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【談議1】水野氏と戦国談議(第三十八回)

歴史と過去④-出来事実在論-

談議:江畑英郷

 毎度のことであるが、今回も林健太郎氏の『史学概論』の引用から始めることにする。

 これを要するに歴史という言葉の中には「ゲシヒテ」のもとの意味、即ち「過去の出来事」の意味と、「ヒストリア」の意味、即ち人間によって調べられ知られた歴史、あるいはそれについて書かれたものの二つの意味が含まれている。これが即ちヘーゲルの「客観的側面と主観的側面」であって、客観的所与としての歴史と人間の認識作用を通じて形成された歴史が、同じ歴史という言葉の中に結合され、又この言葉がしばしばこの異なった両義に使いわけられているのである。
(林健太郎著『史学概論』)

 林氏はここで、「客観的所与としての歴史」と「人間の認識作用を通じて形成された歴史」という二分法を示し、歴史とはこの二側面を備えるものだと述べている。そしてこの両義の使いわけは、歴史学における学問としての在り方に深く関わってくる。

 以上において述べたことは、要するに歴史という言葉と歴史学という言葉とが、他の学問におけるように対象とその認識という二つのものとしてはっきり区別され難いということであった。しかしこのことは、決して歴史学という言葉のレーゾン・デートルを否定することにはならない。概念的には、客観的所与としての歴史と人間の主観によって形成される歴史像とを区別することはあくまで必要である。それを無視することは科学としての歴史学の性格を曖昧にすることに外ならない。しかしそれが言葉において明瞭に区別されていないということは、歴史学という学問の持つ一つの特有な問題を物語っているのである。それは歴史学においてはその学問性格が第一に対象の客観的な叙述ということにあるとされているにもかかわらず、他方においてはその対象そのものが最初から純粋に客観化されていることがはなはだ困難であるような性質を持っているということである。
(前掲書)

 林氏は「客観的所与としての歴史と人間の主観によって形成される歴史像とを区別することはあくまで必要である」と言うのであるが、それがために客観性において容易ならぬ困難が出現している、ということはないであろうか。林氏の理解に沿って述べるところを整理すると、以下のような区分を示すことができる。

ゲシヒテ   : ヒストリ
過去の出来事 : 人間によって調べられた歴史
客観的所与  : 主観的形成物
歴史     : 歴史像

 歴史が客観的実在でないのならば、それを究明する歴史学は客観的な学問ではなくなる。歴史は客観的所与で、歴史像は主観的形成物であるという主観/客観の二分法は、二分した後にそれを架橋するという無理をしいることになる。しかしながら区分というものは、そこからすべてを始めるという認識の足場なのであり、後になってその足場を外せるという代物ではない。
 林氏はこの主観/客観の構図で、歴史あるいは過去の出来事は「客観的所与」であると言うが、通常「所与」とは、知覚に対して与えられている対象を指す。そして知覚が働いているのは現在であるのだから、「所与」は現在における知覚対象である。すると過去の客観的な何かが、現在において知覚の対象になっているということになるが、それは史料ではない。史料はそれが成立したのが過去であろうと、目の前にあるのは現在の史料である。そして知覚しているのは、平たい紙面であり、そこにある地と模様以上のものではない。林氏の説明によれば、「客観的所与」とは「過去の出来事」であり、この過去の出来事が現在の知覚に対して所与として現れていることになるが、これは矛盾であり、この矛盾を乗り越えようと無理をすることになる。
 過去の出来事を実在とし、その痕跡が史料に残され、その史料を現在において知覚することで過去の出来事を認識するという、史料痕跡論が成り立たないことは前回論じた。しかしそれならば、過去の出来事はどのようにして現在の認識となるのであろうか。この疑問に答えるためには、再びあの歴史物語論の要諦が意味するところを深く探る必要がある。

