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【談議1】水野氏と戦国談議(第三十六回)

歴史と過去②-歴史学は経験科学かⅡ-

談議:江畑英郷

 歴史学を経験科学として位置づけようとする動機は、歴史学が客観的な学問であり、そこにおいて社会的有用性があると主張することに発しているように思う。この動機そのものは当然のものであり、自らが客観的な、ということは自分本位ではなく架空のものでもない、ということを自覚しそれを表明することは、学問として不可欠な行為ですらある。しかしながら、客観的な学問であることがそのまま経験科学である、ということに帰着するわけではない。数学や論理学、そして哲学などは経験科学ではないが、客観的な学問であることを疑われることはないだろう。哲学については世間の見方がちょっと心配にはなるが、立派な客観的学問である。そして物理学や生物学、そして経済学などの社会科学もまた経験科学なのであるが、歴史学はどうしてその仲間入りを果たしたいのであろうか。
 今回、歴史学は経験科学なのだという見解を考えるにあたって、「経験に基づいている」と「科学である」という二つに分割して論を進めることにしよう。歴史学の場合は、このことを分けて考えることがことに重要になるのだが、それはこの学問が過去の出来事を対象とするという特異性に基づく。つまりすぐに気がつくことだが、過去の出来事は経験できないものであるのに、それを対象とする学問が「経験に基づいている」とはまずは奇妙なことに感じられるからである。このことは、この歴史学においては、経験というものが特異な位置づけになるということを意味することになる。

 それではまず、歴史学は「経験に基づいている」を検討してみよう。遅塚氏が『史学概論』を執筆したのは、前回みたように「主観的解釈から独立した客観的事実の実在を認めること」にあるのだが、そのことはもちろん歴史学の客観性を基礎づける意図によって導かれている。そして『史学概論』を通覧して言えることは、この客観的という概念に関連して、「経験」、「事実」、「実在」という概念がその主張の核心において何度も語られるということである。これら概念は、歴史学は経験科学なのだという主張において必ず使用され強調されるのであるが、その意味が規定されるということはなく、自明の概念として使用するにとどまっている。それら概念が使用される、代表的な該当箇所を以下に示す。

 前項で私は、論理整合性と事実立脚性とが、歴史学の前提とする約束事だと言った。そのとき、私には、それに先立つ暗黙の大前提があったのだ。それは、歴史学が科学だということである。そのことは、第一の約束ごとを記すにあたって、「歴史学が学問であり科学であるからには」、と述べ始めたこと、および、第二の約束ごとを説明する際に、歴史学が「経験科学」に属すると述べたことからも、容易に察知されたであろう。つまり、私は、いわば大前提として、歴史学を、宗教(信仰)やイデオロギー(世界観)や芸術(文学など)から明確に区別された、客観的な科学の一つであると考えている。そして、歴史学が客観的な科学であるための必要条件として、さきの二つの約束ごとを挙げたのである。

 歴史学が、経験によって知られた事実(文書や記録を呼んだり、遺物を調べたり、関係者から聞き取りをしたりして得られた事実)に基づく学問だ、ということ、つまり「事実立脚性」ということである。

 われわれは、研究対象としての事実を、直接に見ているのではなく、過去の残した痕跡(遺物や文書)を通して間接的に見ているだけである。この痕跡は、ふつう史料と呼ばれている。したがって、われわれは、史料を通して事実を知るのである。

 まず、史料の解釈という作業は、媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在することを前提にしている。この前提はいわばアプリオリな前提であるが、史料に「痕跡」が記されているのなら、その痕跡のもとになる何らかの「事実」が実在すると想定するのは、当然の前提であろう。(その前提が成り立たなければ、「痕跡」は虚偽または無根拠の幽霊になってしまう。史料の記述が虚偽または無根拠である場合には、そのことは史料批判によってほぼ確実に看破されるのであり、そういうウソの史料は史料解釈の対象から排除される)。史料の解釈は、この前提のもとで、諸史料の批判や読解や照合によって、痕跡の背後の事実を認識しようとする行為である。他方で、事実の解釈は、こういう事実の認識を前提として、諸事実の織りなす関連を想定し、そういう関連の中でその事実のもつ意味を検討しようとする行為である。

