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【談議1】水野氏と戦国談議(第十六回)補足

                                                          談議:江畑英郷
 「貸借と売買(インセスト・タブーと永代売)」に対して、高村氏より「後北条氏は10~20本の竹徴発を村に対して行なっております」とのご指摘をいただいた。これについては、戦国期に軍需物資調達のために、そうした本数の竹割当などがあったのかと理解を深めた次第であるが、この礼状の要点について本文中で言葉が足りなかったと思うのでここで補足しておきたい。
 まず『織田信長文書の研究』における奥野氏の解説に、「竹は軍需資材にもなる。八月十六日に坂井大膳と甚助らを攻撃した軍事行動に関係があるとも考えられよう」とあり、この礼状は軍事物資調達に関わることを示唆している。高村氏のご指摘も「竹徴発」とあるので同様の観点のようであるが、よく考えてみるとその理解には問題があると思われる。
 信長が何百本、あるいは何千本の竹を軍需として必要としたかわからないが、浅井源五郎の二十本はその割当の一部だったとすると、その割当該当者に信長がいちいち所望し、そして礼状を一枚ずつ出すのであろうか。そうであるよりも、そうした軍需物資の具体的調達は、領主のもとに置かれた奉行なりの役目というのが理解しやすい。高村氏は「竹徴発」と書いていたが、軍事的な調達であれば確かに領主の所望ではなく、領地に対する組織的な徴発行為であろう。だが、「竹の事を申し候の処・・・祝着の至りに候」は、やはり信長個人が所望し贈呈されたことへの礼の言葉と受け取るのが妥当だと思うのである。つまりこの書状は、大量の軍需物資調達に絡むものとしてみるには無理があるということである。
 そうなると信長が個人的な頼みを浅井源五郎にしたことになり、望んだのは二十本程度の竹であったことになる。しかし「10~20本の竹徴発を村に対して」命じることが可能ならば、信長の直轄領からいくらでも手に入るはずで、わざわざ浅井源五郎に頼む必要はないのである。したがって、不足しているのでもないわずかの竹をなぜ望んだのか、このところが奇妙だと言いたいのである。そしてこの奇妙さを表現するならば、竹二十本が欲しかったのではなく、何でもよいから浅井源五郎から贈り物が欲しかった、ということになるのではないだろうか。
 たぶん世の中はそろそろ、お中元の時期なのではないだろうか。この慣習は、ルーチンワークのように欲しくもないものを贈呈する行為(言い過ぎだろうか)であり、贈呈の中身はある意味どうでもよく、贈ること自体に意味があるようだ。ずっと不思議で無意味な因習かと思っていたが、レヴィ・ストロースを読んで考えが変わった(だが行為としてはついていけていない)。ことによると年賀状もそうしたものかもしれないが、行為としてついていけていないのは同様である。日本以外の国でも、このような贈答行為が広くみられるのだろうか。どなたかご存知でしたら、教えてください。
 ところで、信長が浅井源五郎に贈り物を無心したというのは、誰でもプレゼントを欲しがるといった心理から出たものであろうか。しかし世の中には、「タダほど高いものはない」という言葉もある。この言葉の含蓄は、「タダというものは実のところ反対給付の心理に訴える狡猾な手法である」ということかもしれない。贈与によって反対給付が生まれることで、つまり贈与が返されることで、それは交換と同じようなものだと思うかもしれない。確かに物の次元では、交換が時間的にズレているに過ぎないともいえる。しかし多くの場合、贈与には反対給付の期待があるのではなく、「親愛」とか「好意」とか「挨拶」などの思いが込められているものである。すでにこのことによって、贈与は相手との関係構築を始発から志向しているもので、「交換」にはない心的・精神的次元が存在するのである。

 信長は「何でもよいから浅井源五郎から贈り物が欲しかった」という理解を別に表現すれば、「信長は浅井源五郎に借りをつくりたかった」ということになるだろう。それをさらに換言すれば、「信長は浅井源五郎の好意が欲しかった」ということになる。したがって贈り物の質や量が問題であったのではなく、浅井源五郎とのより強固な関係構築が望みだったということになるだろう。それは「大名権力として弱体だったため」誰であろうと味方にしたかったというものではなく、浅井源五郎を指定しての関係強化の要請だったように思う。なぜならば、地であったのか意図的であったかは別にして、「大うつけ」と評され周囲から白眼視されていた信長が、自らの権力の弱さを理由に周囲に擦り寄ったとは考えにくいからである。
 「信長は浅井源五郎に借りをつくりたかった」という「借り」であるが、これは貸借の「借り」とどのような関係にあるのだろうか。この礼状は貸借ではなく贈与に対する礼状と受け取っているのであるから、物の「借り」のことではない。竹を贈与してもらうことで心理的・意識的、そして人間関係において「借り」をつくるということである。それは債務意識などと考えるべきではなく、「借り」は相手との紐帯の表象なのである。信長はこの贈与の一件で浅井源五郎に負い目を感じたのではなく、相手から好意と繋がりを獲得したのである。こうした「借り」の視点で貸借を考えてみると、物の所有権の次元では贈与と貸借は明らかに異なるが、その行為の当事者の心理・意識、実感においてはこの両者は同質のものと考えることができる。そして中世・戦国期の「貸借」とは、市場経済における貸借・債権債務ではなく、「借り」の世界に属する事柄だったのではないだろうかと、本編で言いたかったのである。

by mizuno_clan | 2009-06-24 23:15 | ☆談義(自由討論)