過去を直接観察できないからこそ、歴史は可能になる。

 録画テープを見ることは、過去を直接観察することになるのだろうか。映し出された画像は直接知覚することができるが、いきなりクローズアップから入られると、それが何であるかわからなかったりする。知覚はしているのだが、それは物の表面のザラツキであったり、少しムラのある赤であること以上は確認できない。そして物との距離が離れると、それが赤い絨毯であることに気がつくのである。この場合、その物との距離が離れるというのは、その物の全体が映し出されるというだけではない。そこにはその赤い長方形の布状の物が、床に横たわっているというスチュエーションが必要となる。そうでなければ、それは誰かの赤いマントかもしれないのである。
 録画テープを見るということは、「録画テープを見る」というスチュエーションの認識が必要である。そのスチュエーションが なければ、その画面に映し出されているのは、リアルタイムの画像だということもある。20世紀の新科学哲学において先駆的な業績を残したハンソンは、観察について次にように述べている。

 空を飛ぶ鳥を見ることは、それが突然、垂直急横転はしないだろう、などということも見ていることである。そして、こうした点は、単なる網膜上のしるしづけではなく、それ以上のことであろう。人間は誤りを犯すものではある。しかし、鳥を見ることは、たとえ瞬時でも、こうした様々な関連事項すべてを読み取った上でそれを見る、ということなのである。
(N・R・ハンソン著 村上陽一郎訳『科学的発見のパターン』)

 観察とは、対象をありのままに捉えるものではなく、知覚の外側にあるものに寄りかかって成立している。そもそも「知覚」という用語も、単なる感覚を越えて、「知」の領域に踏み込んでいることを表しており、見たまま聞いたままでは対象の理解に達しない。先の録画テープのクローズアップはそのことを示しているが、スチュエーションを欠いていれば、見たまま聞いたままより想像がものを言うのである。このスチュエーションを、今後は「文脈」という用語で言い表すことにしよう。するとハンソンが示したことは、観察は何らかの文脈に依存しているということになる。一般に彼のこの見解は、「観察の理論負荷性テーゼ」と呼ばれているが、出来事で言うのであれば、理論というよりは文脈の方がより適切であろう。

 過去が直接観察できないと言う場合、ハンソンの観察の理論負荷性テーゼに従うならば、次の2点に不可能を見ることができる。

1.過去を直接目の前にすることはできない。
2.過去は文脈を欠いている。

 直接目の前にするということが現在の体験であるのだから、上記の1は誰もが真っ先に思いつく。しかしながら、現在から少し離れただけで過去になるのであるから、このことが本質的な問題なのではない。観察には直接の感覚だけでなく記憶や理論が働いているのだから、それは現在だけの体験であるとは言い切れないのである。この点で本質的なのは、上記2の文脈の欠如である。そしてこの場合の「過去」という語彙の意味は、時計時間における現在より前ではなく、現在と同じ脈絡にないということになる。

出来事を基準に時間様相を考えれば、進行中の出来事の持続が「現在」にほかならない。現在の「幅」は当の出来事の持続時間に等しい。一つの出来事が終わったとき、われわれはそれを過去の出来事として想起するのである。言うまでもなく、読書中に読書という出来事を想起することはできない。読書を終えて風呂に入ったとき、読書は過去の出来事として想起されるのである。それゆえ、現在と過去のコントラストは出来事の継起と交代によってもたらされると言うことができる。
(野家啓一著『物語の歴史』)

 日常における現在は、時計時間の一点ではなく、当人の遂行によって規定されている。読書という遂行は、時計時間のある一点から始まり、それよりも後の時間点で終わったのではなく、読書という行為の意味合いで了解できる間に存在する。人によってそれは、読むべき書籍を思い浮かべた時からであり、また別の人にとっては書籍を開いた時からである。風呂に入っている間は、その文脈にない読書は過去の出来事である。もし電子書籍を風呂に持ち込んでいたならば、読書という出来事は今も継続しているが、それは「読書」の文脈をそのように規定するからである。それは風呂に入りながらの読書なのだが、それは椅子に座りながらの読書とは別の出来事だとも言える。このようにしてみると、文脈の取りようは、実在世界に固定されているのではないことがわかる。
 遂行中の出来事は、現在の出来事である。そしてこの遂行という様式は、個人の行動だけにあるものではない。遂行を集団に見て取れば、そこに集団の現在と過去が現れる。歴史学における過去とは、当然ながら時計時間の過去ではなく社会の遂行に関わる過去である。したがって、社会における遂行の内容によって過去は様々ということになる。このことを「主観的」と呼ぶのはもはや場違いであり、「遂行」においては主観/客観の図式は意味をなさない。このことは少し先のことになるはずだが、やがて触れることになるオートポイエーシス論で詳しく考察するつもりである。