(『史学概論』遅塚忠躬著、東京大学出版会)

 遅塚氏は歴史学が「客観的な科学の一つである」といい、「歴史学が客観的な科学であるための必要条件として」、「論理整合性と事実立脚性」が保証されなければならないとする。そしてその事実立脚性は、「経験によって知られた事実に基づく」ことであると述べる。しかしながら、「研究対象としての事実を、直接に見ているのではなく、過去の残した痕跡(遺物や文書)を通して間接的に見ているだけである」ということで、この「事実に基づく」は問題を抱える。
 「経験によって知られた」というのは、直接の知覚によって認識されたということであり、「間接的に見ているだけ」というのは知覚していないということである。つまり知覚しているのは目の前にある史料なのであって、史料に書かれていることは「間接的に見ているだけ」なのである。そして問題なのは、この「間接的に見ているだけ」のことに、「事実に基づく」と言わしめてよいのかということである。そして遅塚氏はこの問題を、「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在することを前提にしている」ことで解消してしまうのである。
 遅塚氏は「事実が実在する」と言うのであるが、その実在は何によって確かめられるのであろうか。「史料に“痕跡”が記されているのなら、その痕跡のもとになる何らかの“事実”が実在すると想定するのは、当然の前提」なのであろうか。遅塚氏はこの痕跡-実在という図式で、あっさりと「間接的に見ているだけ」を乗り越えて、「事実に基づく」を前提としてしまう。しかしながら、「実在する」ということは、痕跡という残滓によって時間を越えてくるものなのだろうか。
 経験が科学の基点となりうるのは、そこにYes/Noがないからである。科学において「経験」という場合は、「人生経験」といった言い方で日常使われる用法よりも狭く限定される。科学における「経験」は直接知覚のことであり、この直接知覚には正しかったり間違ったりはない。もちろん人は錯覚をするのであるが、それが錯覚であることを知るのはやはりこの直接知覚においてである。間違いを正すのも、疑いを晴らすのもそれは「実際に見てみればわかる」ということであって、知覚こそは認識における究極の基盤なのである。そしてそうであるからこそ、この知覚を基点とする科学的経験は間違えようのないものであり、そこを源泉とすることで科学的客観性が保証されることになる。そしてこの知覚の対象を、「実在する」と言うのである。「実在する」の原義は、それが直接知覚の対象となっているということにあり、そのことから疑いようもなく厳然と存在するという意味を獲得しているのである。つまり「実在する」という言葉を定義しているのは、知覚体験に他ならないのである。
 知覚できない対象に対して「実在する」というのは、「実在する」という信念の表明に他ならない。「神は実在する」というのは、その意味で信仰心の現われなのであって、科学的な言明とはなりえない。それは「確かに存在するのだということを私は信じる」という意味を超えることはないが、ここで「実在する」は、「確かに存在する」という知覚抜きでの派生的意味として使われている。遅塚氏が言うところの「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在する」も、これと同様な「実在する」の用法である。それでは知覚による実在性の裏づけを欠いているのに、なぜそれは「確かに存在する」なのであろうか。
 遅塚氏は知覚している痕跡があるからには、「その痕跡のもとになる何らかの“事実”が実在する」はずだと主張する。これは例えば、犬の足跡が地面にあるのならば、その跡を残した犬が実在しているはずだ、という自明のことを根拠にしているわけだ。少なくとも遅塚氏はこれが自明のことで、これ以上検討をくわえる必要などないことだと思い込んで、それ以上踏み込むことなく「当然の前提」だと決めつける。しかしこうした点が、前回述べたように物語り論を展開する野家啓一氏に遠く及ばない原因となっている。ことはすでに歴史学のプラクティカルな次元の問題ではなく、哲学的認識論の次元にある。そこではこうした自明性にこそ、敏感にならなくてはならないのである。
 先の例えばの出だしは「犬の足跡が地面にあるのならば」であったが、そこで知覚しているのは「犬の足跡」ではなく、地面にある小さな窪みのはずである。ここでそれを見て「これは犬の足跡だ」と発言した者に、どうしてそれがわかるのだと質問すれば次のような答えが返ってくるだろう。「犬の足跡はこのようにして地面に残るものだ。かつて犬が歩いた跡に残った足跡を見たことがある」と。つまり過去の知覚が確実な知識となって、彼の発言を支えているというわけだ。するとこれまでに知覚体験を持ったことのない対象については、痕跡と認めることができないということになる。このことは指向する対象が認識されていないところには、痕跡は成立しないということを意味する。つまり、何のものだかわからないがこれは痕跡である、という言い方は成立しないのである。
 既知のものに対してしか、痕跡は認められないのである。そこに実在があっても、既知のものでなければ痕跡という通路は開けない。このことは、実在が実在らしく残していった痕跡があるにもかかわらず、その実在を先回りして知覚することなしには、それは痕跡にはならないということを意味する。犬を一度も見たことのない者は、犬の足跡を認識することができないのであり、犬を見るという知覚が、痕跡を残す実在に勝るということである。そして痕跡というものを真に支えているのは、背後にある実在などではなく、知覚体験による知識であるということを示しているのである。
 別の言い方をすれば、痕跡から実在に遡れるのは、目の前の知覚物が何の痕跡であるか知っているからであり、実在への通路を確保しているのは痕跡でも実在でもない。つまり、この通路の先の対象を客観的に認識する前提は既存の知識なのであって、「実在」と呼ばれるものはただ認識が到着するのを待っているだけなのである。したがって「史料の背後」などなく、既知の体系が史料に書かれた事柄に正当な場所を与えているのであって、神話的な「実在」がそれに確実性や客観性を付与するわけではない。
 目の前にある史料は知覚することができ、その紙質や筆使い、あるいは花押の形態などを、その知覚をもって吟味することが可能である。そしてここまでは、確かに経験に基づいた体系的な知識の集積だといえる。しかしこれより先、そこに書かれていることを吟味しようとするとき、知覚は登場の場面がない。したがってここに、「媒体たる史料の背後に客体たる事実が実在する」が必要となり、何ともこれを強引に実在に結びつけることによって、書かれている事柄に客観性を付与しようとするわけである。

