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【談議1】水野氏と戦国談議(第四十回)

過去と歴史⑥-歴史と言語Ⅰ-

談議:江畑英郷

 遅塚氏が書いた『史学概論』は、詰まるところ「歴史学は事実に基づく」ということを、分厚くなった紙数を埋める文字で訴えたものだと思う。そして「歴史学は事実に基づく」などという基本的なことを、今さらことさらに主張しなければならなかったのは、その歴史学の根本基盤が揺らいでいる、と危機感を募らせたからである。この遅塚氏が捉えていた危機感は、その著作に頻繁に登場する歴史物語論および言語論的転回の浸透に向けられている。もっともこの浸透は、学術的側面ではほとんど進んでおらず、政治がらみの歴史認識で一時期ばっと騒がれた、ということに過ぎないのかもしれないが。
 これまで遅塚氏の『史学概論』からは何度も引用させてもらったが、これも詰まるところ、「歴史学は事実に基づく」という場合の「事実に基づく」とは、何であるのかを考察するためであった。前回は「事実と解釈」をテーマとして掲げこのことに言及したが、それだけでは十分とは言えない。なぜならば、このことを言語の面から考察していないからである。遅塚氏が危機として認識した言語論的転回、それは歴史物語論の基礎をなすものであるが、これが何であるかについて遅塚氏はほとんど理解できていなかった。そしてそのことが本人の熱意を裏切るように、「歴史学は事実に基づく」を陳腐なお題目に貶めた原因である。このことからすれば、歴史学はこの言語論的転回を知らぬ、では済まされないはずである。したがって今回からは、この言語論的転回を踏まえた「歴史と言語」について考察していこうと思う。

 現在の歴史学者が、歴史と言語の関係をどのように見ているのか、それを示す一例を以下に掲載する。

 歴史認識は、歴史的事象の事実そのものについての認識である事実認識と、そこに各人の生き方からの判断を加える価値認識とからなる。これらの認識において子供の頭の中に成立している知識は、前者は事実的知識、後者は価値的知識と呼ばれている。これらの歴史的知識は何層かに分けることができる。ここではそれらを次の6層でとらえることにする。すなわち「事象の構成要素」、「事象記述」、「事象解釈」、「時代解釈」、「社会の一般法則」、「価値的知識」である。
(1) 事象の構成要素-これは歴史的知識の基礎をなすもので、事象を構成するさまざまな事項にかかわる用語である。たとえば、鎌倉、阿波、東海道といった地名等、源頼朝、徳川家光といった人名、文永11年、1467年といった年号、上げ米の制、勘定奉行といった制度・職名等、元寇、2・26事件といった事件名等がこれにあたる。
(2) 事象記述-これらの用語を組み合わせ、ある事象に対して解釈を含まない命題の形で記述したのが「事象記述」である。たとえば、「文永11年、元軍が博多湾に攻め込んできた」とか、「1722年、上げ米の制が実施された」などの記述である。
(3) 事象解釈-このようにして記述されたいくつかの事象を概括的に解釈することによってなされた説明が「事象解釈」である。これは、いくつかの事象の関連を探求することによって、ある事象がなぜ生起したのか、その結果どのようになったのかといったことを説明するものであり、それは一つの解釈を示している。たとえば「江戸幕府の財政が窮乏したので、幕府は財政の立て直しを図って享保の改革を実施したが、立て直しは一時的なものに終わった」というような享保の改革に対する解釈を述べたものがこれにあたる。

(伊藤亮三著『社会科教育学』)

 この歴史的知識階層の説明は、(4)「時代解釈」、(5)「社会の一般法則」、(6)「価値的知識」と続くがそれは省略する。この伊藤氏による歴史的知識の6階層は、前回引用した遅塚氏の5階層の作業工程表と基本的に変わるところがない。しかしながら、「歴史的知識の基礎をなすもの」として「名」を挙げている点が、遅塚氏の作業工程表との違いとなっている。歴史的知識の階層と歴史の作業工程階層であるから、整理の仕方に違いがあるのは当然であるが、知識を記述とし、その構成要素を「名」と捉えた点が注目される。(2) の事象記述は、「ある事象に対して解釈を含まない命題の形で記述した」ものであるのだから、遅塚氏の定義するところの「事実」に当たる。そして伊藤氏は、この事象記述が「名」であるところの「用語を組み合わせ」て成立するとして、その事象の記述構造を示すのである。
 このように伊藤氏は、歴史的知識の階層を示そうとすることから、それを記述されたものとして捉えるのであるが、これによって事象あるいは事実と言語の関係を、暗黙的にではあるが示す結果となった。そして伊藤氏が示す結果となったのは、歴史的事象が記述可能なのは事象の構造と記述の構造が一致しているからだ、ということである。事象は知識となりうるのであり、知識であるならば記述が可能である。記述が可能ということは、事象は言語で示すことができると言うことである。そしてなぜ事象を言語で示せるのかと言えば、構造が合致しているからということになる。伊藤氏がこのことをどこまで明確に意識していたかわからないが、用語と記述の関係を示すことで、この前提が露見したのである。そして歴史的事象を言語で示すことができないならば、歴史学というものも成り立たないであろうから、このことは歴史家であれば誰もが前提としているということになる。
 歴史事象が記述可能であるということは歴史学の大前提であろうが、あまりにも基本的なことなので、歴史学の中でこのことが踏み込んで言及されるのは稀であろう。伊藤氏の示したことがその踏み込みに当たるというのではないが、この「事象記述」について考察することから「歴史と言語」を始めることにしよう。

