所有の意味を探る①-年貢請負と進止権- 談義:江畑英郷
この「水野氏と戦国談義」は、談義ということをもって、終始一貫したテーマを扱い、連載各回の連続の整合性を厳に保つことから免除されているつもりになっている。しかしそれでいて、考察を進めていくと毎度、土地所有について考えねばならなくなっている。第二十一回からは、戦国期の軍事組織をテーマにしていたが、それが組織とは何であるかという問題になり、また戦国期組織の根底に家の存在があって、今度は家とは何かという問題意識へと移行してきた。そして家について考えをめぐらすと、家領というものが重要なファクターであるように思え、またしても土地所有の問題に回帰してしまったというわけである。
このように考察が土地問題へと幾度も逢着するのはなぜなのかついて、一度整理する必要があるだろうと思い、前回は『中世・近世土地所有史の再構築』序章を引用して論じた。戦後歴史学は、マルクス主義における唯物史観をその探求の前提としてきた。それはイデオロギーといったこととは無縁なところで、「生産関係こそが人間諸個人相互間のいっさいの社会関係の根底をなす」という強烈な主張に魅せられたからではなかったろうか。またそれは戦前の皇国史観のような観念的史観を忌避する志向の現れであったであろうし、経済というものの力を強く意識した結果であったからなのかもしれない。しかし唯物史観というものも、やはり形而上学的考察の産物であることに変わりはなく、生産関係がいっさいの社会関係の根幹であり、歴史は生産力の発展にしたがって決まった生産様式の段階を経るものだという主張は、何といっても言い過ぎであると考えられるようになった。しかしだからといって、無軌道に歴史が変化・推移しているのでもなく、生産力の発展による生産関係の変化が社会の構造や諸形態を左右する、という認識には変わりがないのである。そしてある段階の生産力はそれに対応する生産関係を規定し、その生産関係から生産様式が生み出される。その生産関係とは「生産手段にたいする労働する諸個人のかかわり方」、つまり生産手段の所有関係なのであり、中世における最大の生産手段が土地なのである。したがって、土地所有形態を解明することは、社会の諸形態を解明するための前提になるというわけである。
戦国時代の武家が争い続けるのは、彼らに所領拡大という命題があったからだという見解は世に浸透している。皮相的には彼ら武家の手前勝手な欲望によるものだとされるが、より踏み込んだ見解では土地支配と統治行為の連続面を重視し、支配の根底に土地所有の問題を捉えようとする。しかしどちらにしても、所有という単純なようで奥の深い問題がそこに横たわっているのである。そうしたことから、これまでのこの談義における考察では、この戦国社会を語ろうとするとき、どうしても避けては通れない所有というものの本質に向かって、問いを発しないではいられなかったのである。
さて、歴史学においては、何をもってある事態を「所有」とみなしているのだろうか。この点については、次の一文から読み取ることができる。
中世土地所有史の研究は、狭義の土地所有権者-自由な処分権を握る存在-を中心に、土地の関係者が織りなす複雑な仕組みをトータルに考察しなければならない。
(『中世・近世土地所有史の再構築』-「中世後期における下級土地所有の特質と変遷」西谷正浩著)
誰が所有者なのかを見定めようとする場合、「自由な処分権を握る存在」は誰なのかと問えばよいのである。物は使うために所有するが、使っている者が所有者であるとは限らないのだから、その物を自由に処分できる権利をもった者に焦点を合わせて、その所有者を特定するのがよいというわけである。そしてこの観点が、占有と所有という概念的線引きが必要とされる根拠ともなってくる。そして土地における「自由な処分権」とは、一般に、その土地に対する耕作の付与権と売却権のことであると理解されているようである。そこで今回は、土地に関する耕作権の付与について考察してみようと思う。
本談義十三回「当知行・当事案(4)-共生としての「当」-」において、職の体系は所有権からの分化ではなく請負人の権利から分化していることに触れ、代官請負制の展開が下級所有権を発生させたという井原今朝男氏や長谷川裕子氏の見解を紹介した。そして領主の土地がなぜ請負に出されるのかについて井原氏は、「秋に納入される年貢予定額を担保にして、本所が春に借米や借銭として年貢米を先取りしてしまう方法」に領主の家政が依存していたことを指摘していた。この年貢請負と所有権の関わり合いについて、所有者は自由な処分権を握る存在であるとする西谷氏は、次のように述べている。
