦国時代の権力モデル

第二回 戦国期社会・権力モデルの転換

第三回 「リゾーム」型権力モデルで竹千代強奪事件を紐解く

第四回 戦国大名はなぜ戦い続けたのか

第五回 所領とは何か

第六回 名も無き戦国の牙城

第七回 怨は忠義に勝れり

第八回 三河武士は忠義に薄く

第九回 竿と錘の戦国力学

番外編:尾張・三河戦国マップ作成プロジェクト

第十回 当知行・当事案(1)

第十一回 当知行・当事案(2)-買得地拡がりの背景-

第十二回 当知行・当事案(3)-中世荘園制における所有の観念-

第十三回 当知行・当事案(4)-共生としての「当」-

第十四回 中世アナーキーのパラドックス

第十五回 人と地、そして質

第十六回 貸借と売買(インセスト・タブーと永代売)

第十七回 中世貸借と資本主義

第十八回 神仏と物神が媒介する市観念

第十九回 袖触れ合うも“多少”の縁

第二十回 『信長公記』首巻の中の奇談 「蛇がへの事」

第二十一回 闘う者たち(1) -地侍知行制の限界-

第二十二回 闘う者たち(2) -戦士の登場-

第二十三回 戦国組織論(1)

第二十四回 戦国組織論(2) -度合と統一基準-

第二十五回 戦国組織論(3) -交換と代替わり-

第二十六回 戦国組織論(4) -家とは何か①-

第二十七回 占有と所有

第二十八回 所有の意味を探る① -年貢請負と進止権-

第二十九回 所有の意味を探る② -融通と土地売買-

第三十回 国人小河水野氏の困惑① -苅谷赦免-

第三十一回 国人小河水野氏の困惑② -水野金吾構へ-

第三十二回 国人小河水野氏の困惑③ -山口左馬助生害-

第三十三回 アナーキーと主従関係① -欠所の意味を探る-

第三十四回 アナーキーと主従関係② -没収の意味を探る-

第三十五回 歴史と過去① -歴史学は経験科学かⅠ-

第三十六回 歴史と過去② -歴史学は経験科学かⅡ-

第三十七回 歴史と過去③ -過去観察と歴史-

第三十八回 歴史と過去④ -出来事実在論-

第三十九回 過去と歴史⑤ -事実と解釈-

第四十回 過去と歴史⑥ -歴史と言語Ⅰ-

第四十一回 過去と歴史⑦ -歴史と言語Ⅱ:読解と批判-

第四十二回 温故知新

●談義とは、言うまでもなく「自由に考えを述べ合い議論すること」つまり「堅苦しくなくざっくばらんに
 複数の人達が談じること」ですから、本会員はもちろん、本ブログをご見読いただいております多く
 のゲストの皆さんにも談義に加わり、活発な論議を交わしていただきたく、よろしくお願い致します。
●談義をこのまま画面で見読したり、横書でプリントアウトするのが通例ですが、さらに熟読玩味する
 には、文書スタイルを「縦書、袋とじ、 1ページ 字数46、行数18行」などに設定し、縦書きでプリ
 ントアウトすれば、より理解しやすく、また読みやすくなるかと思われますので、皆様もぜひお試し
 下さい。
●談義および研究論文・研究ノートなどへの「コメント・トラックバック・寄稿による論評」などについて
 は、最新の投稿記事に対しては勿論のこと、本ブログに掲載されている全ての投稿記事に対して
 の時間的制限はありませんので、何時の時点でもお気軽にコメントなどお寄せ下さるようお願い
 いたします。
                                                研究会事務局


【Contents――談義(自由討論)】_e0144936_16554079.jpg

# by mizuno_clan | 2012-02-19 23:08 | ☆談義(自由討論)

【談議1】水野氏と戦国談議(第三十六回)

歴史と過去②-歴史学は経験科学かⅡ-

談議:江畑英郷

 歴史学を経験科学として位置づけようとする動機は、歴史学が客観的な学問であり、そこにおいて社会的有用性があると主張することに発しているように思う。この動機そのものは当然のものであり、自らが客観的な、ということは自分本位ではなく架空のものでもない、ということを自覚しそれを表明することは、学問として不可欠な行為ですらある。しかしながら、客観的な学問であることがそのまま経験科学である、ということに帰着するわけではない。数学や論理学、そして哲学などは経験科学ではないが、客観的な学問であることを疑われることはないだろう。哲学については世間の見方がちょっと心配にはなるが、立派な客観的学問である。そして物理学や生物学、そして経済学などの社会科学もまた経験科学なのであるが、歴史学はどうしてその仲間入りを果たしたいのであろうか。
 今回、歴史学は経験科学なのだという見解を考えるにあたって、「経験に基づいている」と「科学である」という二つに分割して論を進めることにしよう。歴史学の場合は、このことを分けて考えることがことに重要になるのだが、それはこの学問が過去の出来事を対象とするという特異性に基づく。つまりすぐに気がつくことだが、過去の出来事は経験できないものであるのに、それを対象とする学問が「経験に基づいている」とはまずは奇妙なことに感じられるからである。このことは、この歴史学においては、経験というものが特異な位置づけになるということを意味することになる。