 過去の出来事が文脈を欠いているというのは、それが現在の脈絡にないということである。「歴史」という言葉を使うのであれば、その現在も個人のそれではないことになるが、そのような歴史を考える前に、出来事と文脈についてさらに考察しておく必要があるだろう。
 林氏は出来事を客観的所与であるというが、以下の記述はその客観的所与に関する記述であろうか。

S1.2012年11月10日午前8時から10時にかけて、四ツ木インターチェンジにおける騒音は80デシベルから95デシベルに増加した。

 出来事は「変化の相をともなう」と林氏は述べるが、S1は「増加」という変化を記述していることから、これは出来事についての記述であると言えるであろう。S1は特定の日時・場所における音量の変化に関する記述である。これはまず場所を特定し、次に始点と終点を特定することで変化を捉えているのだが、8時から10時の間の音量すべてについて増加したと言っているわけではない。ここでは特定時点の音量を記録し、それを同軸上に並べて傾向を読みとっているのである。例えば8時ちょうどの音量は80デシベル、9時の音量は90デシベル、そして10時は95デシベルといった具合である。したがって、同軸上に並べられる複数の音量計測を前提とし、その音量の差異を時間の進行方向に対して「増加した」と解釈したことになる。「増加した」が解釈であるというのは、2つの時間点の間の音量をすべて計測することは不可能であるし、音量計測点が増加すればするほど、過去に対して減少した音量も増えるはずだからである。つまり趨勢としては増加なのであり、この趨勢の読みとりは解釈にほかならない。
 S1は音量の計測、つまり現象の観察に基づいているが、「増加した」という結語は観察結果ではない。もしS1が8時と10時の2点の計測だけで、なおかつ単にその2点の比較に過ぎないのであれば、それは「増加した」ではなく「10時の音量が8時より高い」に留まる。「増加した」という記述は、増加し続けたという意味であり、例えば9時の音量が60デシベルであったならば、「午前8時から10時にかけて」「増加した」とはならないはずである。したがって「増加した」は、どれだけ多くの計測点を設けその結果が過去よりも高い数値であったとしても、それだけで可能となる記述ではない。観察記述は、「増加した」という表現を取りえないのであり、その点でS1は観察記述ではなく解釈である。
 S1が観察記述であるならば「増加した」という記述にはならないというのは、前回述べた「理想的編年史」が「三十年戦争がいま開始されたと記すことは不可能」なのと同じ事情である。ダントーは「物語文」を、次のように規定している。

それらが時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示するということである。このさい指示された出来事のうちで、より初期のものだけを(そしてそれについてのみ)記述するのである。
(アーサー・ダントー著『物語としての歴史』P174)