 実在と認識の一致が事の真実であり客観性であるという前提から、史料に記載されている事柄に強引に実在をあてがおうとするあまり、「史料の背後」などという怪しげな言い回しをしてまで、歴史学を経験科学としたいという欲望をまずは捨てるべきである。なぜならこの欲望は、誤解と混乱によって扇動されたものだからである。先に述べたように知覚は客観性の源泉であり、その知覚の対象を「実在する」と称するのである。したがって、知覚できないものは実在しないのである。史料は実在するが、史料に書かれている内容は実在しない。しかしながら実在しないから虚構であるとか、誤りであるといったわけではない。数学や論理学の体系は実在しないが虚構であるわけはなく、また誤りであるわけでもない。虚構は確かなものがある前でこそ虚構になり、誤りは正しさの影なのである。それ自体で虚構もなければ、誤りとなるものも存在はしないのである。したがって知覚できず実在しないものにも、その存在の客観性は問うことができるのである。
 さて、ここまで「経験」と「実在」における客観性の問題を考察してきた。次にはこれまでの考察に踏まえて、「事実」という概念を点検してみる番である。実在は知覚体験が定義する概念であるために、知覚できないものは実在しないといった具合に知覚に従属する。しかし「事実」はそうではない。言語の柔軟性は、出来事を実在すると言ったり、知覚事実といった用語を組み立てたり、これこれが実在することは事実であるという言明を許容したりする。しかしながら、物と出来事、実在と事実はその性質が大きく異なるのであり、混同されてよいものではない。知覚に現れる対象は常に実在であって、夢や幻と区別されて間違うことがない。したがってそこには事実の居場所がないのである。事実というものは、これこれであるかないかの可能性が生じる場所に登場する。「雨が降っているのは事実だ」という言い方ができるのは、雨が降っていない可能性も等しく存在するからである。そしてそれを確かめるのは知覚であって、それは知覚が可能性というものをもたないからである。したがって知覚に現れたものは、事実であったりなかったりはしない。この知覚という意味での経験があつかうのは、こうした事情で事実ではないのである。経験科学は、それが事実かどうかなどは究明しないのであって、必ずそうなるという必然性を追求するものなのである。
 必然の中に事実は存在しない。ある必然の結果を事実であるというのであれば、そこにあるのは全てが事実であって、わざわざ事実だと言うまでもないことになる。したがって事実が究明されるのは、経験に現れる物の世界ではなく知覚されることのない出来事の世界ということになる。しかしながら、出来事が知覚されないというのはおかしいのではないか、と思うかもしれない。出来事を目撃する、あるいは出来事の当事者になるといったことが現にある、というのは誰もが認めることである。だがしかし、目撃したことや当事者となったことは本当に出来事なのだろうか。
 出来事とは何であるのか。この問いに向き合うためには、出来事は物語られるものであるという物語り論を検討しなければならない。しかしながらこれは次回以降に先送りして、今回は「歴史学は経験科学か」にひとまずの決着をつけておく必要がある。なぜならば、物語り論は経験科学という思いの縛りがあるところでは、その意味するところを掴みそこなうからである。それでいて物語り論は、「出来事」の本質を鋭く分析するのであるから、ここで援用したいところであるが、今は「事実」という概念の側から問題を解きほぐしておこう。