 それではまず、歴史学は「経験に基づいている」を検討してみよう。遅塚氏が『史学概論』を執筆したのは、前回みたように「主観的解釈から独立した客観的事実の実在を認めること」にあるのだが、そのことはもちろん歴史学の客観性を基礎づける意図によって導かれている。そして『史学概論』を通覧して言えることは、この客観的という概念に関連して、「経験」、「事実」、「実在」という概念がその主張の核心において何度も語られるということである。これら概念は、歴史学は経験科学なのだという主張において必ず使用され強調されるのであるが、その意味が規定されるということはなく、自明の概念として使用するにとどまっている。それら概念が使用される、代表的な該当箇所を以下に示す。

 前項で私は、論理整合性と事実立脚性とが、歴史学の前提とする約束事だと言った。そのとき、私には、それに先立つ暗黙の大前提があったのだ。それは、歴史学が科学だということである。そのことは、第一の約束ごとを記すにあたって、「歴史学が学問であり科学であるからには」、と述べ始めたこと、および、第二の約束ごとを説明する際に、歴史学が「経験科学」に属すると述べたことからも、容易に察知されたであろう。つまり、私は、いわば大前提として、歴史学を、宗教(信仰)やイデオロギー(世界観)や芸術(文学など)から明確に区別された、客観的な科学の一つであると考えている。そして、歴史学が客観的な科学であるための必要条件として、さきの二つの約束ごとを挙げたのである。

 歴史学が、経験によって知られた事実(文書や記録を呼んだり、遺物を調べたり、関係者から聞き取りをしたりして得られた事実)に基づく学問だ、ということ、つまり「事実立脚性」ということである。

 われわれは、研究対象としての事実を、直接に見ているのではなく、過去の残した痕跡(遺物や文書)を通して間接的に見ているだけである。この痕跡は、ふつう史料と呼ばれている。したがって、われわれは、史料を通して事実を知るのである。

 まず、史料の解釈という作業は、媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在することを前提にしている。この前提はいわばアプリオリな前提であるが、史料に「痕跡」が記されているのなら、その痕跡のもとになる何らかの「事実」が実在すると想定するのは、当然の前提であろう。(その前提が成り立たなければ、「痕跡」は虚偽または無根拠の幽霊になってしまう。史料の記述が虚偽または無根拠である場合には、そのことは史料批判によってほぼ確実に看破されるのであり、そういうウソの史料は史料解釈の対象から排除される)。史料の解釈は、この前提のもとで、諸史料の批判や読解や照合によって、痕跡の背後の事実を認識しようとする行為である。他方で、事実の解釈は、こういう事実の認識を前提として、諸事実の織りなす関連を想定し、そういう関連の中でその事実のもつ意味を検討しようとする行為である。

(『史学概論』遅塚忠躬著、東京大学出版会)

