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『加藤清正「妻子」の研究』
本会員で、旧備後福山藩・下総結城藩水野家二十代御当主水野勝之氏が、昨年十月に上梓された『加藤清正「妻子」の研究』についてご紹介します。
<2010.03.17>共著者 福田正秀氏、本会入会。
本書は題名通り「加藤清正の妻子」についての研究書であるが、「あとがき」に記されているように「――思いだして見ると我が家にある系図に加藤清正に嫁いだ女性がいると云う単純な興味からの始まりがここまで広がろうとは思いませんでした……」と書かれている如く、水野家を出発点とした著書だけに、水野家についての史料考証は秀逸である。
中でも「第四章 清浄院(水野氏)とあま姫(瑤林院)」には、「水野本系図」(茨城県歴史資料館蔵)、「水野家記」(福山城鏡櫓蔵)、水野家文書の「水野記」などが写真と共にその内容が記され、今回初めて発見された史料も掲載されている。
会員各位にはぜひご一読をお勧めします。
研究会事務局

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『加藤清正「妻子」の研究』
水野 勝之著
福田 正秀著
税込価格 : ¥3,150 (本体¥3,000)
出版 : ブイツーソリューション
発売 : 星雲社
サイズ : 22cm / 258p
ISBN : 978-4-434-11086-3
発行年月 : 2007.10
内容説明 :
転換期の近世初頭、家と家との絆となった姫たちの信仰と祈りとは−。清正・忠廣のわずか2代で江戸初期に断絶した有力大名加藤家。根拠もなく語られている清正の妻子の全貌を、史料考証により明らかにする。
<目次>
はじめに
第一章 諸説検証
一、清正の子供たち
1、一男二女説・一男三女説・二男二女説
2、三男二女説
二、母子系図
第二章 山崎氏と虎熊
一、肥後入国前からの妻子(秀吉朱印状)
二、糟糠の妻は山崎片家息女(山崎家譜)
三、虎熊の実在(清正書状)
1、清正親子で朝鮮出陣計画
2、虎熊第二陣二千の大将
3、急ぎ虎熊差越すべし
4、急使安田善介帰国
5、虎熊母煩う
6、朝鮮在陣長期化を覚悟
7、虎熊出陣最終命令
8、虎藤を朝鮮王子と質交換(奮忠舒難録)
四、清正に百助という養子がいた(山崎家譜)
第三章 徳川時代の清正の妻たち
一、帰国三年、四人の妻に四人の子
二、「加藤家御侍帳」に見る加藤家の女性たち
第四章 清淨院(水野氏)とあま姫
一、結婚の背景
二、加藤家へ入った清淨院の付人たち(水野家文書)
三、関ヶ原直前に大坂脱出
四、黒田如水の支援と過酷な山中越え(黒田家譜)
五、清正の祈願と歓喜(清正書状)
六、あま姫生母の証明
証明一 幕府編纂系図
1、『寛永諸家系図傅』
2、『寛政重修諸家譜』
証明二 徳川實記
証明三 水野家文書
1、「水野本系図」
2、「水野家記」
3、「水野記」
証明四 本圀寺の墓
証明五 身延二十七世日境上人の弔状
証明六 紀州徳川家史料
1、『南紀徳川史』
2、あま姫は肥後生れの肥後育ち
3、金婚と逝去
証明七、菩提寺報恩寺に両親の位牌
七、熊本にも清淨院の墓(法宣寺)
第五章 淨光院(菊池氏)と古屋姫
一、古屋姫の誕生
二、生母は本覺院か竹之丸殿か
三、徳川四天皇の榊原家へ嫁ぐ
四、阿倍正澄に再嫁、二子を産む
五、古屋姫の子正能老中となる
六、古屋姫(本淨院)の墓地調査
七、古屋姫の母は淨光院
八、古屋姫娘の墓(日向延岡藩二代有馬康純室)
第六章 本覺院(菊池氏)と忠正
一、最初の江戸妻
二、忠正死して清正悲嘆にくれる
三、文献史料に深まる謎
四、本覺寺は清正在世時の建立
五、菊池武宗の息女説
六、墓碑と石祠に見える物語
七、二基の墓、淨得院は誰?
八、柄鏡に映る妻たちの交流
第七章 正應院(玉目氏)と忠廣―改易への階段
一、忠廣生母の証明
二、玉目氏とは
三、忠廣肥後五十四万石を相続
四、馬方牛方騒動
五、三斎書状に見る改易の真相
六、忠廣と光正、父子の対立
七、紀州頼宣の働き
八、庄内配流と塵躰和歌集
九、庄内丸岡・家臣と女中
十、忠廣の祖母を迎えに
十一、丸岡での生活
十二、正應院と忠廣逝去
十三、加藤家廃絶と遺品のゆくえ
第八章 二代忠廣の妻子
一、崇芳院(蒲生氏)と松平光正
1、崇法院の熊本生活
2、光正の清正崇拝
二、法乗院(玉目氏)と正良・献珠院
三、献珠院―父を慕いて
1、御赦免と阿部四郎五郎家へ輿入れ
2、池上本門寺墓で親子の対面
四、丸岡時代の妻子
おわりに
真正 加藤清正「妻子」系図
<内容>
●「今だからわかる!」史料で探る真実の妻子関係
清正には妻五人に実子五人と養子が一人いた。これまでの定説では妻三人に子は四人とされ、母子系譜も間違いだらけ。根拠もなく語られてきた加藤清正「妻子」の全貌が、清正の正室清淨院(家康養女)の実家水野家の当主と熊本の研究家による徹底的な史料考証で四百年ぶりに明らかに。豊臣時代これまで全く知られていなかった妻子の存在、徳川との固い絆となった姫たち。加藤家斷絶の裏に二代忠廣の妻子たちなど、これは清正の実像を知る上で必要不可欠な、近世初頭の有力大名肥後加藤家の成立と滅亡にも関わる基本的に重要な研究成果である。
●英雄を陰で支えた女たち
戦国から泰平への大きな転換期の時代、清正の血を誰がどのように伝えていったのか。家と家との絆となった姫たちの信仰と祈りは。正室と側室の関係など、これまで名も知れず歴史の陰に消えていった大名家の奥に生きた女たちの様々な真実が明らかになる。女性史研究上も必見の一書。
<書評>
●熊本日日新聞社 『第29回熊日出版文化賞』受賞, 2008/3/22
☆選考委員評☆ (2008年2月16日熊本日日新聞「熊日出版文化賞」決定報道より)・諸説ある清正の妻子関係を文献や墓碑調査などから検証した。
・イメージが先行しがちな清正とその妻子の実像を客観的に実証した。
・墓や寺に足を運び、歴史科学の視点からアプローチしている。
☆謎多かった家系 真実に迫る労作(2008年2月24日熊本日日新聞「受賞作の魅力」) 封建時代の系譜について女性の記録は少ないし、系譜の誤謬も多い。それぞれの時代を家と子供のために必死に生きた女性たち、その真実をこのように明らかにする研究に敬意を表したい。 富田紘一(熊本市文化財専門相談員)
☆<評>熊本日日新聞『散文月評』(平成19年11月25日)
「資料考証、実地踏査を踏まえてもたらされた史実にも驚かされるが、文章のうまさも加わり謎解きの面白さを追体験できる。資料に残りにくい女性を系図に復元するという意表をついたテーマと整然とした論証は、むしゃんよか、の一言に尽きる」
*むしゃんよか=熊本の方言で「武者振りが良い」すなわち「男らしい」「かっこいい」という意味。
by mizuno_clan | 2008-05-17 19:11 | 推薦図書