つまり、作人の人事権は土地所有者たる「名主」の手中にあり、かれがこの土地の作職と百姓職を進止していたのである。一方、土地を預かって生産と貢納に責任を負う作人は、作職・百姓職を知行する存在だといえる。さらに在地の有力請負人たちは、自らの手に余る規模の経営地を抱え、こうした請負地を下作人として独立的な一般百姓に広く再委託したとみられている。この作人・下作人の関係についていえば、下作人にとっては自身を土地の請負人に指名した作人こそが、まさに職の進止者として立ち現れてくる。すなわち、ここにも、荘園の「本家(本所)-領家(預所)-預所」の関係に通じる、入れ子型の請負関係が存在しており、土地所有権としての作職は、右の請文で成立したような、中間請負人が所持する「職」が物件化をとげたものにほかならない。
(前掲書)
西谷氏は別に、狭義の土地所有権を下級土地所有権であるとし、その客体を「作手」であるとする。そして中世後期において新たな土地所有権が成立したとして、それを「作職」と呼称し、それと区別するために作手は「名主職」と呼ばれるようになったと述べている。ここに狭義の土地所有権者である名主クラスの者が地主として捉えられているが、その地主は作人に土地を預けて年貢徴収を委託していた。そしてその作人の多くは、その一部あるいは全部を下作人に再委託する中間請負人であったのである。地主-作人-下作人というのは相対的な呼称であり、要するに、下級所有権者から直接耕作人に至るまでに、何階層もの請負関係が存在したということである。そして所有権との関わり合いでは、「中間請負人が所持する“職”が物件化をとげた」という箇所がポイントである。
以前に確認したように、この「職」は土地の用益権、つまり耕作権であったのだが、それが「物件化をとげた」ことで作職から土地所有権が発生したというのである。このことを西谷氏は、別に次のようにも述べている。
では、新不動産物件・作職は、どのような経路を経て確立をみたのだろうか。当該地域における作職の成立過程については、直接耕作者の耕作権に起源をもとめるよりも、中間請負人層=作人層の有限的な得分権(職務的用益権)が永続的な権利(職務負担付きの不動産物件)に進展したと理解すべきことは、すでに前稿で述べたので、ここではくり返さない。
(前掲書)
ここで年貢請負という事態を整理しておこう。年貢請負は、請負人が土地を預かってその土地で耕作をおこない、その耕作結果である産物の一部を年貢として委託者に納めるという契約である。したがって、預かった土地で耕作することが前提であり、そのため委託者から土地の耕作権が請負人に付与されることになる。上記引用で言えば、「土地の作職と百姓職を進止」という箇所がそれにあたる。そしてこの契約の本旨は、土地を自由に使ってよいから代わりに一定の年貢を納めなさい、という点にある。つまり作職や百姓職などの耕作権が付与されるが、だからといって請負人が直接耕作しなければならないわけではなく、したがってそこに再委託という事態が発生する。そしてこの再委託も、年貢請負という形態が変わるものではなく、耕作権を付与する代わりに年貢を徴収するのである。するとそこに、「下作人にとっては自身を土地の請負人に指名した作人こそが、まさに職の進止者として立ち現れてくる」という事態が発生する。この「職の進止」とは、自由裁量で耕作権を付与できることを指しており、そしてこの自由裁量をもつ者に、「自由な処分権を握る存在」という所有権者の定義がかぶさるのである。
「中間請負人が所持する“職”が物件化をとげた」というのは、「職」という土地の耕作権が、再委託によって進止権として立ち現れてくることで、それが処分権を本義とする所有権にまで進むという理解なのである。こうした年貢請負と重層的な所有権の関係に関する認識は、当然西谷氏に限ったものではなく、現在の土地所有史の一つの水準を示しているものである。さて、この再委託をともなう年貢請負は、その本質において一つの社会契約であると理解されている。
中世の地主制では、おそらく経営効率の見地からであろう。直接経営を避け、請負経営を志向する傾向がつよい。かつては、地主と経営担当者の間に人身的従属関係を想定する見方が有力であったが、現在では、双務契約型の関係が基本だと理解されている。不在地主と在地のものが請負契約を結ぶ場合には、宛文(補任状)と請文を取り交わし、請負人から請料が支払われた。地主の交代ごとに契約がなされ、地主は請負人を決定する権利を保持した。一方、果たすべき義務を履行している限りは、請負人は契約の継続、さらに超世代的な相続を期待できた。請負人は農業経営を主体的に担い、百姓として領主・地主に年貢・地代を納めた。
不在地主と契約を結んだ経営請負人は、地侍クラスの有力百姓らが中心であり、なかには請負業者的な者もいた。かれらは、自己所有地とあわせて自らの手に余る経営地を、自らの息のかかった者だけではなく、ひろく独立的な中小百姓に再委託したとみられる。地主たちが契約者に有力百姓を選好したのは、おそらく、経営代理人としてのかれらの力量を評価するとともに、小百姓層の不安定性を配慮してだろう。
(前掲書)