 遅塚氏は歴史学が「客観的な科学の一つである」といい、「歴史学が客観的な科学であるための必要条件として」、「論理整合性と事実立脚性」が保証されなければならないとする。そしてその事実立脚性は、「経験によって知られた事実に基づく」ことであると述べる。しかしながら、「研究対象としての事実を、直接に見ているのではなく、過去の残した痕跡(遺物や文書)を通して間接的に見ているだけである」ということで、この「事実に基づく」は問題を抱える。
 「経験によって知られた」というのは、直接の知覚によって認識されたということであり、「間接的に見ているだけ」というのは知覚していないということである。つまり知覚しているのは目の前にある史料なのであって、史料に書かれていることは「間接的に見ているだけ」なのである。そして問題なのは、この「間接的に見ているだけ」のことに、「事実に基づく」と言わしめてよいのかということである。そして遅塚氏はこの問題を、「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在することを前提にしている」ことで解消してしまうのである。
 遅塚氏は「事実が実在する」と言うのであるが、その実在は何によって確かめられるのであろうか。「史料に“痕跡”が記されているのなら、その痕跡のもとになる何らかの“事実”が実在すると想定するのは、当然の前提」なのであろうか。遅塚氏はこの痕跡-実在という図式で、あっさりと「間接的に見ているだけ」を乗り越えて、「事実に基づく」を前提としてしまう。しかしながら、「実在する」ということは、痕跡という残滓によって時間を越えてくるものなのだろうか。
 経験が科学の基点となりうるのは、そこにYes/Noがないからである。科学において「経験」という場合は、「人生経験」といった言い方で日常使われる用法よりも狭く限定される。科学における「経験」は直接知覚のことであり、この直接知覚には正しかったり間違ったりはない。もちろん人は錯覚をするのであるが、それが錯覚であることを知るのはやはりこの直接知覚においてである。間違いを正すのも、疑いを晴らすのもそれは「実際に見てみればわかる」ということであって、知覚こそは認識における究極の基盤なのである。そしてそうであるからこそ、この知覚を基点とする科学的経験は間違えようのないものであり、そこを源泉とすることで科学的客観性が保証されることになる。そしてこの知覚の対象を、「実在する」と言うのである。「実在する」の原義は、それが直接知覚の対象となっているということにあり、そのことから疑いようもなく厳然と存在するという意味を獲得しているのである。つまり「実在する」という言葉を定義しているのは、知覚体験に他ならないのである。
 知覚できない対象に対して「実在する」というのは、「実在する」という信念の表明に他ならない。「神は実在する」というのは、その意味で信仰心の現われなのであって、科学的な言明とはなりえない。それは「確かに存在するのだということを私は信じる」という意味を超えることはないが、ここで「実在する」は、「確かに存在する」という知覚抜きでの派生的意味として使われている。遅塚氏が言うところの「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在する」も、これと同様な「実在する」の用法である。それでは知覚による実在性の裏づけを欠いているのに、なぜそれは「確かに存在する」なのであろうか。
 遅塚氏は知覚している痕跡があるからには、「その痕跡のもとになる何らかの“事実”が実在する」はずだと主張する。これは例えば、犬の足跡が地面にあるのならば、その跡を残した犬が実在しているはずだ、という自明のことを根拠にしているわけだ。少なくとも遅塚氏はこれが自明のことで、これ以上検討をくわえる必要などないことだと思い込んで、それ以上踏み込むことなく「当然の前提」だと決めつける。しかしこうした点が、前回述べたように物語り論を展開する野家啓一氏に遠く及ばない原因となっている。ことはすでに歴史学のプラクティカルな次元の問題ではなく、哲学的認識論の次元にある。そこではこうした自明性にこそ、敏感にならなくてはならないのである。
 先の例えばの出だしは「犬の足跡が地面にあるのならば」であったが、そこで知覚しているのは「犬の足跡」ではなく、地面にある小さな窪みのはずである。ここでそれを見て「これは犬の足跡だ」と発言した者に、どうしてそれがわかるのだと質問すれば次のような答えが返ってくるだろう。「犬の足跡はこのようにして地面に残るものだ。かつて犬が歩いた跡に残った足跡を見たことがある」と。つまり過去の知覚が確実な知識となって、彼の発言を支えているというわけだ。するとこれまでに知覚体験を持ったことのない対象については、痕跡と認めることができないということになる。このことは指向する対象が認識されていないところには、痕跡は成立しないということを意味する。つまり、何のものだかわからないがこれは痕跡である、という言い方は成立しないのである。
 既知のものに対してしか、痕跡は認められないのである。そこに実在があっても、既知のものでなければ痕跡という通路は開けない。このことは、実在が実在らしく残していった痕跡があるにもかかわらず、その実在を先回りして知覚することなしには、それは痕跡にはならないということを意味する。犬を一度も見たことのない者は、犬の足跡を認識することができないのであり、犬を見るという知覚が、痕跡を残す実在に勝るということである。そして痕跡というものを真に支えているのは、背後にある実在などではなく、知覚体験による知識であるということを示しているのである。
 別の言い方をすれば、痕跡から実在に遡れるのは、目の前の知覚物が何の痕跡であるか知っているからであり、実在への通路を確保しているのは痕跡でも実在でもない。つまり、この通路の先の対象を客観的に認識する前提は既存の知識なのであって、「実在」と呼ばれるものはただ認識が到着するのを待っているだけなのである。したがって「史料の背後」などなく、既知の体系が史料に書かれた事柄に正当な場所を与えているのであって、神話的な「実在」がそれに確実性や客観性を付与するわけではない。
 目の前にある史料は知覚することができ、その紙質や筆使い、あるいは花押の形態などを、その知覚をもって吟味することが可能である。そしてここまでは、確かに経験に基づいた体系的な知識の集積だといえる。しかしこれより先、そこに書かれていることを吟味しようとするとき、知覚は登場の場面がない。したがってここに、「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在する」が必要となり、何ともこれを強引に実在に結びつけることによって、書かれている事柄に客観性を付与しようとするわけである。

