【談義1】水野氏と戦国談義(第三十五回)
[つづき]
ここまで秀逸の定評がある林健太郎氏の『史学概論』に依拠して、歴史学の基礎論を確認し、そこでこの学のどこが実証的であり科学であるかを確認してきた。その結果、史料は過去の出来事を現在に伝達する能力を備えているが、事実以外もそこには混入している。そしてこの史料から事実だけを抽出する方法が確立されたことで、歴史学は科学と評される資格を得たのである、ということが確認された。しかしながら、事実は存在し痕跡を残すのだからこの痕跡を媒介として過去は現在に伝達されている、という常識的自明性に依拠するだけのことであれば、歴史学における認識の基礎論として甚だ不十分だと言わざるをえない。そしてそれはおそらく、林氏の次のような考えに起因している。
しかし歴史哲学というものは今日では既に具体的な歴史の研究とは一応縁のない別個の学問となっているので、歴史哲学そのものに余り深入りすることは歴史家にとって必ずしも必要なことではないであろう。
(前掲書)
具体的歴史研究とこの手の抽象理論とは「一応縁のない別個の学問」だという、この林氏の認識がその後、そうとは言っていられなくなる事態が出現した。
われわれは、ランケふうの素朴実在論(素朴実証主義)を離れて、歴史学が問いかけに始まることを承認したときから、歴史学の営みが歴史家の主観(関心・問いかけと、想定・解釈)に依存しているということを十分に承知している。そういう歴史学の主観性をつきつめて行けば、歴史学の営みは、文学作品の制作や物語り行為と同一視されることになろう。私は、言語論的転回以降の現代歴史学がそういう方向にとめどなく流れている状況に対して、どこかで歯止めをかけることが必要だと考えている。歯止めはどこにあるのか。その一つは、主観的解釈から独立した客観的事実の実在を認めることであり、もう一つは、事実によって裏付けられない事象を、経験科学のあずかり知らない真実の世界に属するものとして、歴史学の対象から外すことである。
(『史学概論』遅塚忠躬著、東京大学出版会)
林氏と同名の著書を公にするにあたって、「いまさら自分が同じタイトルの書物を刊行することに躊躇を感じている」と言った遅塚氏を、このような事情が後押ししたわけである。「言語論的転回以降の現代歴史学」は、林氏が『史学概論』を執筆した時期には、少なくとも国内では始まっていなかった。しかし林氏が『史学概論』の新版を世に送り出していたころ、海外ではダントーの『歴史の分析哲学』によって歴史物語り論が登場していたのである。そしてこれ以降、歴史学の認識論はこの歴史物語り論を抜きして語ることができなくなった。
遅塚氏は林氏の立場を継承する見解に立って、林版『史学概論』以降の歴史基礎論の激動に立ち向かうのであるが、その立脚点は「主観的解釈から独立した客観的事実の実在を認めること」だと述べている。本文中では自身の立場を「柔らかな実在論」であるというが、いずれにしても実在論と物語り論がどう対立するのか、また実証科学あるいは経験科学としての歴史学と物語り論がどう関わるのかは、腰をすえて考える必要がある。とは言っても、それは哲学的な議論にならざるをえないので、具体的な歴史探求とそうした議論がどう関わるか一言述べておく必要があるだろう。
哲学者の鹿島徹氏は、「“歴史の物語り理論(歴史の物語り論)”とは、“物語り(ナラティブ)”をキーワードに歴史について考えようとする、複数の潮流の総称にほかならない」(『可能性としての歴史』)と述べる。そしてその潮流は2方向に大別され、一つはダントーを中心とする分析的歴史哲学であり、一方はホワイトを中心とするフランス構造主義の流れを汲むものである。そして「歴史をめぐる物語り論的議論は、現在では右の二大潮流がよくも悪しくも異種交配を行ったところに展開されている」のである。このように述べる鹿島氏は、歴史物語り論の基本姿勢は次の2つのテーゼに要約できるとする。
第一に、物語り論的歴史理解は「歴史は物語である」と主張するものではない。そうではなく、冒頭にも述べたように「歴史は物語られる」ことに目を向け、物語る行為への着目を出発点に「歴史」をめぐる諸問題にアプローチするものである。
第二に、「歴史は物語られる」ことに着眼するとは、「歴史は物語られつくすことができる」と見なすことではない。物語り行為によって出来事の取捨選択が行われ、それゆえ一定の事象の排除・隠蔽が必ずそこに随伴するという事態こそ、目を向けるものである。
(『可能性としての歴史』鹿島徹著 岩波書店)