 伊藤氏によれば、名を示す用語は「歴史的知識の基礎をなすもの」であり、「事象の構成要素」である。つまり名を示す用語は歴史的知識の基礎要素なのであるが、この基礎要素だということは、これをそれ以上の要素に還元できないということである。これは歴史学の原単位が名を示す用語だと規定するもので、歴史的知識はこの原単位の「組み合わせ」で成立しているという主張である。そしてこの原単位の最小の組み合わせが、事象記述なのである。歴史学は事象記述を基盤としており、その事象記述の構成要素が用語なのであるが、その用語の妥当な組み合わせを示すのが歴史学の使命である。つまり「文永11年、元軍が博多湾に攻め込んできた」という事象記述においては、「元軍が攻め込んできた」のが「文永11年」かどうか。あるいは「元軍が攻め込んできた」のが「博多湾」なのかどうか。あるいは「博多湾に攻め込んできた」のは「元軍」なのかどうかが、この歴史的知識の妥当性に関わることになる。ところで伊藤氏のこうした歴史的知識と言語の捉え方をみていると、20世紀を代表する哲学者であるウィトゲンシュタインが示した、言語の写像理論が思い起こされる。

 像の理論とは、端的に言えば、「命題は現実の像である」ということにほかならない。命題は「名前」と呼ばれる単純記号の構造的連鎖であり、名前は現実の構成要素である「対象」を名指している。そのことによって、単純記号の配列である「命題」は、諸対象が鎖の輪のように繋がり合って成立する「事態」を描写することができる。だが、それだけでは「像」としての命題が事態を正しく描写しているか否かを決めることはできない。そのためには像と現実とがある種の「形式」を共有する必要がある。すなわち、「いかなる形式の像であるにせよ、およそ像が現実を正しく、あるいは誤って写せるには現実と共有しなければならないもの、それがすなわち「論理形式」にほかならないのである。そして、現実と「論理形式」を共有する像の最小単位は「要素命題」と呼ばれる。要素命題の真偽は、事態の存立・非存立と余すところなく一致するのである。それゆえ、ウィトゲンシュタインは次のように主張する。
「すべての真なる要素命題を枚挙すれば、世界は完全に記述される。すべての要素命題を挙げ、さらにそのうちのどれが真であり、どれが偽であるかを指定すれば、世界の完全な記述が得られる。」(論理哲学論考)

(『岩波講座現代思想4 言語論的転回』収録野家啓一著「ウィトゲンシュタインの衝撃」)

 ウィトゲンシュタインにおけるこの写像理論の核心は、現実と像の「論理形式」の共有にある。その点で伊藤氏の見解とは別次元なのであるが、言語と現実が写像関係にあるから、事象を言語で示すことが可能であるという点は、伊藤氏あるいは歴史家の暗黙の前提と合致する。名前は「現実の構成要素である“対象”を名指している」のであり、この名指しが成功していることで、名前は命題の要素となることができる。名前は命題(事象記述)の構成要素であり、名前によって名指される対象は現実の構成要素である。名前と対象、命題と事象(現実)が対応し、<名前-命題>と<対象-事象>の構造が合致していることで、事象は言語(命題)で示すことができるというものである。
 伊藤氏の暗黙の前提は、この言語の写像理論を介して捉えるならば、歴史事象は歴史要素命題として「すべての真なる要素命題を枚挙すれば」、歴史は「完全に記述される」ということになる。そして歴史要素命題の真偽は、名前の組み合わせの妥当性次第であり、歴史家はこの妥当な組み合わせを示す役割を担っている、ということになる。ただしここで言いたいのは、伊藤氏の歴史事象と言語に関する暗黙の前提が、ウィトゲンシュタインの写像理論と同じであるということではない。正しくは同じではないはずだが、名前と対象をを写像関係で結びつけ、その写像関係が成立していることが暗黙の前提となっている、ということをここで明確にさせておきたかったのである。伊藤氏の前提がそうでなかったのならば、「事象の構成要素-これは歴史的知識の基礎をなすもので、事象を構成するさまざまな事項にかかわる用語である」とは記せなかったはずである。こうして、事象の構成要素は言語の外側に実在する対象であり、歴史的知識の還元限界であるのだから、歴史学は名前から始めるのである。

(つづく)

by mizuno_clan | 2013-03-31 13:40 | ☆談義(自由討論)