 実在と認識の一致が事の真実であり客観性であるという前提から、史料に記載されている事柄に強引に実在をあてがおうとするあまり、「史料の背後」などという怪しげな言い回しをしてまで、歴史学を経験科学としたいという欲望をまずは捨てるべきである。なぜならこの欲望は、誤解と混乱によって扇動されたものだからである。先に述べたように知覚は客観性の源泉であり、その知覚の対象を「実在する」と称するのである。したがって、知覚できないものは実在しないのである。史料は実在するが、史料に書かれている内容は実在しない。しかしながら実在しないから虚構であるとか、誤りであるといったわけではない。数学や論理学の体系は実在しないが虚構であるわけはなく、また誤りであるわけでもない。虚構は確かなものがある前でこそ虚構になり、誤りは正しさの影なのである。それ自体で虚構もなければ、誤りとなるものも存在はしないのである。したがって知覚できず実在しないものにも、その存在の客観性は問うことができるのである。
 さて、ここまで「経験」と「実在」における客観性の問題を考察してきた。次にはこれまでの考察に踏まえて、「事実」という概念を点検してみる番である。実在は知覚体験が定義する概念であるために、知覚できないものは実在しないといった具合に知覚に従属する。しかし「事実」はそうではない。言語の柔軟性は、出来事を実在すると言ったり、知覚事実といった用語を組み立てたり、これこれが実在することは事実であるという言明を許容したりする。しかしながら、物と出来事、実在と事実はその性質が大きく異なるのであり、混同されてよいものではない。知覚に現れる対象は常に実在であって、夢や幻と区別されて間違うことがない。したがってそこには事実の居場所がないのである。事実というものは、これこれであるかないかの可能性が生じる場所に登場する。「雨が降っているのは事実だ」という言い方ができるのは、雨が降っていない可能性も等しく存在するからである。そしてそれを確かめるのは知覚であって、それは知覚が可能性というものをもたないからである。したがって知覚に現れたものは、事実であったりなかったりはしない。この知覚という意味での経験があつかうのは、こうした事情で事実ではないのである。経験科学は、それが事実かどうかなどは究明しないのであって、必ずそうなるという必然性を追求するものなのである。
 必然の中に事実は存在しない。ある必然の結果を事実であるというのであれば、そこにあるのは全てが事実であって、わざわざ事実だと言うまでもないことになる。したがって事実が究明されるのは、経験に現れる物の世界ではなく知覚されることのない出来事の世界ということになる。しかしながら、出来事が知覚されないというのはおかしいのではないか、と思うかもしれない。出来事を目撃する、あるいは出来事の当事者になるといったことが現にある、というのは誰もが認めることである。だがしかし、目撃したことや当事者となったことは本当に出来事なのだろうか。
 出来事とは何であるのか。この問いに向き合うためには、出来事は物語られるものであるという物語り論を検討しなければならない。しかしながらこれは次回以降に先送りして、今回は「歴史学は経験科学か」にひとまずの決着をつけておく必要がある。なぜならば、物語り論は経験科学という思いの縛りがあるところでは、その意味するところを掴みそこなうからである。それでいて物語り論は、「出来事」の本質を鋭く分析するのであるから、ここで援用したいところであるが、今は「事実」という概念の側から問題を解きほぐしておこう。
 世の中の出来事が必然的に引き起こっているとしたならば、事実を究明するということは意味をなさないであろう。どちらの可能性もあって、そのどちらか一方が出来事として成立してこそ、「これこれが事実だ」という表明に意味が出てくる。事実をめぐる審議という意味で、誰もが思い浮かべる刑事裁判の事例でここは事実について考えてみよう。
 被告Aが殺人事件で起訴されており、その裁判においてはその殺人を目撃したBの証言が、この審理の帰趨を決める鍵になっているとする。検察官がBに向かって「あなたは被害者Cの自宅で、被告人Aを見ましたか」と聞く。証人Bはうなずいて「はい」と答える。検察官をそれを確認して、「それでは、被告人はそこで何をしましたか」と問いを向ける。するとBは真剣な表情で、「AがCを殺すのを見ました」と発言した。さてここで、この殺人事件における決定的な証言が得られたということで、後は判決を下すだけという展開になるだろうか。答えはNOである。証人Bの証言内容には虚偽はないし、彼は良識ある人物でもある。そうであっても審議はここからが本番なのである。なぜならば、Bの目撃証言は彼自身はそう思っていても事実ではないからである。
 検察官は、証人Bが「AがCを殺すのを見ました」といった状況を、より具体的に詳細な証言として引き出すよう努める。そしてその具体的証言の裏づけとなるような物証を次々と提示し、事実に近づこうとするだろう。検察官は、証人の解釈ではなく事実を引き出そうとする。「AがCを殺すのを見ました」というのは、出来事の解釈であって事実ではない。それはあの、間違うことのない知覚ではないのである。こうして証人Bの解釈は無視され、彼の記憶の隅々までありのままに取り出す作業が進行するのである。その実直さは、歴史家の研究姿勢もさもあらんと思わせるのであるが、実はどこまでいっても起こった出来事そのものには届かない。具体化と詳細化は求めれば求めるだけその先があり、その中で裏づけが可能なのはごく一部である。しかしながら、刑事裁判には明確は目的がある。それは告訴された被告人が有罪か無罪か、その決断を下すことである。そしてそれは、起こった出来事の解明ではない。その点において刑事裁判は、事実の深みに足をとられることなく機能することができるのある。つまり事実追求を切り上げるためのルールが存在するのであり、それは検察側と弁護側双方の提示するネタが尽きれば審理は終わるというものである。したがって、その審理の進め方がどんなに「実証的」であっても、これをして経験科学であるとは言わないわけである。そして最後に下るのは真実の審判ではなく、人の判断なのだということが了解されているところにある。
 必然とみなされないということは、それが本当に間違いなく確かなことであるかと問われた場合、果てしない深みに落ち込むということを意味している。社会的な機能を果たしているものは、どれも事実をあつかい事実に即そうとするのであるが、一方でその深みからの切り上げ方を心得ている。そして歴史学とてこの点は同じであって、遅塚氏のような思いとは別にそれはどこかで切り上げられているのである。しかしそのことをもって、客観的ではないとか学問ではないとかといった評価をする理由にはならないのである。