歴史物語り論は、「歴史論争場面での“物語論”といえば“歴史修正主義の物語論」に限定されて語られる”といった状況すら現出している」(鹿島)中では、とかく誤解も多いことだろう。先の遅塚氏も注意していることだが、歴史物語り論は、歴史認識に対する自覚的な反省を、言語論的方法を駆使して遂行する意図に基づいているものである。そしてここで扱う歴史物語り論も、この範囲を越えることはない。
次に、こうした哲学理論に拠った歴史理論が、具体的な歴史研究と実際にどう関わっているかについて、鹿島氏はその現状を次のように述べている。
日本社会では、同じ1990年代に「歴史学はいま、はげしく化けかわろうとしている」といわれながらも、歴史理論そのものについては、歴史研究プロパーの側からの発言がこれまできわめて少なかったといわれており、私自身もまたそのように見てきた。キャロル・グラックによる10年前の診断では、日本の歴史学界においては、「認識論的懐疑論によって苦しんだという感覚は、とくに最近まではそれほど明確ではなかった」といわれるが、その後もさしたる変化はない、と。
(前掲書)
西洋史学が専攻の二宮宏之氏も、この件に関しては同様の意見を述べている。
どの学問領域でも、ラディカルな構築主義の立場をとる者もいれば「事実」の客観的把握の可能性を信ずる客体主義の立場をとる者もいて、それぞれに対立があるのだが、歴史学の場合には、史料に基づくことで歴史事実そのものに到達しうるという実証主義以来の考え方が、ながらく学問としての歴史学の存立を保証する大前提とされてきただけに、歴史を認識するという行為の根底を問いなおすといった議論は、歴史家一般の共通の関心事になりにくい状況がある。理論的なレベルでは、現代思想や歴史哲学の分野で歴史認識論の再検討に鋭く切り込む仕事が重要な展開をみせ、近代歴史学の根本的な再検討に貢献するところは大きいけれども、これら最先端の議論は、いわゆる「プラクティカルな歴史家」、古文書館に通い生の資料をひもとく作業をもっぱらの仕事と考えている歴史家にはすんなりとは入っていかないところがあって、両者の間の対話はスムーズに進んでいるとは言えない。
(『二宮宏之著作集Ⅰ』収録「歴史の作法」 岩波書店)
先の遅塚氏による『史学概論』は、2010年に出版されたものであるが、歴史物語り論を歴史学における認識論的懐疑論と受けとめ、それへの強い反論を意図して執筆されたものである。その意味ではまさに歴史研究プロパーによる巻き返しであり、実証史学の防波堤構築といった観があるのであるが、それが成功しているかどうかは別問題である。鹿島氏はごく最近になって、「歴史教育に従事する人びとによる物語り論の積極的受容もすでに開始されている」、「歴史研究者自身による方法論的反省の明示的理論化へと向けた討議が、広く発信されるようになってきた」とするが、物語り論の受容はなかなか容易ではない。なぜならば、個別具体的な研究への従事を本務としてきたプラクティカルな歴史家にとっては、不慣れな抽象的議論の連続であり、さらに悪いことに20世紀哲学において「言語論的転回」といわるほどの、認識論における大転換を押さえなければならないところにある。例えば、日本における歴史物語り論の代表的論者である野家啓一<ノエケイイチ>氏は、自身の学問的立場をつぎのように説明している。
私自身の「物語り論」はむしろ哲学における「言語論的転回」から触発されたものであり、直接的には新田義弘氏の論文「歴史科学における物語り行為について」に示唆を受けて、私の専門分野である言語哲学(特にウィトゲンシュタインの言語ゲーム論とオースティンの言語行為論)と科学哲学(特にクーンのパラダイム論とクワインのホーリズム)の延長線上に構築されたものであった。
(『物語の哲学』野家啓一著 岩波現代文庫)
野家氏の歴史物語り論は、言語論と科学哲学の学識を背景としたもので、挙がっている名前は分析哲学のエースばかりである。彼の主張はそうした知見の「延長線上に構築された」のであるから、それを理解するためにはその受容が伴わなければならないが、それをプラクティカルな歴史家に求めるのは酷であると思わざるをえない。したがって例えば遅塚氏の努力は認めるのであるが、残念ながら反論の矛先を向けている野家氏の歴史物語り論には、遠く及ばない結果となっていると思う。しかしながら、「物語り論的観点の足場を再構築しながら、幅広い参加者による更なる議論の活性化を図ることが求められている」(鹿島)ことも確かであろう。したがってここからの考察は、「幅広い参加者」の一人として、歴史物語り論を踏まえつつプラクティカルな歴史認識にどうつなぐのかに向けた考察として、この「歴史と過去」を書き進めていこうと思う。
次回に続く・・・
by mizuno_clan | 2012-02-12 16:37 | ☆談義(自由討論)