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桶狭間の戦いと同盟関係の一考察
筆者:水野青鷺
「桶狭間の戦いと水野氏の関係」については、foxbladさん、mori-chanさんから共に鋭利な論考が寄せられており、特に「水野十郎左衛門とは誰なのか」という推考は、両者ともに史料に基づいた考察であることから、大変に興味深く拝読させていただいた。
後の十郎左右衛門「水野元茂」の実父は「水野信近」であり、養父は「水野信元」であることから、「元茂の父」は二人存在したのである。従ってfoxbladさん、mori-chanさんが「元茂の父」をどちらの父としているかによって、二者選択の余地が生まれる。今後もこの「水野十郎左衛門とは誰なのか」については引き続き考察される事を願っている。
また「水野氏」が一般に言われているように「織田方」に与したのか、今川方に与したのかが論じられているが、日本の戦国時代と近似した中世ヨーロッパの諸事情と比較してみる事にする。
今学期から愛知学院大学で、小林隆夫教授「国際関係史概説」を聴講しており、この講義で、国際関係とは、従前は国家間関係を国際関係といったが、現在は独立した諸国家の織りなす関係の総称であるとし、国家が基本単位であり、このヨーロッパ国際関係が現代国際関係の母体となっていると教示された。
また「中世的ヨーロッパ秩序」では、「無数の領主の間に権力が分散」しており常に領主間の争いがあった。その理由として「領主が一日で往復できる範囲を領土」としており、領主が領民を護るために、城を築き堀を廻らせていた。つまり城が領主権力の基盤であり、「領主同士も相互に同盟を結び安全保障の道具」としていた。これら領主間において上級領主(主君)と下級領主(家臣)に分かれ、下級領主は上級領主に領土を寄進し、上級領主は一旦受納した後下級領主に下げ渡し、内政干渉は行われず、戦争の際には下級領主は上級領主に荷担した。さらに下級領主はこの上級領主以外にも複数の同盟を結んでおり、5~20数カ国との同盟があったといわれている。つまり上級領主は複数の下級領主と、また下級領主は複数の上級領主と同盟関係締結していたのである。
これらの状況は日本の戦国時代の領主間にも当てはまるのではないだろうか。北西部を織田氏、北部を斉藤氏、北東部を武田氏、東部を今川氏に挟まれた「水野氏」は、中世ヨーロッパの領主のように、それぞれの領主と対等な同盟関係を結んでいたのではなかったろうか。領主間の争いの際には、何れに与するか、あるいは静観するかはその一国の領主の判断によるものであり、他の何れの同盟国からも戦争荷担を強要される事はなかったものと考えられる。
従って桶狭間における水野氏の動向は所謂「日和見」と観られる状況にあったが、水野氏にとって、諸国との同盟関係こそが自国の安全保障の道具であったのである。
《了》
by mizuno_clan | 2008-05-11 17:17 | ★研究ノート