 私はさきに我々の認識するすべてのものは過去の事物であるといい、過去の事物は直接我々の感官によっては認識でき得ないと述べたが、これは厳密には正しくないであろう。何となれば、たとい過去ではあっても近い過去(いわゆる現代)に対しては、我々自身の感官によってそれを把えるここが出来るからである。しかし実はこれは単なる論理上の立言にすぎない。具体的に考えればすぐわかるように、たとい現代に起こった事実であっても、我々が過去の直接の感官のみによって知り得ることは我々の身辺のごく僅かの事柄だけである。我々は現代の事物の多くを、他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する。それはやはり史料によって過去の事実を知るのと同じことであって、従って史料批判の方法は現代の事物の認識に対しても当然必要なのである。
(『史学概論(新版)』林健太郎著、有斐閣)

 ここで林氏は「直接の感官のみによって知り得ることは我々の身辺のごく僅かの事柄だけである」と述べ、「事物の多くを、他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する」と指摘している。林氏はここで述べたことをこれ以上掘り下げようとしないが、ここには決定的に重要なことが示されている。それは事実が「論理上の立言」とは別に、実際にはどのように形成されているか、その本質に迫っているのが「他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する」なのである。

 タイムマシンが使えない歴史家が行っているのは、手に入る限りの文書史料や発掘資料を「過去の痕跡」として読み解き、それらを整合的に組み合わせて合理的推論を重ねながら、受容可能な「物語り」をつむぎだすという作業にほかならないからです。
 この「合理的受容可能性」の概念をもう少し具体的に敷衍するならば、その内容は大森荘蔵さんの言葉を借りれば、「現在への接続と他者の証言との一致、そして物的証拠という僅かに許された三種類の手続き」(『時間と存在』)ということになるでしょう。これはもちろん、歴史記述において「物語り」が備えるべき必須の三要件にほかなりません。僕自身はこれを、過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する「通時的整合性」および過去の出来事がそれと同時代の人々の証言や物的証拠と矛盾しない「共時的整合性」という二本の座標軸として捉え直し、それを境界条件として「物語り」は規制されていると考えています。逆に言えば、この境界条件こそが歴史をフィクションから区別する境界線であり、歴史記述が遵守すべき最低限の「論理」だと言うことができます。

(『歴史を哲学する』野家啓一著 岩波書店)

 「他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識」された知識を、野家氏は「歴史叙述のネットワーク」と呼んでいる。そして知覚不可能な過去の出来事が事実がどうかは、この歴史叙述のネットワークに対して整合的に組み入れられるかどうかで決まってくる。時間の向こう側に鎮座している実在に対応するからではなく、現在において歴史家が持ち合わせている歴史叙述のネットワーク、それは歴史学の業績そのものなのであるが、それとの論理的な整合性こそが事実を確定させるのである。そしてこのネットワークは、野家氏が言うように「過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する」ものでもある。つまり現在の知覚体験とも接続しているのである。
 この歴史叙述のネットワークは、どこが起点でどこが終点といったことが見定められるわけではない。それは現代のインターネットのようなもので、どこかで起こった出来事がキャッチされると、ネットワークに参加する多数の発言によって練磨され、消耗しつくして消滅することもあれば、かえってその練磨によって強化されることもある。それは情報のサバイバルであり、それが仮想空間であると言われながらも現実と接続して相互浸透する。事実はこのようにして、実験器具の中や書斎の中でじっと見据えられるものではなく、グローバルなダイナミズムの中で棲息するものなのである。そしてそこには、このダイナミズムが不断に否応なしの打ち切りを下す場でもある。
 科学における狭い意味の経験は、目の前にある事物を知覚するという点で、その学問の基点としての足場を固めることになる。これに対して歴史学は、過去の出来事を対象とする限り経験に依存することはできない。しかしそれでも、歴史学が経験との接続性がまったく断たれているというのではない。また歴史学の客観性は、知覚に直に依存するといったものではないが、歴史叙述のネットワークの中でしっかりと成立しているのである。

[つづく]