 「増加した」は、10時の計測値が8時の計測値に対してもつ関係であり、増加したのは8時時点の音量である。ダントーの言うところの「物語文」は、出来事に関する記述であり、「物語文」に関する規定は出来事記述にそのまま当てはまる。そして観察記述に対して、出来事記述は対置されるものであるということを、ここで認識しておく必要がある。観察記述はそれをどれだけ増やそうとも、8時時点の音量が増加したとは記述できない。観察記述は、特定の時空座標における対象の状態を記すこと以上のことはできない。そのことからすれば、S1の記述は観察以上のことを語っているのであり、それを「物語」と呼ぶのはそれほど言い過ぎでもないだろう。
 観察記述が知覚によって成立しているのであれば、それは現在の目前の事態である。日時t1時点の目前の事態、t2時点の目前の事態、そしてtn時点の目前の事態を書き並べても、それは「増加した」とか「減少した」といった述語を形成しない。これは書き並べられた個別の事態と、特定点を飛び越えた一つの事態記述との違いである。あの理想的編年史がどうやってもできなかったことは、この時点時点を飛び越えそれを一つにして記述することなのであるが、反対に出来事記述はこのことなしには成立しない。したがって理想的編年史は、出来事を記述することができないのである。
 特定の時空座標軸上における事態記述を越えて、任意の時空座標帯における一つ事態を記述すること。これが出来事記述なのであるが、ダントーはこれを「物語文」と呼ぶ。任意に開始と終了を定め、その時間帯と空間域を規定した対象を選び出した時、すでに物語は始まっている。主題がなければ対象は現れず、時間帯も空間域も定まらない。8時から10時までの間、特定の場所で音量を計測しようとするのは、「増加した」のか「減少した」のかを見て取るがためである。それは交通量の増加とともに音量は増加するはずで、それがどのくらいの割合の増加になるのかを知ろうとすることに始まる。ここには、「交通量の増加とともに音量は増加する」というストーリーが前もってあって、それに主導されている。その意味では、観察行為も物語の一部ということになり、「増加した」はそこで終わるわけではなく、「この騒音増加に対処しなければならない」というストーリーがさらに続くのである。
 林氏は、出来事を客観的所与として捉えるが、出来事は知覚の集合によって成立することはない。S1のような科学的なレポートのような記述でも、それが「物語」であると言えるのは、「報告する」という行為の中でこの記述が意味をもつからである。そして報告を受ける側は、「増加した」のか「減少したのか」を知りたがっている。実際には彼もストーリーを共有しているのだがら、どの程度増加したのかの答えを期待しているのである。したがって、特定時間軸上の音量値の羅列には興味がなく、それが示されたならば、「ということは、対策が必要なほど増加したということなのだな」と念を押すに違いない。出来事はこうした文脈に位置づけられねば、何という出来事かを示すことができないばかりか、出来事にさえならないのである。そしてこのことを端的に示すのは、次の記述である。
 
S2.彼は大声を出した。

 この記述は、「・・・が起こった」という出来事の体裁を備えているが、それだけで出来事だと言えるだろうか。

 男は言った。
「合い言葉を言え」
 帽子を目深にかぶった男は静かにうなずき
「彼は大声を出した」
と答えた。

 ここにおいてS2は、出来事ではなく合い言葉である。

 そこでアーサーはおかしそうに言った。
「彼は大声を出した」
 そして大きな肩をすくめて
「少々薬が効きすぎたようだったよ」
と言って、後は笑いをこらえるのに必死だった。

 ここでS2は、アーサーが語るところの出来事である。しかしここでアーサーが「彼は大声を出した」と言わなかったら、S2の出来事はどうしたであろうか。

「アーサーの度の過ぎた悪戯に、そりゃ驚きはしたね」
 ポールは真顔であった。
「黙って彼を睨みつけてやったよ」

 ポールに言わせれば、彼は大声など出していない。大人の抗議らしく、黙ってアーサーを睨みつけたのである。二人の話を聞いたトーマスは、ポールは驚きの声を上げたが、その後は無言でアーサーに抗議したと、この出来事を理解するだろう。もしアーサーの話しをトーマスが聞いていなければ、ポールのちょっと間抜けな驚きの声を想像することはなかったはずだ。ところで歴史家は事実を知りたいそうだが、アーサーの話しが確かだとして、S2はこの出来事を知るに当たって、聞いておかねばならないことだろうか。アーサーとポールの話しは、彼らの意図から構成された出来事記述である。アーサーの意図においてS2は語るべきであったが、ポールにおいては削除すべきであった。ここで問題なのは、この彼らの意図を離れてS2は客観的所与のように成立していたかどうかである。

(つづく)

by mizuno_clan | 2012-11-25 09:22 | ☆談義(自由討論)