西谷氏はここで、「地主と経営担当者の間に人身的従属関係を想定する」のではく、「双務契約型の関係が基本だ」と述べているが、この人身的従属関係と、双務契約型の関係の本質的な相違とは何であろうか。人身的従属関係は、地主と経営担当者の間を結ぶのは合意ではなく強制であり、したがってほとんどの場合、地主に有利であり経営担当者に不利であるが、双務契約型の関係は合意に基づくもので、したがって双方に利益があるといったことであろうか。しかし人身的従属関係が、一方的な強制関係だと決めつけられるわけではない。ここでは「人身的従属」の意味が明確でないので、「双務契約」の側からその意味合いを考えてみることにしよう。
まず、契約であるのだから、双方合意の下でというのが基本であろう。史料として示される請文なども、そのようにみうけられる。しかしこの双方合意というのは、二人だけの約束という意味ではないだろう。契約と約束の違い、それはその行為が当事者だけに限定されるか、それとも他者も巻き込んだ、つまり社会的なものかの違いである。つまり、社会的な背景をもった約束が契約なのである。したがって、請負契約には社会的な背景がある。そしてその背景とは、社会がその約束を拘束するということであり、契約不履行の際にはそのペナルティを社会が公認するということである。例えば、請負契約に違反した場合の罰則事項、「したち(下地)をめしあけられ候へく」などを遂行する権利が委託者に与えられるのである。
このように社会の場における約束が契約なのに対して、「人身的従属関係」を何かと考えれば、その関係は私的なもので、例えそこに約束があっても(おそらく約束・慣行はあったはずである)、それは当事者間の外に出ないものであると理解することができる。そして「請負契約を結ぶ場合には、宛文(補任状)と請文を取り交わし、請負人から請料が支払われた」などの手続きは、この社会的性格を反映したもので、第三者に対する証拠能力をそこに付与しようと意図するものである。
このように社会的約束として成立しているはずの年貢請負であるが、それが「果たすべき義務を履行している限りは、請負人は契約の継続、さらに超世代的な相続を期待できた」という箇所で、いささか矛盾を帯びてくるように思われる。それは、請負契約の「超世代的な相続を期待できた」とすると、それとは裏腹に委託者の進止権が停止してしまうからである。進止権というのは、委託者が任せるも止めるも随意であるという意味ではなかっただろうか。そしてその随意性に処分力をみて、それを所有権だと認めたのではなかっただろうか。そして契約なのだから、双方合意でなければ成立しないもののはずで、委託者の意志にかかわらず請負人の意志だけで契約が継続するというのは、いかにもおかしなことである。また、「超世代的な相続」という契約に反する事態が発生したとき、社会的な約束に対する拘束は働かなかったのだろうか。それとも委託者の進止権などは、大して重要ではなかったのであろうか。しかしながら中間請負人には耕作の事実はなく、この進止権だけが中間人の拠り所だったはずである。その進止権が、請負人の超世代的相続によって破られるとき、中間請負人は足場を失い、この請負の連鎖が崩れてしまわないのが不思議である。
年貢請負における双務契約型と、耕作権の超世代的な相続が発生することで変質した契約型とを、それぞれ権利と義務に分けて整理したものが<表1>である。この請負契約では、年貢納入と引き換えに地主が保有する耕作権が請負人に付与され、その際に耕作権は委託進止権に変わっていると考えられる。そしてこれを受けた請負人に耕作権が発生するが、それが中間請負人であるならば、彼のもとには委託進止権が残り、これを根拠として年貢徴収をおこなうことになる。ここで契約として権利と義務が対応しているのであるが、超世代的な耕作権の相続というものが発生すると、そのことによって委託者の進止権が無効化されてしまう。西谷氏は、「果たすべき義務を履行している限り」という条件をつけているが、そのことからすると義務の履行が相手の権利を無効化するという奇妙な論理となる。かくして契約における権利と義務の対応関係は消失し、義務の履行だけがなぜか残ることになるのである。「年貢を納めているのだから、後はこちらの都合で勝手にさせてもらう」というわけである。
次に、「人身的従属関係」の反対軸としての双務契約を考えると、それは契約であることによって社会的にオープンであり、任意・随意に委託者と請負人が出会い、そして合意を形成するという構図をもっていると考えられる。そのことは、「手に余る経営地を、自らの息のかかった者だけではなく、ひろく独立的な中小百姓に再委託した」という表現にも現れている。このあたり西谷氏には、一定の年貢請負市場が出現していたという想定があったのではなかろうか。その点については、以下の箇所にも同様の理解が示されている。
中世社会において土地の耕作者は、請負の場合、土地所有者たる地主に対して、年毛(生産の果実)の所有者であり、生産の果実全体が耕作者に属し、地主に上納する地代は土地の用益料と観念された。かれは年毛を先物売的に売買(年毛売買)し、農業経営などに必要な資金を調達することができた。