# by mizuno_clan | 2012-02-19 23:05 | ☆談義(自由討論)

【談議1】水野氏と戦国談議(第三十六回)

[つづき]

 歴史学は経験科学なのかという、ある意味挑発的な問いに答えるために、経験科学を「経験」と「科学」に分けて考えることにした。経験科学における観察や実験は、知覚体験の無謬性に依拠することでその客観性の足場を築くのであるが、過去の出来事を対象とする歴史学は、この知覚体験からはまったく切り離されている。この点でまずは、歴史学は経験(知覚)に基づく学問であるとは言えないと結論づけておこう。
 歴史学は経験科学ではないとして、それでは科学なのかどうかを問うということは、それが科学的と同様の探求方法をとっているかを問うことである。経験科学における事実とは、知覚体験が直接にもたらすものであるが、当然ながらその事実を並べただけで科学が形成されるわけではない。知覚体験が現前させた事実、すなわち現象がどういったわけでそのようになったかを説明できること、これがなくては科学にはならない。それは事実のとらえ方は違ったとしても、歴史学においても同様のことである。

 知られた歴史が単なる事実の凝集であり、従って歴史的知識の増大が何等歴史の認識でないことは既に何度も指摘されたところである。それら知られた歴史の本質を知りその意味を考えることが歴史学の究極の任務であることはいうまでもない。それらの間に法則を発見することも、又それらの事実を価値観点から個性的に理解することも、皆同一の要求から出たことであった。この法則性の認識と個別的認識とは歴史的に対する二つの、しばしば相反的な方法として別個に提出されてきた。しかしこの両者を関連せしめることなくしては、歴史学の問題は解かれることがない。
(林著『史学概論』)

 ここで林氏が触れている、「法則性の認識と個別的認識とは歴史的に対する二つの、しばしば相反的な方法として別個に提出されてきた」という経緯について、ここで簡単にみておこう。

 19世紀ヨーロッパには、R・v・ランケやJ・ミシュレ、A・de・トクヴィル、J・ブルクハルトなど、いわゆる「天才歴史家」が多く輩出し、学問的歴史学が誕生した「歴史の世紀」であった。とりわけランケは、「各時代は直接神に対している」と述べて、ヘーゲルの理性主義的進歩史観を激しく批判し、厳密な史料批判にもとづいて、「過去の事実があった、そのままに」記述する実証主義を歴史学の方法論とする。その結果、哲学者による体系的全体史への懐疑が支配的になるが、それと同時に、技術の影響が日常生活に顕著なった19世紀には、自然科学や数学を他の学問より優れた学問、ひいては学問そのものとみなすデカルト以来の傾向にますます拍車がかかり、さらに歴史学に関してその学問としての資格を問題とする「学問論」的傾向が哲学において浮上したのであった。ここで歴史学を、自然科学とは別な意味における学問とする立場と、自然科学と同種の学問であるとする立場と、二つの立場が生まれる。
 前者の立場をとったのは「新カント派」と「解釈学」だった。自然科学を範とする立場からすれば、法則を見出しえない歴史学は学問ではないが、それに対して新カント派のヴィンデルバントは、学問としての目的や手法が、歴史学と自然科学とでは異なると主張する。「歴史家の任務はなんらかの過去の形象にそのまったき個性的特性を付与して新たな生命によみがえらせ、それを観念的に現前せしめる点にある。・・・自然科学の認識目的は理論である。・・・無時間的不変性をそなえて一切の世紀を支配する法則的必然性を認識しようとする」(ヴィンデルバント)。ヴィンデルバントやその僚友リッケルトにとっては、自然科学が、時と場所を選ばずあてはまる普遍的自然法則を一般化によって見出して、それをもとに理論を構築する「法則定立的学」であるのに対して、歴史学は、過去の個別的な出来事・人物を活写する「個性記述学」であった。

(『歴史の哲学』貫成人著 勁草書房)

 林氏において、「法則性の認識と個別的認識とは歴史的に対する二つの、しばしば相反的な方法」とされていたことが、ここでは「歴史学を、自然科学とは別な意味における学問とする立場と、自然科学と同種の学問であるとする立場」の2分化として述べられている。19世紀になって史料考証を確立させた歴史学は、一見経験科学のような装いをまとったのであるが、その歴史的説明が方法論として自然科学と同種であるか、それとも別の特殊なるものであるかが問題になったということである。そして「この両者を関連せしめる」林氏の立場は、以下のように表明されている。

 かくして、私は以上の考察から、すべての歴史事象をただ一つの法則によって説明することは不可能であるという結論に導かざるを得ない。人間社会はさまざまの要素の複合体であって、そこにはさまざまの力が作用し合い、それらの力はそれぞれに何等かの自己の法則を持っている。[中略]
 しかしながらあくまで法則性を歴史学の要請としながらも、歴史の法則を自然法則と同一視することは何人にもなし得ることではない。ここにおいてはやはり歴史法則の特殊性というものが考えられなければならないのである。