 世の中の出来事が必然的に引き起こっているとしたならば、事実を究明するということは意味をなさないであろう。どちらの可能性もあって、そのどちらか一方が出来事として成立してこそ、「これこれが事実だ」という表明に意味が出てくる。事実をめぐる審議という意味で、誰もが思い浮かべる刑事裁判の事例でここは事実について考えてみよう。
 被告Aが殺人事件で起訴されており、その裁判においてはその殺人を目撃したBの証言が、この審理の帰趨を決める鍵になっているとする。検察官がBに向かって「あなたは被害者Cの自宅で、被告人Aを見ましたか」と聞く。証人Bはうなずいて「はい」と答える。検察官をそれを確認して、「それでは、被告人はそこで何をしましたか」と問いを向ける。するとBは真剣な表情で、「AがCを殺すのを見ました」と発言した。さてここで、この殺人事件における決定的な証言が得られたということで、後は判決を下すだけという展開になるだろうか。答えはNOである。証人Bの証言内容には虚偽はないし、彼は良識ある人物でもある。そうであっても審議はここからが本番なのである。なぜならば、Bの目撃証言は彼自身はそう思っていても事実ではないからである。
 検察官は、証人Bが「AがCを殺すのを見ました」といった状況を、より具体的に詳細な証言として引き出すよう努める。そしてその具体的証言の裏づけとなるような物証を次々と提示し、事実に近づこうとするだろう。検察官は、証人の解釈ではなく事実を引き出そうとする。「AがCを殺すのを見ました」というのは、出来事の解釈であって事実ではない。それはあの、間違うことのない知覚ではないのである。こうして証人Bの解釈は無視され、彼の記憶の隅々までありのままに取り出す作業が進行するのである。その実直さは、歴史家の研究姿勢もさもあらんと思わせるのであるが、実はどこまでいっても起こった出来事そのものには届かない。具体化と詳細化は求めれば求めるだけその先があり、その中で裏づけが可能なのはごく一部である。しかしながら、刑事裁判には明確は目的がある。それは告訴された被告人が有罪か無罪か、その決断を下すことである。そしてそれは、起こった出来事の解明ではない。その点において刑事裁判は、事実の深みに足をとられることなく機能することができるのある。つまり事実追求を切り上げるためのルールが存在するのであり、それは検察側と弁護側双方の提示するネタが尽きれば審理は終わるというものである。したがって、その審理の進め方がどんなに「実証的」であっても、これをして経験科学であるとは言わないわけである。そして最後に下るのは真実の審判ではなく、人の判断なのだということが了解されているところにある。
 必然とみなされないということは、それが本当に間違いなく確かなことであるかと問われた場合、果てしない深みに落ち込むということを意味している。社会的な機能を果たしているものは、どれも事実をあつかい事実に即そうとするのであるが、一方でその深みからの切り上げ方を心得ている。そして歴史学とてこの点は同じであって、遅塚氏のような思いとは別にそれはどこかで切り上げられているのである。しかしそのことをもって、客観的ではないとか学問ではないとかといった評価をする理由にはならないのである。

