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【談義1】水野氏と戦国談義(第二十六回)

(つづき)

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 こうした土地における生産と分配の体系を、図で示すと左の図1のようになる。インプット→生産→アウトプット→分配→インプット・・・という循環は、実際のところ生産の連続であり、その生産の連続に対して並行的に分配が進行していくことになる。つまり分配は体系の一過程として、ある時点で発動するというものではなく、恒常的に発動し進行しているものである。そして生産という変換プロセスを名づければ、それは「耕作」ということになろうが、分配プロセスは何と呼ぶべきであろうか。現代であれば「マネジメント」と呼ばれるのだろうが、過去においてはこれが「家」と呼ばれていたように思うのである。

 「地発」の考察を通して勝俣氏は、「オコス」ことが土地返還要求の根拠であるとみなした。しかし、こうした要請は「代替り」を契機になされることが多く、「オコス」=開墾であるならば、開墾した本人が受け戻せなかった土地を、どうして子孫が果たせるのかという疑問が残る。そしてこの疑問は、「オコス」は一度きりのものではなく、「オコシ」続けるものではくてはならないのであり、それは開墾した本人から代々子孫へと受け継がれていると考えることで解くことができる。そしてこの「オコス」とは、土地に対して諸力をインプットし、「生産」によってそれが変換されてアウトプットとしての産物を獲得することである。そして産物が再び土地に対するインプットに変換されるところで、この「オコス」は際限なく循環し、循環作動することで存在する諸力の体系=組織となるのである。そしてこの組織こそが「家」と呼ばれるものであり、組織化によって母体を乗り越え他人である家人を包摂するのである。
 ここまで、「家中」とは何であるかを明らかにしようとして、それが「“家”の形」を核にしているということから、その「“家”の形」について考察してきた。その結果として、「家」は土地に生命を付与し続ける循環体系の中に出現するもので、この循環作動を支える「分配」とほぼ同義であろうと考えてみた。つまり「家」とは、「領地」を維持する働きをもつものなのである。そして「領地」も「家」も、実体的に独自に存在するものではなく、社会の根幹にある土地に対する循環体系の作動の中に立ち現れるようなものなのである。
 今回のサブタイトルは「家とは何か①」であるから、これには続きがある。ここまでのところ、家長というものがなぜ存在するのかについて答えていないし、「オコス」に関する循環体系についても舌足らずである。これを十分に示すには、「体系」とは何であるかについての考察が必要となるだろう。バーナードは、「組織」とは諸力の体系であるといったが、この「体系」という概念は懐が深すぎてつかみどころがない。しかし、今回の考察においては、この体系とは何かを論じるシステム論が私の念頭にあった。そしてこれについて言及していないことで、今回述べたことが舌足らずに終わってしまったのであるから、次回以降でこれについて述べなくてはならないと思う。

by mizuno_clan | 2010-06-20 15:32 | ☆談義(自由討論)