(前掲書)

 ここで林氏は、「法則性を歴史学の要請」とする点でそれは自然科学と同じであるが、その法則は「自然法則と同一視する」ことはできず、「歴史法則の特殊性というものが考えられなければならない」と述べている。しかしそうだとすると、歴史学に固有の法則性とは何であるかが問題になるのであるが、その前に「自然科学と同種の学問であるとする立場」、すなわち歴史学は自然法則と同型の法則によって出来事を説明しなければならない、とする立場についてみてみることにする。

 歴史学を自然科学とは別種の学問としてとらえようとする新カント派や解釈学に対し、歴史学と自然科学とを同じモデルでとらえようとするのがウィーン学団(論理実証主義)のK・ヘンペルであった。ヘンペルによれば科学的説明とは、一定の普遍法則と初期条件から、説明されるべき現象を演繹するものである。かれが挙げる例によれば、早朝、車のエンジンがかからず、ラジエターが破裂していることに気づいたときなされるつぎのような推論がそれにあたる。「昨夜は冷え込んだのに、ラジエターの蓋を閉めたままだった。そのため、冷却液が凍結し、膨張してラジエターが破損した」。このとき、「前夜の気温低下」「ラジエター内の冷却液密閉」などという事実(K1、K2・・・)と、「液体は凍結すると膨張する」という一般法則(L)から、「凍結した冷却液が膨張しラジエターを破壊した」という事実(E)が「演繹」され、それによって問題の事実が説明されることになる。一般に、出来事Eが「なぜ起こったのか」という問いに対しては、他の出来事K1、K2・・・、ならびに一般法則L1、L2・・・を挙げることによって答えることができ、その両者からEが論理的に帰結すれば、出来事Eは説明されるが、このような考え方を「演繹的法則論理モデル」または、「被覆法則モデル」とよぶ。
 ヘンペルによれば、自然現象に関するこのモデルは歴史的出来事にもあてはまり、フランス革命や明治維新も「貯水池の決壊」や「地質学的異変」と同じように説明しうる(リクール『時間と物語り』)ため、歴史学と自然科学が学問としてもつ性格に相違はない。ヘンペルの主張は、かれが属したウィーン学団の「統一科学の理念」に沿ったものであり、この理念からすれば、歴史学も「学問(科学)」を標榜する以上、自然科学と同様、法則定立的でなければならない。

(貫著『歴史の哲学』)

 「歴史学は経験科学なのだ」と主張すれば、当然ながら「ならばそこに普遍法則と、そこからの演繹という厳密さを備えているのだな」と問い返される。それはまさに当の経験科学の側から、冷ややかな目をもって、あるいは自然科学に歴史学をも隷属させようという意図をもって発せられるのである。ここに登場するヘンペルは、ウィーン学団に属する論理実証主義者である。そして彼らの「統一科学の理念」とは「自然科学の方法、ひいては物理学の方法によって、あらゆる科学を方法的に統一しようと目論んだ」(野家『物語の哲学』)ものであった。ここに野家氏が「目論んだ」という表現をつかうのは、まさにそれは野望といってよいものだからである。この論理実証主義はその後衰退したが、その理念を推し進めれば、「革命や戦争と言った歴史的出来事を心理的・個人的行動に分解し、それを生理的現象に、さらには物理・化学的現象にまで還元することによって説明する」(野家)までに至るのである。「歴史学は経験科学なのだ」などというのは、思うにずいぶんと不用意で無用心な発言だと思うが、いかがであろうか。
 さて、このヘンペルの主張は、歴史学というよりも歴史哲学に大きな波紋を拡げることになったのであるが、それに対する根本的な批判も生まれた。その批判は、貫氏の要約によると以下のようになる。

 第一に、歴史的事実に関する因果的説明は実行できない。「ルイ十四世の不人気」を「外交政策の失敗」に求めたとしても、外交に失敗した君主がすべて人気を失うわけでないのだから、説明を完成するためにはルイ十四世に関する他の要因をあげなければならない。ところがいくら記述を増やしても、類似の状況で人気を保った統治者を見出すことはつねに可能であるため、「ルイ十四世の不人気」の説明には数限りない事実が含まれることとなり、結局、その説明は、ルイ十四世という個別事例の記述でしかなくなってしまう。
 第二に、そもそも自然現象について普遍的一般法則を定立しうるのは、自然現象が反覆可能で規則性がみられるためだが、多くの論者にとって、歴史的出来事は反覆不可能は「唯一の出来事」であり、それゆえ、規則性や反覆可能性を語る余地はない。しかも、かりに歴史的事象について、一般命題を定立しても経験的確証は不可能である。一般法則が不可能なのだから、歴史において「予言」は不可能であり、「歴史決定論」は成り立たない。

(前掲書)