 私はさきに我々の認識するすべてのものは過去の事物であるといい、過去の事物は直接我々の感官によっては認識でき得ないと述べたが、これは厳密には正しくないであろう。何となれば、たとい過去ではあっても近い過去(いわゆる現代)に対しては、我々自身の感官によってそれを把えるここが出来るからである。しかし実はこれは単なる論理上の立言にすぎない。具体的に考えればすぐわかるように、たとい現代に起こった事実であっても、我々が過去の直接の感官のみによって知り得ることは我々の身辺のごく僅かの事柄だけである。我々は現代の事物の多くを、他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する。それはやはり史料によって過去の事実を知るのと同じことであって、従って史料批判の方法は現代の事物の認識に対しても当然必要なのである。
(『史学概論(新版)』林健太郎著、有斐閣)

 ここで林氏は「直接の感官のみによって知り得ることは我々の身辺のごく僅かの事柄だけである」と述べ、「事物の多くを、他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する」と指摘している。林氏はここで述べたことをこれ以上掘り下げようとしないが、ここには決定的に重要なことが示されている。それは事実が「論理上の立言」とは別に、実際にはどのように形成されているか、その本質に迫っているのが「他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識する」なのである。

 タイムマシンが使えない歴史家が行っているのは、手に入る限りの文書史料や発掘資料を「過去の痕跡」として読み解き、それらを整合的に組み合わせて合理的推論を重ねながら、受容可能な「物語り」をつむぎだすという作業にほかならないからです。
 この「合理的受容可能性」の概念をもう少し具体的に敷衍するならば、その内容は大森荘蔵さんの言葉を借りれば、「現在への接続と他者の証言との一致、そして物的証拠という僅かに許された三種類の手続き」(『時間と存在』)ということになるでしょう。これはもちろん、歴史記述において「物語り」が備えるべき必須の三要件にほかなりません。僕自身はこれを、過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する「通時的整合性」および過去の出来事がそれと同時代の人々の証言や物的証拠と矛盾しない「共時的整合性」という二本の座標軸として捉え直し、それを境界条件として「物語り」は規制されていると考えています。逆に言えば、この境界条件こそが歴史をフィクションから区別する境界線であり、歴史記述が遵守すべき最低限の「論理」だと言うことができます。

(『歴史を哲学する』野家啓一著 岩波書店)

 「他人の談話によりあるいは他人の記述によって認識」された知識を、野家氏は「歴史叙述のネットワーク」と呼んでいる。そして知覚不可能な過去の出来事が事実がどうかは、この歴史叙述のネットワークに対して整合的に組み入れられるかどうかで決まってくる。時間の向こう側に鎮座している実在に対応するからではなく、現在において歴史家が持ち合わせている歴史叙述のネットワーク、それは歴史学の業績そのものなのであるが、それとの論理的な整合性こそが事実を確定させるのである。そしてこのネットワークは、野家氏が言うように「過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する」ものでもある。つまり現在の知覚体験とも接続しているのである。
 この歴史叙述のネットワークは、どこが起点でどこが終点といったことが見定められるわけではない。それは現代のインターネットのようなもので、どこかで起こった出来事がキャッチされると、ネットワークに参加する多数の発言によって練磨され、消耗しつくして消滅することもあれば、かえってその練磨によって強化されることもある。それは情報のサバイバルであり、それが仮想空間であると言われながらも現実と接続して相互浸透する。事実はこのようにして、実験器具の中や書斎の中でじっと見据えられるものではなく、グローバルなダイナミズムの中で棲息するものなのである。そしてそこには、このダイナミズムが不断に否応なしの打ち切りを下す場でもある。
 科学における狭い意味の経験は、目の前にある事物を知覚するという点で、その学問の基点としての足場を固めることになる。これに対して歴史学は、過去の出来事を対象とする限り経験に依存することはできない。しかしそれでも、歴史学が経験との接続性がまったく断たれているというのではない。また歴史学の客観性は、知覚に直に依存するといったものではないが、歴史叙述のネットワークの中でしっかりと成立しているのである。

[つづく]

by mizuno_clan | 2012-02-19 23:05 | ☆談義(自由討論)