ところで、京郊地域の村落では、地主・作人および作人・下作人の間柄は従属関係をともなわない請負契約が主流であって、直営地経営や被官・下人に耕作させる従属小作制の占める比率は小さかった。というのは、水稲耕作の場合、労働力の需要の季節的な偏差が大きく、農繁期の必要労働力を常に隷属させるのは経済合理性に反し、一般の農民は、大経営から自立して-あるいは排除されて-いたからである。当該地域の場合には、通時代的に経済的要因が軸になって地主・小作関係が展開したのである。
(前掲書)
年貢請負では耕作権が付与され、請け負うのは耕作である。請負であれば請負内容があり、その請負の成果として請負料を差し引いた成果物を委託者に引き渡すというのが、その基本的な姿であると思う。だから本来は耕作請負であるが、実際に耕作をせず再委託してしまう中間請負人の立場からすれば、それは年貢を徴収し年貢を納めるという視点で年貢請負となる。それでも耕作権を付与し、耕作の成果物を徴収するのであり、そうであるのだから年貢なのである。それが「地代」と観念されたという主張になると、そこには土地借用があってその借用料としての地代であった、という意味合いに聞こえてしまう。単なる土地借用というのであれば、そこにはもう耕作という限定、あるいは耕作という生産活動への視点が根こそぎ失われているように思えてくる。そして「物件化」という用語には、何の背景もないただの取引対象物という意味が押し出されており、この用語を論者が使用するとき、耕作請負の連鎖はこの物件化という市場経済の波に断ち切られていた、というニュアンスがそこに伺われるのである。そしてそれと照応するように、「通時代的に経済的要因が軸になって地主・小作関係が展開した」と述べられるのである。
西谷氏は、農繁期と農閑期の季節的な偏差が激しい水稲耕作では、常時人を抱える従属小作制は経済合理性に反するという。そのことによって、つまり地主の経済的な都合によって、年貢請負という形態が主流となったと述べているのである。何とも現代的な感覚で当時を見ているわけであるが、しかしその年貢請負が、地主および中間請負人からその委託進止権を剥奪しているのである。そしてこれまでにもみてきたように、義務としての年貢が定額化される一方で、その年貢を差し引いた余剰としての加地子得分が次第に大きくなってきていた。しかし、進止権を失った委託者は、これを吸収することができず、生産性向上から置き去りにされてしまっているのである。そうなると、何とも皮肉な経済合理性ということになりはしないだろうか。
また、「農繁期の必要労働力を常に隷属させるのは経済合理性に反」するというが、そうすると直接耕作者は、農繁期と農閑期の労働力の偏差を調整できずに、その経済的な非合理性の矛盾を一身に受けて困窮していたのであろうか。しかしながら、耕作現場からは加地子得分なる余剰生産物が生まれ、その収受をめぐる議論にはこと欠かなかったはずである。西谷氏の見解にしたがえば、自家耕作か耕作委託かを地主および中間請負人が、経済合理性に基づいて選択しているということになる。そしてそうなると、そうした選択が可能となる条件として、どうしても一定規模の請負市場が存在したことを想定しなくてはならなくなる。そしてその想定は魅力的ではあるが、西谷氏は一方でそのことに対して慎重でもある。しかし経済合理性が高度に発達し、取引市場が世界中にあまねく行き渡る現代の我々が、その現代の用語を使って歴史を語っているのである。そのことが、歴史的な考察に影響を及ぼさないはずはない。要するに、ここに市場システムを持ち込むのは、そう簡単なことではないと思われるのである。この点については、次回以降詳しく検討してみるつもりである。
今回は、所有概念を構成する二つの要素から、処分権としての委託進止権について、西谷氏の論文をもとに考察してみた。そしてこの考察で得られてたものは、次の二点である。
①年貢請負が所有権に進展するということは、委託進止権が無効化されるということであり、その段階では請負契約の形式が破綻する。
②年貢請負が主流であった根拠として委託側の経済合理性があげられたが、そこからは加地子得分などの吸収が説明できず、逆に不合理であったともいえる。
請負というものを請負契約であると理解したとき、それは同じことのように思えるが、実は契約システムというものを持ち込んだという大きな違いがあるのではないだろうか。同様に、経済合理性という観点をとったとき、何かを合理的とする生産と取引活動のシステムを取り込んでしまっているのではないだろうか。そして、このシステムというものの正体を知らないと、歴史的事象を適切に扱うのは困難であるような気がしている。だが、唐突にシステムを論じても、良い成果は望めそうもない。したがってシステムとは何かに向かう前に、その正体が不明なままでは、歴史理解がどのように困難であるかを掴んでおきたいと思っているが、目下のところその対象が所有であり、今回がその一つとしての委託進止権であった。次回はやはり処分権ではあるが、売却権について考察してみようと思う。