 非常に的確な要約であり、ヘンペルにくわえられた批判がよくわかる。そしてある意味このような批判によって歴史学は、「統一科学の理念」という野望に蹂躙されることから救われたと言えるだろう。しかしそうなると、歴史学はやはり固有の歴史説明の方法論をもっていることになる。林氏もまた、「歴史法則の特殊性というものが考えられなければならない」と述べていたが、その特殊性とはどのようなものかについては、詳細を欠いている。

 かくして、私は以上の考察から、すべての歴史事象をただ一つの法則によって説明することは不可能であるという結論に導かざるを得ない。人間社会はさまざまの要素の複合体であって、そこにはさまざまの力が作用し合い、それらの力はそれぞれに何等かの自己の法則を持っている。[中略]しかし実は条件が与えられたからといって、必ずしもその事柄が起こるとは限らない。それは可能性を与えることであってその実現を保証することではない。[中略]私はすべて歴史上の法則はこのような限定された意味における「制約性」の意味を持つものと解するのである。即ち主要な法則とは最も有力な条件を与える要因という意味であり、副次的な法則とはそれよりも小さな条件を与える要因という意味である。
(林著『史学概論』)

 歴史上の法則には「制約性」が付随するというのであるが、それは歴史法則は確からしさが限定されるということに帰結する。

 法則の妥当性は歴史の世界では自然の世界に比してはるかにより多く近似的であり、それ故に歴史の必然性は自然の必然性に比してはるかにより多く蓋然性の性質を持っているといえるのである。
(前掲書)

 この林氏の見解を継承する遅塚氏もまた、「柔らかな実在論」とか「柔らかな客観性」といった奇妙な用語を繰り出すが、結局のところこの域を出ていない。そしてその主張は、遅塚氏が言うところの「構造史的事実」が拠りどころとなるのだが、その客観的な装いをして科学であると言えるのかどうか、ブローデルと物語り論の関わりについてこの先考察をくわえようと思う。いずれにしても、自然科学とは異なる歴史学固有の方法論とは、いったいどういったものであるか。そのことに対する明確な回答はどこにあるのだろうか。貫氏はこれに、「因果法則を用いないとするならば、歴史記述は過去をどのように説明できるのだろうか。この問いに答えるために提案されたのが物語り論にほかならない」と応答する。

 その学の対象となる事象を説明するために、まず事象自体の確保が不可欠であるが、歴史学が過去の出来事を対象とするのであれば、それは科学的経験すなわち知覚することはできない。知覚に依存せずに、どうやって事実(過去の出来事)をとらえるのかについては、歴史叙述のネットワークに対する整合性が基準となることは示したが、このネットワークがどのようなメカニズムを持つものであるかには言及していない。そして事象を説明するための方法論であるが、これについては少なくとも自然科学のそれとは異なる特殊なものである、という結論をえるに至った。しかしそれでは、因果法則を用いずに、どうやって客観的な説明を歴史学はしているのであろうか。これらの問題は次回以降に持ち越しとなるが、前回と今回のテーマである「歴史学は経験科学か」の答えは出たはずである。そして、経験科学でなければ客観的な学問ではない、といった強迫観念は振り切るべきであることも、幾らかは示せたのではないかと思っている。しかしこのことを真に果たすためには、科学とはそもそもいかなるものか、という科学哲学の本丸に乗り込む必要がある。そして奇妙なことに、歴史学と科学哲学とは深い因縁で結ばれているのである。科学哲学と言語学を専門としながら、歴史物語り論で各方面の注目を浴びた野家啓一氏の次の言葉を、この「歴史学は経験科学か」の締めくくりとして以下に示しておこう。

 しばしば問題になる「歴史は科学か?」という問いは、明らかに歴史哲学の問いであると同時に、科学哲学の問いでもあるのです。また認識論の場面では、「過去の実在」をめぐるやっかいな問題は、たとえば「電子の実在」をめぐる問題と、原理的に知覚不可能な対象の存在を論ずるという点では基本的に同じ構造をもっています。そうした理由から、僕の問題関心は、最近の科学哲学や分析哲学の成果を踏まえながら、その延長線上で歴史哲学に関わる諸問題を考察していこうというところにあります。
(『歴史を哲学する』)
 だが、旧版の刊行から十年近くを閲した現在の時点から見直してみると、出発点の企図は別にして、本書が歴史学における「言語論的転回」の趨勢に掉さしていることは認めざるをえない。また、そのように位置づけられることを拒否しようとも思わない。私としては歴史学の論争に介入したつもりはまったくなかったものの、歴史学者の三宅正樹氏から思いがけず好意的な批評を賜ったことは、私にとって大きな支えとも励みともなった。ただ、私の目指す本丸が「科学のナラトロジー」にあり、「歴史のナラトロジー」はその前哨戦というべきものであったことは、ここで一言付け加えておきたい。
(『物語の歴史』岩波現代文庫)

# by mizuno_clan | 2012-02-19 22:53 | ☆談義(自由討論)